湖東三山−2                百済寺、永源寺の紅葉


2005年11月29日、京都深草バス停9:15発の名神ハイウェイバスで東に向かい、滋賀県の百済寺バス停で降りた。
湖東三山の紅葉を訪ねる2回目の自転車ツアーである。


【百済寺バス停→百済寺への道】  マピオン地図はコチラ

バス停から高速道路の西の側道を南へ向かう。(10時半前)

左写真、一面に枯れた枝豆の畑が広がっていた。
(実は、家の近くの田圃の畦道に毎年田植の後に枝豆が植えられるのだが、なぜか夏に枝豆を収穫せずに毎年枯らしてしまっていて、不思議に思っていたのだ。)
この後、20分経って、コレは大豆の栽培だと知った。



右写真、おばあさんが最後の蜜柑だといってハサミで切っていた。挨拶すると、3個下さった。





左写真、転成寺というお寺。


右写真、「出湧デユウと半鐘の郷」との看板が出ていた。
この小さな公園が出湧を復活させたモノらしい。
昔は、百済寺の山の方からの伏流がココに湧き出ていたのだろう。
集落の人はココに来て、野菜を洗ったり洗濯をしていたらしい。
名神高速道路の工事の後、水が出なくなったと言っていた。
この読合堂ヨミアイドウという集落の「半鐘」も見たくなり、反対方向の西に走る。




左写真、先ほどの枯れた枝豆?を向いていたので、聞いてみると、黒豆だった。
大豆の若いのが枝豆ということは聞いてはいたが、大豆の収穫を見るのは初めてだった。)



右写真、黒豆の収穫ですか?と声を掛けると、晩生の白豆だと言った。






左写真、塔の上にぶら下がっているのが、読合堂の半鐘。最近、ココに移されたらしい。(読合堂・出屋敷バス停)



右写真、白い蔵壁に干し柿がきれいだった。




チョット寄り道をしたが、名神の下をくぐって、百済寺への道を進む。


左写真、民家で紅殻(棟梁はベニガラと発音していた)の塗り替え作業をやっていた。
棟梁に聞いてみると、本職は白木の「洗い屋」さんで、最近は食うために紅殻塗替を昔ながらの方法でやっているとのこと。



右写真、腕木は家主が山から切り出した欅材。
庇は一枚板を使っているので、紅殻は塗らない。
下の庇は洗いが終わっているので、白くてきれいだ。




左写真、何軒か先にも、紅殻を塗り替えた民家があった。
2階には干し柿が吊されていた。



右写真、百済寺へ緩やかな坂道が続く。






左写真、道の左手に百済寺の末寺である引接寺インジョウジがあった。本堂前に「来迎浄土」の矢印があったので、右手に回って進んだ。



右写真、すると、五輪卒都婆が何百いや何千も並んでいるので、びっくり。
なお、五輪卒都婆は、平安中期頃密教で創始された塔形で、方・円・三角・半月・団の五つの形を造り、それぞれを地・水・火・風・空の五輪(五大)に当てている。






百済寺 ヒャクサイジ】

左写真、百済寺の赤門。ココから参道が始まる。
(車は門前左手の道路を進むと、上に駐車場がある。)



右写真、参道の途中の極楽橋。






左写真、矢杉。橋の向こうにある大杉。
百済寺が信長軍に攻められた時、僧兵たちが木に登って矢を放ったそうな。



右写真、ネズミ堂。ネズミたちがお寺に加勢し、矢を僧兵に運んだそうな。



『志賀の風景』HPによると、「巨木に囲まれた薄暗い参道沿いには、ひっそりと小さなお堂(ねずみ地蔵)と矢を放った杉(矢杉)が今も残っています。」と書かれていた。





左写真、参道の紅葉。
参道の左手に駐車場があり、「近江湖東二七名刹霊場」と墨書された門がある。
その門前で松茸飯の弁当を買い、門を入ると、広場になっていた。左手にガンコ爺さんの蕎麦屋があって、山菜蕎麦がうまかった。



右写真、広場の片隅に咲いていた桜。





入場料を払って、まず、左手の「喜見院(本坊)の庭園」へ行った。

左写真、書院前の池。


右写真、池越しの紅葉が見事だった。






左写真、書院左手の建物前は落ち着いた雰囲気がなかなかよかった。



右写真、池を時計回りに回って、左上の写真の建物前から紅葉をアップで写す。







左写真、庭園を登っていく。



右写真、標高308mの遠望台から書院と池を見下ろす。











左写真、多分ココには立派なお堂があったのだろう。



右写真、紅葉。







左写真、紅葉の庭を巡った。



右写真、庭園を出た後、この門を向こう側から通り抜けて、参道を進み、本堂の方に行く。
(もともとは、最初の赤門から続いている参道の途中に、この門があり、ココから書院の方に入っていたのだろう。門の入口と出口が今では逆に使われているようだ。)






左写真、参道の石段を上っていく。



右写真、参道右手の平地は、Luis Frois が「地上の天国一千坊」と絶賛した坊跡の一部らしい。







左写真、石段を登り詰めると、仁王門が見えてきた。



右写真、仁王門の大きすぎるワラジ。









左右の仁王さんとも、腰に太い綱というか、袋状に縫われた太い帯を締めていた。











左写真、仁王門を入り右手に回ると、本堂が見えてくる。



右写真、本堂。










本堂・外陣の閻魔大王さま。
左に白服、右に紅服を着た紅白の閻魔さまがいたが、それほど怖い顔でないので安心した。












左写真、平成3年志賀県主催の世界陶芸祭ワークショップ会場で造形された聖徳太子像。



右写真、最後に鐘を撞かせていただいて、百済寺を出た。








【百済寺→永源寺への道】


左写真、百済寺を出て永源寺へのバス道を進むと、梨畑があって、ポニーが草を食っていた。人なつこいポニーで私が柵の周りを歩いていくとどこまでも付いてきた。



右写真、百済寺方面の山を背に山裾の道を南南東方向に走った。







左写真、関西電力の東近江開閉所。


その内、道は山裾から愛知川沿いに景色が変わる。

右写真、愛知川(音無川)に架かる旦度橋。
永源寺の境内は、この橋の上流右岸に広がっていて、写真の左にバス停があった。





【永源寺】

左写真、愛知川支流に架かる大歇橋橋の向こうは愛知川で、橋を左に渡ると、羅漢坂に続く。



右写真、羅漢坂に登る前に右手に広がる愛知川の紅葉。







左写真、羅漢坂を上っていくと、左手の岩山で16羅漢の石仏がユーモラスな表情で迎えて下さる。



右写真、まず、総門を入る。







左写真、愛知川の対岸にある集落。
背後には三重県との境の御在所山の山並みが見える。



右写真、石段を上って、山門に着く。






左写真、山門のアップ。



右写真、明和2年(1765)に再建された本堂。
近江には葭葺き屋根が多かったそうだが今ではほとんど見られない。
この本堂は我国屈指の葭葺き屋根とのこと。





左写真、蔵の白壁に紅葉が映える。向こうは法堂。



右写真、法堂。







左写真、「不許入門」と書かれた専門道場。
禅寺の雰囲気だ。



右写真、「茶筅塚」。
「宇治は茶所、茶は政所」とうたわれる政所茶は永源寺五世越渓秀格禅師が伝えたので、茶筅塚が建っているのかな。




永源寺ダムのさらに上流、御池川沿いに政所・九居瀬・黄和田・箕川・蛭谷・君が畑の六ヶ村がある。
これらは政所六ヶ畑と総称され、政所茶と木地師の里として有名。
政所六ヶ畑は地味も低く、霜の害があって粟や黍などの雑穀しか造れなかったが、
永源寺五世の越渓秀格禅師により茶が伝えられると、優れた茶の生産地となった。

左写真、愛知橋。帰路はあの橋を渡って、川の左岸側の道を下ってくる。



右写真、境内の最後に燃えていた紅葉。







左写真、コレが今年の見納めの紅葉になった。



右写真、画面中央に永源寺ダムが遠望できる。







左写真、愛知橋から下流を写す。



右写真、愛知橋から上流を写す。







左写真、戻ってきて、旦度橋から下流を見る。



右写真、旦度橋から下流を見る。
永源寺は正面の紅葉の山の中にあるはず。






左写真、折角だから永源寺こんにゃくのおでんを味わった。




16時半に永源寺を出て、愛知川の右岸の道をとばして走り、八日市インターへ急いだ。
幸い名神ハイウェイバスが大分遅れていたので、名神八日市バス停発16:42に乗車できた。