その他の雑文


以下の短文は、努の会の俳誌「努」の編集後記の内、琵琶湖関係を除いたQ太の駄文から適当に抜粋、編集したもの。
文末に括弧入りで発行年月をで示している。


カラスの子育て

我が家に隣接して500坪ほどの公園がある。
梅雨の晴れ間の昼過ぎ、その公園がなにやら騒々しいので、出てみると、鴉が5、6羽で公園を占拠している。
真正面の棚の上の鴉はちょっと小ぶりで口の中は全体が赤かった。その口赤鴉を囲むように、樹の上や照明灯の上に真っ黒の怖そうな鴉が陣取っていた。
異様な雰囲気に踵を返すと、大鴉が背後から低空飛行で接近し、掴み掛かるように威嚇し、前方の電線に留まった。桑原桑原、すぐに逃げ込んだ。

1ヶ月前に、250mほど離れた公園の楠に鴉が巣を作って雛を育てていた。
その時にも見に行って威嚇されているだが、その雛が無事巣立ったのではないだろうか。
何度も休憩しながら、ようやくここまで飛んできたに違いない。
心配そうに周りを囲んでガードを固めているのは、両親、叔父叔母、兄姉ではないだろうか。一族で守っているように見えた。

子鴉の飛距離が延び、甘え声も大分大人びてきたが、まだ教育父母は付き添っている。
今日なんぞは両親が先導して飛んで行っても、子鴉は嫌がって引き返し、親鴉は慌てて子鴉の跡を追っていた。
彼等も人間世界からいろいろ学んでいるのかも知れない。
                                                        (06/10)


無農薬野菜

(高山市に昨年編入された)旧宮村の宮川沿いの道を自転車で走っていて、粗末な板切の看板が目に入った。
十年前の盆休に訪れたことがある涅槃仏で有名なバンコクの寺院の名前だけが無造作に描かれていた。
訪ねてみるとタイ料理店をやっているという。
旧宮村の素泊宿に泊まり、毎日食事に不自由していたので、その場でディナーを予約した。

夕刻、宮川沿いの畑の端っこにあるレストランへ行ってみると平日の所為か客は私一人だった。
絶品のトムヤムクンスープをはじめ心尽くしの料理に舌鼓を打ち続けていたが、何よりも野菜の濃厚な味わいに感激した。
特に、塩分一%のトマトジュースの美味しさ、コーンスープの甘さには驚くのみだった。

陶器の臼(クロック)で野菜サラダ・ソムタムを作ってくれた女性から聞いたのだが、ここの野菜は化学肥料や農薬は一切使わず、有機肥料と宮川最上流部の清水のみで育てている。
無農薬なので強い野菜ができる。生命力のある野菜は濃く、おいしい。虫にもやられにくい。
昼間は畑に出ていて日焼けした彼女は目を輝かせて教えてくれた。

なお、宮村、宮川の宮は飛騨一之宮(水無神社)のことであり、宮川は岐阜県から富山県に入ると神通川となる。

                                                        (06/11)


一位一刀彫

飛騨での話。彫師が一位一刀彫を彫っていた。
鑿(のみ)が一刀ではなく数多く並んでいたので意地悪く聞いてみると、彼は一木彫と言うべきなのだろうが語呂が悪いので、一刀彫になったのではないかと言った。
一刀一刀に魂を込めて彫るから一刀彫だというような説明より自然だし、私は大いに納得した。
さらに、一位は彫りやすい木なので一刀彫に適していると聞き、なるほどと思った。

一位の木は岐阜県の県木、高山市の市の木、そして旧宮村の村の木でもある。
「昔、宮村にある美しい山・位山のアララギの木で天皇の手に持たれる笏を作って献上したところ、他の材より優れていて大変喜ばれ、アララギの木には位階の正一位にちなんで一位の名が授けられ、山の名前も位山と呼ばれるようになった」と宮村史に記されている。

現在でも天皇即位や伊勢神宮の式年遷宮の際には、ここの一位の木で作られた笏が用いられるそうな。

旧宮村地区を訪ねると、生垣などにも一位の木をよく見かる。
民宿・弥兵衛さんの庭には一位と松と山梨の三本の古木があった。
どれも植木好きのご主人の自慢だが、山梨の木には今頃小さな実がたわわに実っていることだろう。

                                                        (06/12)


ラブラドール・レトリーバー

昨冬から早朝ウォーキングを始めた。
真っ暗な中で何匹かの犬に出会った。黒の大型犬のラブラドール・レトリーバーはいつも口にボールを銜えていた。
人を驚かさないように、噛みつかないように飼い主が考えたのかと思っていた。

季節が進み夜明けが早くなると、犬の姿もはっきり見えるようになり、友達になった。
ボールは公園で投げてもらって取りに行くのが楽しみで銜えていたことが分かり、それからは私がボールを投げる役目になった。
何回も走って疲れてくると、暫くボールを銜えたまま休憩してから、続行を催促する。
復路は少しずつボールを前方に投げて進ませるが、分かれ道が近づくと座り込んでしまう。

私が休んだ日には公園沿いの道路の方ばかり見て一向に走らないと聞くと、友達になった責任を感じてしまう。    (07/02)



椿は国字でなく国訓
 木偏に春と書けば椿である。春の季語の椿は日本で作られた国字で会意文字だと思っていたが、実は中国にこの漢字はあり、ツバキとは別のセンダン科の木を指すらしい。
であるから正確には椿は国訓である。なお、中国ではツバキは山茶と言うらしい。(確かに茶の葉はツバキの葉を小ぶりにした感じで、茶の木はツバキ科である。)

漢和辞典を紐解くと、椿の漢字はチュンと発音(チンは慣用音)し、木偏にシュンの音の春を組合せて作られた形声文字とのこと。しかし日本人好みのツバキには、やはり木偏にspringの春を与えたいと思う。

映画「椿三十郎」も三船敏郎の好演する腕の立つ浪人の名前がツバキと発音し、木偏に春の字を書くことが好評を博した一因ではなかろうか。本年十二月に織田裕二主演で「椿三十郎」がリメイクされるらしい。
                                                                      

天保山の渡船

 天保山は大阪市港区にある日本一低い山である。江戸時代の終わりの天保年間に安治川河口の浚渫土砂を積み上げて作られた山で、当時は20mほどの高さだったとか。今では天保山公園の端っこの平地に標高四.五米の二等三角点が残っているのみで、園内には地下鉄工事の掘削土が盛られた見晴台などもあり、天保山は公園内でも山ではない。

しかし、国土地理院発行の二万五千分一の地形図に昔から記されてきたので、天保山は日本一低い山と称されている。平成五年には一度地形図から消されたが、地元の熱い運動によって復活したのは微笑ましい話。

 話は変わるが、水の都・大阪市には市営の渡船が八ヶ所残っている。天保山渡船はその内の一つで、安治川河口で北の此花区と南の港区を結んでいる。北にはUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)があり、南の天保山地区には大観覧車や海遊館があるので、この辺りは大阪の観光スポットになっている。

先日の朝、この渡船の北側の乗船場で待っていると、対岸からの乗客の大半は自転車で通勤する若い外国人だった。彼等は庶民の街港区に住んで工業地帯跡のUSJで仕事をしているのだろうか。昔の言葉で恐縮だが、それはなかなかナウいではないか。                       (07/09)



捨て猫

梅雨の晴間の夕暮時。困ったな。そうや、天野川の橋の手前やけど、あそこは餌を置いていくオバちゃんや座り込んで猫と遊ぶオッちゃんがいる。
あそこしかないな。そんな話をしていると、女房が「親猫や」と言う。
居間の硝子戸の下で猫が匂いを嗅いでいる。ややあって上げた顔の縦縞模様は捨てられた子猫に似ている。
(子猫ほどではないが、親猫もかわいくはない。)
生まれて間もなく飼い主に車で公園に捨てに行かれた我が子をようやく探し当てて辿り着いたに違いない。
逸る気持ちを抑えて親猫は外壁の角を曲がった。暫くして、「ウーウーウーウー」と何回も唸っている。
多分、子猫に呼び掛けているのだ。
「やっとお前を探し当てた。お前の親だ。さー一緒にかえろう。こっちにお出で、付いてお出で。」と言っているに違いない。
よかった。これで彼奴も救われる。                                  (07/10) 



ゴールデンレトリーバー

ゴールデンレトリーバーの華子は優雅な顔付きでペットボトルを銜えていた。
まだ暑い時だったので、犬の熱中症予防に飼い主が持たせているのかと思った。
次に会った時もペットボトルを銜えている。
聞いてみると、華子は道端にペットボトルが落ちていると、銜えて家まで持ち帰るそうだ。
そして、キャップを外してちゃんとそれぞれの箱に分別するとのこと。
キャップ外しは実演してくれたが、前足二本でボトルを固定し歯でキャップを銜えて回すのだ。その器用さには驚いた。

今朝もどこで見つけたのか、華子はペットボトルを銜えて優雅に歩いて行った。
なお、悲しいことに華子はペットボトルを一本しか銜えられないので、道端に二本目を見つけた時には、飼い主が前のを持ってやるそうだ。

                                (07/12)


曼珠沙華前線
今年の曼珠沙華は咲くのが少し遅かった。
大阪管区気象台によると、九月の真夏日は二六日を数え、史上最多だった九九年と並んだという。
彼岸の二二日には三五.一度と観測史上最も遅い「猛暑日」も記録している。
 「暑さ寒さも彼岸まで」が今年は狂ってしまった。
そのため彼岸花の開花が遅れたのではなかろうか。
彼岸花は実を結ばず株分けで増え、日本の彼岸花は全てクローンで遺伝的に同一だと聞くので、今年は全国的に彼岸花の咲くのが遅かったのではと思う。
オオシマザクラとエドヒガンザクラの雑種で実のできないクローンの染井吉野には個体差がなく季節の変化がそのまま開花に繋がり、春には列島を北上する桜前線が話題になる。
彼岸花にも同様の現象があるはずだ。各地の今年の曼珠沙華前線は如何だったでしょうか。       (08/01)



永源寺の紅葉と蒟蒻

師走直前に永源寺の紅葉を湖東に訪ねた。
「こんにやくのさしみもすこし梅の花」の背の高い芭蕉句碑が
永源寺の山号由来の「瑞石」と並んで建っていた。

蒟蒻芋を擂って水と混ぜると、きれいな薄ピンク色になり、火に掛けて石灰を加えると、やがて蒟蒻色に変わる。
芭蕉はこの薄ピンクをイメージしたのかも知れない。

本句は元禄六年(五十歳)の作で同年には「蒟蒻に今日は売り勝つ若菜かな」もあり、
蒟蒻は、真桑瓜や茸、豆腐とならんで芭蕉の好物だったらしい。
蒟蒻は江戸時代になって全国的に栽培され庶民の味だった。
食品の多くが酸性なのに、蒟蒻は食べる時にもアルカリ性だ。

芭蕉翁は安くて健康的な食べ物が好きだったようだ。

私は永源寺では味噌田楽よりも関西風薄味のおでんが好きだ。
どちらも百円。                                        (08/03)