宇治川と背割堤の桜
          ーーー 宇治川・JR鉄橋〜淀川・枚方大橋 ーーー

                 クラブ・ザ・ファルト 2007年4月例会 (企画:吉田リーダー)
                 月日 : 2007年4月8日(日)
                 場所 : 京阪電車・宇治駅前スタート、枚方大橋上がり


左写真、出艇地の上流側。
JR奈良線の京都行き電車が宇治川を渡っている。すぐ上流に宇治橋。



右写真、7艇が縦隊で進んでいく。10:25
前方の橋は京滋バイパス。






左写真、緩やかな瀬をいくつか楽しんだ後、ゆったりと宇治川を下る。




右写真、新観月橋、続いて観月橋。
その先に、近鉄鉄橋。
右岸に料亭の三十石船が見える。





左写真、近鉄鉄橋。



右写真、遠景は第2京阪道路の巨椋大橋。








左写真、三栖ミス洗堰



右写真、三栖ミス閘門








秀吉の時代の巨椋池沿岸図
三栖閘門の歴史】

1922(大正11)年に伏見の町を水害から守るため、宇治川右岸の観月橋〜三栖の堤防工事が始まって、伏見港と宇治川が分離された。
1929(昭和4)年、三栖閘門が建設され、宇治川と濠川との4.5mの水位差をクリアして船が行き来できるようになった。
当時は、旅客を乗せた蒸気船や石炭の輸送船など年間2万隻以上が通航していたが、陸上運輸の発達で、
昭和30年代に入ると、貨物船による輸送が減少し、1962(昭和37)年、ついに淀川の舟運はなくなった。
さらに、1964(昭和39)年、天ヶ瀬ダムの完成で、宇治川の水位が大幅に低下し、閘門はその役目を終えた。
      (月桂冠HP参照)



淀川舟運の港町・伏見の歴史は、三栖閘門資料館HPに詳しい。


右の「秀吉の時代の巨椋池沿岸図」は、三栖閘門資料館HP より転載させていただいた。
当時の宇治川、桂川、木津川の流れや、淀城の位置が分かる。








左写真、第二京阪・巨椋大橋。



右写真、国道1号線・宇治川大橋。








左写真、巨椋池の排水機場。



右写真、淀大橋。








左写真、ガス管橋。



右写真、京阪電車の鉄橋。








左写真、京滋バイパス。大山崎ジャンクションは右方向すぐ。
前方には、御幸橋が見えている。
御幸橋をくぐって、背割堤に着艇した。12:05



右写真、桜の下で弁当を広げた。


 『 花の昼 こぼれし花の 地に向かひ 』



左写真、背割の桜を惜しみながら、漕ぎ出す。
13:25



右写真、宇治川は左を流れている木津川と合流。







左写真、上流側を写す。左が宇治川、右が木津川。
真ん中の茂みは背割堤。木津川の流れの向こうに湾曲する背割堤の桜が薄く見えている。


右写真、枚方大橋の上流側左岸の河川敷公園に着艇して、艇を乾かして畳む。 15:10