オホーツク10日間

            コース: ウトロ〜知床テント2泊〜斜里〜網走湖
            期間 : 1996年8月7日(水)から10泊11日

1日目
関空発のANAで女満別空港に着いた。
JRで網走から斜里に向かい、後日カヌーを止める斜里港の漁協事務所に挨拶に行く。
昨日、知床半島のルシャで強風のためカヌーの転覆事故があったと知らされ、気が引き締まる。
斜里からウトロまではバスに乗り夕方、ウトロ西端の民宿に到着。
夕食時に、向こうも一人旅の同年輩の方と酒を酌み交わす。
50ccのミニバイクで旅をしているとのこと。話す内に共通の知人が居たりで盛り上がる。
その人がウトロ川で釣ったという25cmくらいのイワナの焼きたてをご馳走になる。
このあたりの人は海に大きな魚がいるので、川魚はあまり釣らないらしい。
その一夜の友は翌朝バケツに一杯分釣り、クール宅急便で京都の自宅に送ったそうだ。
NHK3chによると、明日の網走の予想気温は最高20、最低15度、極楽。立秋であった。

2日目
朝、民宿の裏手で早速、フジタの新艇PE−1−430を組み立てる。 
知床観光船(12:10発、所要3時間半)に乗り、半島先端まで往復する。岩尾別で山からの風が強くなる。
ルシャ辺りではメチャクチャ強風でキャビンに入るよう船内放送あり。明日からのツアーでは風に注意が必要だ。
また、硫黄山、カムイワッカの滝までは大小の観光船が次々に往来するのでテントを張る場所にも悩みそうだ。
カモメが大勢で愛嬌を振りまいてくれた。

          知床の岬の巌 静かなり 

                                    飛ぶや飛ぶ 知床鴎 オホーツク

3日目
海を見て出漁を諦めた漁師さんに見送られて、ウトロを出発。関西の6月くらいの気温である。
途中で冬装束を脱ぎ、知床の絶壁に沿って漕ぎ進めると、風が強くなり寒くなった。
ゴロゴロ石の浜に緊急着艇し、カヌースーツ上下を身に着ける。(アクシデントあり。チャインバーがフレームから外れていたので、一度エアーを抜いて無理矢理はめ込んだ。
原因は、2泊3日分の飲料水、食料を中心とする大積載荷重のまま、民宿から手伝ってもらって30mほど艇を運搬した時に大きく撓んだためと思われる。
再出発。
知床らしくない唯一の砂の浜、岩尾別の沖で休憩する。
そのうち、羅臼岳よりの吹き下ろしの風が強くなり、波の上を海水が走る。漕ぐしかない。前進。

エエイシレト岬(尖った岬の意)の1km先に玉石、一部大きな砂利の浜を見つけ、着艇、昼飯。
定置網が浜の左右にあるため、観光船も遠くを行き交う。
この幅200mほどの浜は左右が絶壁で、後ろの山も急勾配なので、熊も降りて来るまい。
西端には水の流れもある。テントを張るには丁度よいではないか。ゆっくりしよう。知床まで来てあくせくすることはない。
予定を変更して、ここを今回の知床ツアーのベースキャンプに決める(右写真)。
キャンプ道具をおいて、硫黄山を見ながらカムイワッカの滝まで往復する。
滝で半島を回って来たシーカヤック二人艇の若者二人に会う。ルシャは大変だったとのこと。
テント場に戻って休んでいると、先ほどの若者が沖を漕いで行き、パドルを振っている。
こちらも大きくパドルを左右に振って応答する。元気でナァ。
西の水平線上に帯状に薄く雲がかかっているが、きれいな夕日が感動的であった。
テントを水際近くの寝心地の良さそうな平らな小石の浜に張ったが、潮が満ちてきたためゴロゴロ石の上に引き上げた。
夜、寝転ぶと天空は一面の星。ざっーと数えると、150。
その後、さらに空が晴れてきたのだろう、300以上見える(概算)。
よく見ると天の川の無数の星が見えるではないか。22時前、西の空に流れ星有り。
テントサイトのウトロ方向の絶壁の上にほんの少し明るさがある感じ。他は漆黒の世界。空には静かに満天の星。
遠くに1つ見えていた漁船の灯もいつの間にか消えている。ランタンを消す。
ウォークマンで知床ツアー用に編集したテープを聞く。
「知床旅情」「岩尾別旅情」「オホーツクの海」「襟裳岬」等。ウイスキーをちびりちびり。
「岩尾別旅情」が一番合っていた。流れ星がまた流れた。

この私のキャンプサイトは「ペセパキ(断崖の途切れたところ)」と呼ばれているとのこと。
「知床半島の地名と伝説」(斜里町知床博物館・刊) 知床に2年ほど住んでいた晴航雨読のアッチャーさんに教わった。

             
オホーツク 海いっぱいに夕焼ける      岩尾別 羅臼の岳に雲かかり

                          満天の十倍の星 オホーツク


4日目
朝、北東方向への出艇前にチャインバーのジョイント部が抜けているのに気づき、組立て直す。
(昨日のアクシデントの根本原因。なお帰阪後、フジタの若社長、亮氏に報告すると、既にもう抜けないようになっているとのこと。
流石はフジタさんである。私の艇もすぐに改良してもらった。)
我がベースキャンプ地点は、羅臼岳から北東方向・硫黄山に延びた稜線が海にせり出した断崖絶壁部とルシャ川辺りから広がる低地に続く原生林部との中間点のようだ。
昨日は途中の岩尾別の砂浜を除くと絶壁の連続であったが、今日は知床の原生林を見ながらの快適なツーリングである。
晴天の下、お日様に照らされて途中でカヌージャケットを脱ぎ、オホーツクを悠々と漕ぎ進む。
カムイワッカの滝、ウンメーン岩を過ぎ、暫く行くと左舷10m前方でイルカがジャンプして海にもぐった。
その音に気づき下半身だけが見えた。

やがて、ルシャが近づく。低い白雲が羅臼方面から半島を横切り北西に抜けて流れている。
急に右舷前方から強風来襲。寒くなりアノラックを羽織る。
必死で漕ぎ、前方断崖手前の番屋を目指すが進めない。
あきらめて岸に向かうが、漕げども漕げども艇は進まない。
2、30m漕ぐのに30分ほど掛かったのでは?
風が少し緩んだ時に少しづつ進む。
ようやく、着艇。ルシャの1kmぐらい手前か。今日の肉体労働、奴隷船はこれで終わり。

昼飯休憩の後、帰りは、左手の原生林を楽しみながらのピクニック気分。
カムイワッカの滝近くで上陸し、滝の真下まで行く。
滝とその上に広がる青空の美しい色を暫し眺める。
やがて次から次へと大型観光船、クルーザー等がやって来た。
穏やかなので沖合に出て知床連山の写真を撮りながらパドリング。
やがて、我がベースキャンプの浜の西端に着艇、絶壁際に沿って流れる水に頭をつけ顔を洗う。
シャツを脱ぎパンツも下げて冷たい水で体もろとも洗う。最高に気持ちがいい。
2日間の大汗を流す。上半身裸のままライフジャケットだけは着けて100mほど東のテントサイトに漕ぎ帰る。
今日も西の空、水平線上に薄く雲があったが、夕焼けが最高であった。
17時を過ぎると観光船等も通らず、オホーツクを独占。本日漕行、直線距離で20km。


        
知床や 緑陰映すオホーツク           知床の海鵜たまり場 ウンメーン岩

           知床のルシャに白雲 疾く流れ          知床の海に落つ滝 カムイワッカ


5日目
知床での2泊3日のソロツーリングを堪能して、左に5湖の下の断崖を見ながら岩尾別に向かって漕ぐ。
途中でシーカヤック1人艇の二人連れに会う。ルシャ付近までの往復(テント1泊)ツアーとのこと。
本日、天気は曇り、風波なし。岩尾別に10時前着艇。ちょっと早すぎた。
岩尾別川に沿って歩き、さけ・ます孵化場を過ぎて、ユースホステルまで行く。
シーカヤックが2杯置いてあるではないか。半年前に電話で聞いた時にはカヌーで来るのは禁止と言っていたのに。
ゆっくり休憩し、チキンラーメンを食って出発。知床を振り返ると、ルシャ付近の海上にはやはり今日も白雲がたなびいていた。
知床ツーリングを惜しみながら夕刻、ウトロの一昨日の出艇地に戻る。
民宿で洗濯の山を片づけ、ズワイガニをつつきながら久しぶりのビールを味わう。(加重オーバーで、ビールは積み込めなかったのだ。)

            羅臼岳見上げて漕ぎぬ オホーツク


6日目

ウトロ発8時半。昨日までののんびりツアーと違って、今日は斜里港までの35kmを漕がねばならぬ。
最初の5km地点のオシンコシンまでが遅かった。こんなペースじゃ斜里は遠い。頑張る。
結果的に、知布泊(チップトマリ)に予定より早く、昼前に着く。
その前に海上で小さな漁船に出会い、挨拶を交わした。
知布泊港外の浜に着け、携帯食のゼリー飲料と羊羹を食っていると、先ほど出会った漁師が上の道から「上がれ」と呼ぶ。
呼ばれるままに上がっていくと、家に居たカミさんが上がれと言う。上がれというのは、家に上がれということだったのだ。
面倒だが、お言葉に甘えてカヌーブーツを脱ぎ、スプレースカートのポケットのタオル(顔の汗拭き用)で足を拭き、板の間の端に上げてもらう。
カミさんが忙しげにみんなの昼餉の用意をしている。どうやら昼飯を食って行けということらしい。
ちょっと待ってくれ、こちらは今日はゆっくりしていられないのだ。ランチメニューも最短コースで済ませたところだ。
誠に申し訳ないが、昼食前に辞すことにする。新鮮な漁師料理を食い損ねるのは非常に残念であるが、仕方がない。
家の外に出ると、先ほど捕ったばかりのウニを割って呉れる。うまい。
カミさんがスプーンを持ってきてくれる。計3個もご馳走になった。
軒先に立て掛けてあった3〜4mのタモで船から捕るそうだ。実にうまかった。
若い漁師が言うには、一昨日はオシンコシン崎で強風のため漁船が沖へ流されそうだ。
親爺が斜里は、かすかにタワーが二つ並んで見える、あそこだ。午前は逆潮だったが午後は潮に乗れば速い。
ウトロからここまで3時間なら斜里までも3時間で十分着くと教えてくれた。
たっぷり休憩しウニで栄養をつけて、潮に乗りスイスイ進む。
峰浜はキャンプ場になっていて海水浴客も数人いた。
地図で知ったのだが海別(ウナベツ)岳麓の海岸近くにスキーのコースが3本見える。
後で聞くと、オホーツクに向かって滑る日本唯一のスキー場とのことであった。
やがて小雨が振り出しヤッケを羽織る。奥蕊別川(オクシベツガワ;いい名前ですね)の河口から見上げる雲間の斜里岳は絵になっていた。
「以久科(イクシナ)原生花園」の東端の砂浜に着艇し、原生花園を散策する。
陸でも誰もいない独り占めの大自然を満喫した。
小1時間たって浜に戻ると、同じ年格好の中年の男が広いオホーツクの浜で一人でマスのルアー釣りをしていた。
サラリーマンだが、盆休みで故郷に帰ってきた由。月に数回、知床、オホーツクで釣るとのこと。
知床半島最北端の港は今は釣り禁止になっているが、あそこは最高に綺麗と言う。
釣り仲間を船で連れていった時には誰一人として言葉も出なかったくらい綺麗だったと言う。
自分は2日目に観光船から双眼鏡で見ただけだが、知床最北端には本当の秘境の美しさが残されているのだろう
。彼の話によると、お盆にはオホーツクの定置網を揚げる決まりになっていて、その時には特に夜、マスが浜辺に近づくので、懐中電灯で照らしながら、直径30cm以下(規則)のタモで掬うのだそうだ。
10本も捕れることがあると言う。
やがて、斜里の漁港に入った。
「ホク毛カニNo.180」という様な標識を付けた漁船が並んでいる。
下見をして漁協の了解を取っていた一番奥のスロープに着艇。漁協事務所は2階にありスリッパに履き替えて上がる必要があるため、ずぶ濡れの格好ではちょっと無理なので挨拶は明朝にする。
荷物をまとめていると、5時のチャイムが鳴った。JR斜里駅前の伝統ある旅館に向かう。

 
               オホーツク 網を揚げおり 盆の前

                       オホーツク 漁師が呉れた 雲丹3つ

                             斜里岳に 白雲途切れる時のなし

7日目

今日は天気晴朗なれど安息日である。4
日間のオホーツクでのパドリングの疲れと気の緩みで、朝食後ボォーとする。
芯からの「ボォー」。こういうボォーは最近、長いこと味わっていない。体はちょっと気だるいが気持ちがいい。
昨夜、ジャガイモ焼酎を飲み過ぎた所為もあり、畳に大の字に寝転がる。
10時半頃、旅館の若女将の買い物用の錆びた自転車を借り、まず漁協事務所にお礼の挨拶に行く。
愛艇のコックピットカバーを外し、金属部にオイルスプレーを掛ける等整備完了。
これで明日から3日間のオホーツクも存分に漕げる。
今日はパドルに代えてハンドルを握り、斜里の町をサイクリング。
斜里川を見て斜里橋を渡り西に向かい、オホーツク沿いの草原群落の砂利道を走る。
浜辺に向かう細い道に自転車で分け入る。
今回のツアーで初めての日本晴のもと、大海を見る。ここでようやく一輪のハマナスを見つけた。
帰り道で雲に覆われた海別岳を背景に草原群落と記念写真。次に斜里川の東に向かい、「以久科原生花園」を目指す。
入口近くで観光客らしき男女3人組に出会う。コンニチワ。その後は原生花園を独占散策。
帰路に寄った斜里町立知床博物館も良かった。
5時過ぎにお風呂に入り6時から夕食。今日も毛ガニ等の大ご馳走であった。
斜里郡は、知床岬から濤沸湖までのオホーツク海に面した広い区域で、ここはその中心街である。
今日は晴れ渡った暑い日で、旅館の寒暖計は30度近かった。

  
              浜茄子に 棘のあるのを知らざりき   


8日目
快晴のもと斜里港を出艇。
「小清水原生花園」の西端の濤沸(トウフツ)湖を目指す。
途中あまりに暑いのでオホーツクを泳いだ。
まず知床の方へ泳ぐ。冷たくて気持ちがいい。大きなブヨが泳いでいる顔の周りまで寄ってくる。
向こうさんにとっては久々の大御馳走なのだろうが、本当にひつこい。
その後、本日の中間点でチキンラーメンを食った時には風が出てきて、泳ぐには寒くなっていた。
小清水原生花園の砂浜に着艇し、大勢の観光客に混じってコースを散策。
その後も原生花園の砂浜に沿って漕ぎ進み、途中で上陸して花園に侵入する。
道などある訳が無く、ひょっとすると有史以来、私が最初に入る哺乳類かも知れない。
景色は素晴らしいが、一面に茂っている植物には棘があり、ブヨ等の虫類の総攻撃に遭う。
顔の前をタオルで振り払った時にサングラスを茂みに落としたが、虫に追われてそのまま退散。
やがて濤沸橋が見えてきた。橋をくぐり濤沸湖へ漕ぎ入れる。水深は浅いがカヌーはなんとか進めた。
白鳥公園の出臍部に水面に向かって梯子が付いていたので、艇をそこに係留する。
30数年ぶりに今夜の宿はユースホステル。
白樺林の中にある牛舎をデザインした赤い屋根と白い壁の洒落た建物。5130円の前払いでシーツを受け取る。
5人部屋の4人目、2段ベッドの上。18:30夕食。
男女若者10人ばかりの中に中年が1人。飯を3杯食ったのは自分を含めて3人。ビールは無いが、腹はふくれた。本日漕行30km弱。

        
一人漕ぐ 夏大空のオホーツク    オホーツク 知床めざし泳ぎける

          炎天の水の冷たさ オホーツク    濤沸湖 ユースホステル 赤い屋根

9日目

4時過ぎに目覚める。
折角だからと知床半島から昇る朝日を見に行く。
サイクリング一人旅の女の子はもう出発するところだった。
あいにく東の空に雲があり、日の出は見えそうにない。それでも湖畔の牧場に行くと、雲の隙間から真っ赤な太陽の下半分だけを見ることができた。
朝食後、まず濤沸湖をカヌーで1周する。
昨夜、ペアレントから聞いたサッポロビール用の麦刈は終わっていた。
その後を大きなワッパを付けたトラクターで引き、牛馬の飼い葉用に麦の茎で特大のバウムクーヘン?を作っているところだった。
その前後に砂糖大根(ビート。葉っぱが大根のようで、根に近い方はキャベツのようであるとのこと。)かジャガイモ(男爵は白い花、メークィーンはピンクがかっているとのこと。)の青い畑の広がる光景をようやく見つけ、カメラに収める。
(十勝では小豆等の豆を加えて4種類の作物を順次植えているが、網走では3種類しかできず4種類目が欲しい。
日本1の畑作地は十勝、網走は2番目であることも昨夜ペアレントから聞いた話。)

濤沸橋をくぐり、オホーツクに出る。藻琴橋を確認し、鱒浦の北の漁港沖を通過。
網走港手前の浜に着艇。
携帯食の昼食休憩後、網走港手前の防波堤(先端に赤い灯台あり)を目指す。
波高が1.5mになった。ようやくオホーツクが本性を見せてくれたのだろう、気合いを入れて漕ぐ。
防波堤の袂にいたタンカー(そう言えば、休憩時に出光のタンクが並んでいるのが見えていた。)がいきなり動き出してこちらに来る。
後で考えるとタンカーからは波間に隠れる小舟など思いもよらず目に入らなかったのでは?  
慌てて全速前進するが、幸い、追風追波。タンカーは我艇の後方を、ゆっくりとオホーツクを太平洋の方に向かった。

網走港に入る。
外港の入口で鷲が赤い灯台の防波堤上にとまり出迎えてくれた。
内港に入ると、底引き網漁船の軍団が並んでいる。斜里港の長閑さと異なり、網走は厳しさが溢れている。
どの船も日の丸を掲げている。大漁旗も目につく。そうだ、今日はお盆の15日、みんなロシア国境付近の海から帰ってきたのだ。
ご苦労様。防波堤で釣り糸をたれていた若者が30cmほどのを釣り上げる、ウグイとのこと。防波堤に向かうオッチャンも50cmくらいのタモを持っている。流石、この海の獲物は大きいのだ。
今日と明日の宿である網走湖の湖畔のホテルに向かって網走川を遡り、漕ぎ進める。
網走駅前の橋をくぐり、暫く進むと川幅全体に竹のヤナが組まれていた。
カヌーに並行して川沿いを自転車で走っていた長髪の若者が心配そうに見ている。優しい青年だ。
ヤナにボートを横付けして上がり、艇を竹の上に引っ張り上げ、無事越せた。青年も安心して走り去った。

右手に見える広い敷地の網走刑務所の林が美しい。
要所要所にある見張り台がちょっと気になる。
蛇行を繰り返し漕いでいると、突然前方で大きな魚が3、40匹一斉に水面に盛り上がった。
あっちこっちに大きな魚影の群が見える。マスのようだ。

やがて湖に出た。オートキャンプ場があり、テントが何十と張られている。
バイクも多い。ようやく目指すホテルの桟橋が見えた。
オホーツクを漕いできた愛艇を静かに着けて、まず、塩を十分に抜いてやった。
防水袋の荷物とウトロから宅配便でフロントに送っておいた知床のキャンプ用品を入れた大型バッグを台車に乗せて女の子が部屋まで運んでくれる。
こちらはさんざん遊んできたのに気が引ける。
名物の道東一の大温泉浴場にゆったり漬かり、レストランでは札幌生ビールを十分に飲む。本場の新鮮なビールは実にうまい。本日漕行35km。

                 
網走の港に見張り鷲が立ち

                    網走の毛ガニ漁船の日章旗


10日目
網走湖を1日漕ぐ。
呼人(ヨビト)半島を回り、小雨の中、湖の東岸をJR女満別駅近くまで行く。
五万一の地図で湖の南東岸に「女満別湿性植物群落」と書いてあるので、きれいな花でも咲いているのかと追風、追波に乗って漕いで来たが、呼人半島と同じ様な景色であった。
それでも小さな葦に似た草や水草の仲間等、水辺の植物群には風情があった。
それに、針葉樹が1本も無く原始のままの広葉樹ばかりなのに気がついた時には感激した。太古の自然がここに残っているのだ。
ラムサール条約の値打ちがよく分かった。
途中、拡張工事中の漁港と集落が1カ所。その先で、雨の中をウインドサーフィンしていた3人の男。
後は大自然のみしか見えなかった。
帰路は向かい風、波高1〜1.5m。薄暗く、雨で視界がきかない。
冬のオホーツクを連想させてくれる。昨日までが恵まれ過ぎていたのだ。
ツアーの最終日に、しかも連泊の宿からの往復で不安要素がないタイミングにいい経験をさせてもらった。
知床から宅配便で送った冬用のカヌースーツが役に立った。やはり夏のオホーツクでも冬装束の用意が要る。
復路は往きの1.5倍の時間がかかり無事帰着。夜、大温泉に2回入った。
昨夜の残りのジャガイモ焼酎に北見のハッカ油を加えると実にうまい。
まさに北海道の味だと一人悦に入り、今日、雨の原生林の中で見た遠慮がちに咲いていた赤紫の小さな花を思い浮かべながら杯を重ねた。
時計は24時を回ったようだ。ぼつぼつベッドに入ることにするか。本日漕行30km。

                              
網走湖 小雨にかすむ 自然林

11日目


7時起床。温泉に入ってから朝食。一晩ツインの部屋で贅沢に乾かしておいた愛艇をたたみ、宅配便で自宅に帰した。
本日は快晴。今日網走湖を漕ぐと最高だろうと思うと、ちょっぴり残念。
ホテル前から空港バスに乗り、女満別へ。14:10無事関空へ帰着。




【参考地図】

次の2葉の地図、「知床半島」と「網走湾」は、何れも海上保安庁刊行の海図「国後島及付近」(平成7年5月補刷)より抜粋・コピーしたものである。

知床半島の地図





網走湾の地図