2012/06/17



【案内】

各位
明日の大阪は、急に「曇り」と変更されています。
中止しました明日の堺街歩きですが、
まだ、明日を空けておられる方は
JR天王寺駅中央改札口9:30にお集まりください。

【参加者】 香川、杉本、中村、西野


【GPS歩行軌跡】

  天王寺駅前から阪堺電車に乗って、住吉で下車。
  下のGPS軌跡図は、阪堺電気軌道・住吉駅(flagのポイント)からスタートし、妙国寺が、ゴール。
  ただし、”ちく満”でのランチの後、くるみ餅の”かん袋”、南宗寺、妙国寺への移動は車だった。(もちろん、案内はウォーキングだったはず。)
  また、妙国寺からも車で送っていただいた。感謝!!!

  本日は堺のグルメツアー?
  大阪堺にある老舗の有名グルメ紹介「ちく満」のせいろそばと「かん袋」のくるみ餅


    


 まず、住吉さんへお参り。

     

   左写真、境内にある田圃。
        3日前の6月14日に「御田植神事」が行われたそうだ。(重要無形民俗文化財)
        今日は画面右手で桟橋の撤去作業をしていた。

      中写真、読売新聞によると、白い衣装に赤い襷を掛け、菅笠を被った替植女ウエカエメ約50人が、神前に供えられていた苗を植え、巫女や子供たちが田植歌や踊りを披露したとのこと。

           田圃を眺めながら、先ほど仕入れた住吉菓庵・喜久寿の饅頭で10時の休憩。(9時半、天王寺集合だった。)

         右写真、この絵馬堂のような建物の軒先に座っていたのだが、この建物の梁は紀伊国屋文左衛門の船の帆柱だったとのこと。ココまで海だったのだろうナ。

    住吉鳥居前から再び、チンチン電車に乗って、大和川を越え、堺市に入る。綾ノ町で下車。


紀州街道を下る。
この辺りの紀州街道は、元和の町割によって堺市街地における南北方向の基幹道路として整備され、「大道ダイドウ」と呼ばれるようになった。
この時、堺市街地の東西幹線の大小路オオショウジも再整備されている。
大小路は環濠都市・堺の概ね中央を北西から南東方向に貫いて、大小路より北側が摂津国、南側が和泉国になっていた。
国境の町「堺」を象徴する道だったのだ。国境の道としての役割は、1871年9月に摂泉国境が大和川に変更されるまで続いた。



大道(紀州街道)を少し南下して、まずは、山口家住宅(堺市立町家歴史館)を見学。
65才以上は無料。






続いて、同じ堺市立町家歴史館の清学院を見学。

河口慧海は慶応2年(1866年)、和泉国堺山伏町(現・堺区北旅籠町西3丁)に生まれ、数え年6歳で、すぐ近所の寺子屋「清光堂」(ココ、清学院)で勉強したそうナ。
左写真は、寺子屋の様子。生徒の机は小さい。硯は磨り減っている。先生の机は大きく、ソロバンも大きい。

ココは、堺の町中(旧・山伏町)にある修験道の寺院だったので、不動堂の部屋があり、護摩が焚かれていたそうな。
天井に煙抜きの穴があり、部屋は煤けて黒ずんでいた。
不動堂の本尊は不動明王坐像で、弘法大師、青面ショウメン金剛、役行者、当山派流祖の理源大師聖宝が祀られている。いずれも江戸時代の制作。


堺鉄砲館で熱心な説明を百円で聞いた後、ひたすら紀州街道を(歩いて)南下する。





与謝野晶子生家跡の碑
「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑もある。




中央環状線を渡って「千利休屋敷跡」のすぐ側の蕎麦屋・ちく満へ。
ココは1695年創業の老舗で、「せいろそば」しかないのに、評判がよく、順番待ちだった。

ランチの後は車で、まずは南宗寺へ。






  

   左写真、南宗寺の駐車場から進んだトコロの紫陽花。土塀によく合っている。

         右写真、千家一門の供養塔の前で記念写真。
            背景には、中央に利休の墓、左右に表千家、裏千家、武者小路家の墓が並んでいる。


    

   左写真、武野紹鴎の供養塔。

      中写真、宗祇の門人の連歌師・牡丹花肖柏の墓。

         右写真、開山堂跡に残る「伝説の家康の墓」。
          「開山である大林宗套和尚並びに中興開山である沢庵和尚を祀る開山堂が、昭和20年7月空襲で焼失した。かつて床下にあった卵形の無名碑が徳川家の戦死埋葬碑の伝説がある。」とのお話。


   

   左写真、三好一族の墓。戦国大名の三好元長、三好長慶親子を始めとする一族の墓。
       三好長慶は南宗寺最大のスポンサーだった。

      中写真、方丈前の枯山水庭園。

         右写真、半井卜養家の墓。

  南宗寺をボランティアの方に丁寧にご案内いただいた。



   

   左写真、妙国寺に向かう。「とさのさむらいはらきりのはか」の立派な石碑に案内されて、妙国寺へ。

      中写真、妙国寺には、日本唯一の「蘇鉄の枯山水」庭園がある。大蘇鉄(国指定の天然記念物)は樹齢1,100年らしい。
          
         右写真、妙国寺は、堺事件の土佐藩士切腹の地としても知られ、その供養塔がある。
              はじめ、十一人の墓は妙国寺に置かれる予定であったが、勅願寺に切腹した者を葬るのは不都合という伊達宗城の意見が通り、道向かえの宝珠院になったとのこと。



左写真、宝珠院の幼稚園の運動場隅に墓が見えた。















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