日野・方丈石     2012/06/06



【案内】

日野山ハイクのお誘いです。

   記
@山:日野岳(伏見区)〜歩行時間は約4時間(山中にトイレなし)
A日時:平成24年6月6日(水)雨天中止
Bコース:山科駅〜地下鉄山科〜地下鉄石田〜法界寺(親鸞生誕地)〜誕生寺(親鸞生誕記念寺)
     〜長明方丈石碑(鴨長明庵跡:方丈記を執筆)〜供水峠(こうすい峠)〜日野岳
     〜醍醐寺〜地下鉄醍醐〜地下鉄山科(解散)

  その後の追加変更:先に、本当の方丈庵を捜したい。六地蔵から歩いて1時間。
  草部という旧龍大教授が、現在の場所が違うという。
  六地蔵に近い。六地蔵から東にある平尾台の東の谷合い。谷道も無くなっているかも。
  ただし、そうなると、全体的に1時間30分ほど遅れる。


【GPS歩行軌跡】
  スタート:flagのポイント。ココまではタクシー
  ゴール:地下鉄醍醐駅





その1 【「方丈庵」の探索】      Nakamuraさんのレポート


鴨長明の「方丈庵」探索 

 平成2466日(水)、友人の西野氏と二人で、草部了円氏が特定した鴨長明の「方丈庵」を探しにいった。
承元元年(
1208)、鴨長明54歳のおり、大原から日野に移住、建暦2年(12123月末、ここで方丈記を書く。建保4年(1216)、世を去る。
終焉地と墓は、不明。

鴨長明は、下賀茂神社の神官(支流)の子として生まれ、下賀茂神社の禰宜を嘱望していたが思うようにはならず、その後、努力して後鳥羽院のもとで、和歌管弦の寄り人となった。
建仁
2年(1202)頃、下鴨茂神社(正確には、賀茂御祖神社)の摂社の禰宜に欠員が生じ、それに補されることを望んだが、思いもよらない横槍が親戚からはいり、補されず。
建仁3年(
1203)頃、長明49歳のおり、後鳥羽院が特別に代わりを長明に提案したところ、それを拒否して出奔してしまう。
名誉や地位に執念を燃やす己の生きざまを「無益のこと」と振り返る精神を書き残しているように、大原で出家して仏道に打ち込んだらしい。
長明が日野に大原から移転に移転したきっかけは、日野氏の一人(日野長親「禅寂」)と大原で知己となり、土地の提供を受けたことによる。

 鴨長明は方丈庵では、友人と散策を楽しみ、時には、近江まで遠征するなど、活発な側面を持っていた。

(写真1)  (写真2)   

(写真3)

 「写真1〜3」は、草部了円が指摘した「方丈庵」の場所と考えられる。(撮影位置:GPS軌跡の南端)


 草部氏の論文には、「現在の場所(写真6)は、方丈記の文意も付近の地理的な検討も十分行わず、好事家によって出鱈目に建てられたに過ぎない。
学問的な信憑性は全くない」として、「記述内容を検討して、この日野山付近の地形を案する時、最もその条件に適した閑居の地と目せられる場所としては、
天下峰の麓でその西北と南の裾を伝わって流れる、二つの小川の合流点を今少し谷に沿って奥まった所に少地がある。
ここならば、方丈記の表現に適合する」として、ここでは割愛するが、細かく真の方丈庵旧跡を立証している。
「方丈庵」は、一切無駄がなく、身の丈に応じた住まい、必要最低限の間取りと所持品を方丈記に記している。
4畳半の広さの部屋。モデルルームが下鴨神社にある。
家は(4ページを参照)、組み立て式、大原から運んできて組み立てたそうである。
寝床は、わらびの枯れ草を使用したと方丈記に書かれてある。

 写真2にある小川は、西北から流れており、写真には写っていないが、本小川の画面右下で南から流れてくる小川と合流している。

 写真3は、西向きに撮影した。合流した小川は、人物の後方を流れている。
現在は、この地点から西にある平尾山(
129米)や御倉山(85米)は樹木と家屋のため、視界はなく、見えないが、
「谷しげけれど西晴れたり」と方丈記にあるようにこの場所には西日が当たる。

 なお、この少地は、なぜか植林されておらず、何を建てるわけでもなく、下草は刈り取られてあった。 

この推定地は、日野集落の日野薬師(法界寺)から南、天下峰と御倉山の間に流れる小川沿いにある。
現在、山科自動車学校(写真5)を南に少し歩くと、小川に架かる簡易橋(写真4)があり、それを渡り、小川右岸の里山道を
100メートルほど遡ったところである。
里山道も下草が刈り取られてあり、藪コギを予測していた私には、予想外であった。


(写真4) 小川に架かる簡易橋















(写真5) 山科自動車学校(南方向から撮る)

住所:伏見区日野奥出56 

電話:075−571−8841












(写真6)

現在、一般に方丈庵特定地(写真6)とされているトコロは、
草部了円のいう方丈庵史跡から日野にある親鸞生誕地と伝わる法界寺まで約1キロメートル、
ここから日野岳(または日野山)の南を通り、供手峠を経て炭山に向かう山道の途中にあり、
方丈石碑が建っている。この石碑には、明和9年(
1772)に岩垣彦明建立とある。

この場所は、草部了円が「東に3尺余りの廂を設け、南に懸樋を引く広さなどの余裕はなく、家を建てる広さなどもない」
と述べている通り、土地は大岩の上で狭く、谷の傾斜がきつく、西日は、少しだけしか当たらない。
また、方丈記に描かれてある方向の眺めも遠望できない。









長明は、「峰をよじ登りて遥かにふるさとの空を望み」と記しているが、
当日、6月6日は幸いにして晴れわたり、私たちは日野山にも登り、尾根を北に向けて(醍醐寺方向)歩いた。
京都から鳥羽、淀の向こうに山崎、右に西山連山、男山、今は無き「巨椋池」干拓地などが手に取るように見える場所が、一箇所だけある。
その場所は大変狭く、尖った硬い岩石が露出しており、今は「パノラマ台」と名づけられている(左の写真7)
この場所に長明は佇み、子供の頃、父を亡くして孤児になり、そのため、祖母に育てられた故郷(京都・西山)の空を眺めたのであろうか。













作家の佐藤春夫は、「自分は方丈記・つれづれ草の両著の新しさに先ず驚嘆した。到底、
6百年前、7百年前の著述とは思えぬばかりの新しい生命が脈動している」と述べている。

                                                                  平成2467日 中村健一(文・写真)

<参考文献>

*草部了円「鴨長明に関する研究」初音書房、昭和46

*今成元昭訳注「方丈記」旺文社文庫、1981

*三木紀人著「日本周遊古典の旅」新潮選書、1990

*佐藤春夫著「打出の小槌」講談社学術文庫、1990

*三木紀人著「方丈記とつれづれ草」青春新書


【方丈記(「無常のことわり」の最初の部分)

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。



【方丈庵のイラスト】

 下図は、朝日百科・日本の歴史〈新訂増補〉(2005/1/30 朝日新聞社)から抜粋転載させて頂いた。
 イラストで見ると、現実感が出て、なかなか面白い!








その2 【ハイキングの概要】 


 歩行軌跡は冒頭の如し。以下に主な写真を示す。


   

   左写真、草部了円説の鴨長明「方丈庵」跡地らしい。

      中写真、正明寺。

         右写真、法界寺山門。

 【法界寺】 一般に日野薬師と呼ばれる真言宗醍醐寺派の古刹。南を木幡山、東を山科盆地、西を御蔵山に囲まれ、北に眺望が開く風光明媚な景勝の地にある。
      「日野」は名門藤原北家の傍流である日野家の伝領地であり、平安の頃は皇室や公家の遊猟地とされ、桓武天皇も幾度か猟に興じた記録が残っている。 
               from 日本建築の美

   

   左写真、正面は阿弥陀堂。

      中写真、阿弥陀堂(国宝)は、藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響で各地に建てられた阿弥陀堂建築の一つ。

         右写真、
木造阿弥陀如来坐像。

          法界寺にある平安時代作の国宝彫刻で、阿弥陀堂に安置されている。
          平等院鳳凰堂ご本尊に最も近い定朝様式の典型的な優れた仏像で、寄木造、漆箔、八角九重の蓮華座の上に飛天光を背にして坐る。
          丈六、上品上生(弥陀定印)の像で、穏やかな慈容に流れるような衣文をたたんで薄い衣をまとい、円満豊麗な藤原時代阿弥陀仏を代表する。
          常時公開…国宝阿弥陀堂内陣。     from 京都観光Navi



   

   左写真、長明方丈石

      中写真、供水コウスイ峠すぐ手前(北西方向)にある石仏。画面右手は商人の姿。

         右写真、
画面の右手、祠の右後に水が湧き落ちている。渇いた喉に旨かった。


   

   左写真、上の石仏のトコロに建つお堂。四方とも入口がない。 太子堂?

      中写真、供水コウスイ峠。

         右写真、供水コウスイ峠。


   

   左写真、パノラマ台からの眺め。画面右奥、石清水八幡宮の丘の向こうに楠葉駅前のツインタワーマンションが見える。

      中写真、醍醐寺仁王門。

         右写真、醍醐寺唐門。


      醍醐寺の堂宇等配置図
                                 下醍醐の堂宇配置図




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