山科駅〜南滋賀駅     2012/12/23



【案内】

 各位
 @日時: 平成24年12月23日(日)
 A集合場所・時間: JR山科駅改札口・9:30
 Bコース: 出発09:30・疎水沿いに東へ・疎水第一立坑跡・小関峠・長等神社・三井寺*・大津歴史博物館横から東海自然歩道へ・新羅三郎の墓・新羅善神神社・弘文天皇陵・法明寺(フェノロサ・ビゲロの墓)・皇子が丘公園*(昼食)・皇子山古墳(前方後方墳・葺石再現)・大津宮跡・近江神宮*・南滋賀廃寺跡。
(*=トイレあり)
帰路は南滋賀駅から京阪坂本線。
JR山科駅前にコンビニあり。
 C弁当・雨具・休憩用敷物必需。靴は疎水(30分)と大津歴史博物館〜法明寺(30分)と皇子山古墳登り降り(10分)が地道。ほかはアスファルトまたはセメント舗装。靴の選択が難しい。好みによってスニーカー、ウオーキングシューズ、軽登山靴のいずれか。

【参加者】 奥田、香川、杉本、永石、中村、西野、真賀里夫妻、松本、吉田



   

 左写真、山科駅近くの諸羽神社。 9:40

    中写真、疏水に沿って歩き始めた。

      右写真、疏水。


   

 左写真、冬イチゴ。バラ科キイチゴ属とのこと。

    中写真、小関コゼキ越えの峠にある地蔵様。(峠の地蔵さん)
       小関越 : 逢坂山関を大関と呼んだのに対して小関と呼ばれた由。

      右写真、地蔵さんの祠の上に背の高い椿と花八つ手。


   

 左写真、峠を下りていく。

    中写真、冬イチゴ繁茂している。

      右写真、右側の小さな石柱が「小関越道標」。
 北国海道(西近江路)から別れて藤尾で東海道に合流する約5kmの道は、東海道の間道として小関越と呼ばれる。
 この道標は、小関越から園城寺(三井寺)へ向かう道の分岐点に立つ。
 三面に、「左り三井寺 是より半丁」「右小関越三条五条いまく満 京道」「右三井寺」と刻まれている。
 三井寺は西国三十三所観音巡礼の第十四番札所、刻銘の「いまく満」が第十五番札所京都の今熊野観音寺を指していることから、
 この道が巡礼道であったことを示す資料ともなっている。
  from 大津市歴史博物館HP

   

 左写真、長等ナガラ神社楼門。明治37年竣工。(明治時代の楼門の代表作らしい。)

    中写真、疏水は続いている。

      右写真、園城寺総門。


   

 左写真、園城寺大門(仁王門)。
     大門通りの突当りに、東面して建つ園城寺の表門。門を通って正面の石段を登ると金堂にいたる。
     元は湖南市常楽寺の門で、秀吉によって伏見城に移されていたものが、慶長6年(1601)徳川家康によって現地に移された(『園城寺再興略記』)。
     三つの柱間の内中央を戸口として両脇には仁王像を安置し、一階と二階の間を回縁とする、三間一戸の楼門である。
     棟札の写しから宝徳4年(1452)の建築になり、蟇股の彫刻や組物に室町時代の特色を示している。  from 大津市歴史博物館HP

          

    中写真、オンドル遺構。
 大津市坂本(弥生町)の穴太遺跡から石組みの長い煙道を持つオンドル遺構が良好な状態で発見された。
 オンドルとは現在も朝鮮半島で使われている床暖房のことで、
 床下に石を並べて煙道をつくり、室外や台所で焚いた火の煙を煙道に通して、床下から室内を暖める仕組みになっている。
 穴太遺跡で発見されたオンドル遺構は3基で、7世紀前半に造られたとされる。
 最も状態の良いオンドル(右写真)は、焚口、燃焼室、煙道から構成されていて燃焼室の左寄りに付いた煙道は2mほどまっすぐ延びたのち、右側にカーブしている。
 現在このオンドル遺構は大津市歴史博物館の前に移築展示されていて「穴太遺跡の特殊カマド(温突遺構)」と説明されている。
 穴太遺跡のある大津北郊地域は古代の大友郷・錦織郷で、百済系渡来人が集中して居住していた地域とされる。
 横穴式石室墳(墓室)が群集し、竈(かまど)釜(かま)・甑(こしき)をセットとする炊飯具のミニチュア土器が副葬品として多数出土している。
    from 滋賀大学 社会連携研究センターHP


  オンドル横のベンチでランチ休憩。  11:30


      右写真、新羅シンラ三郎義光の墓。
 新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。
 新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、
 兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
 義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083〜87)には、兄の義家を助けるため奥州へ出向いて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
 義光は1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。    (from 大津市教育委員会の説明板)

   

 左写真、新羅善神堂。へ向かう参道。朽ちているが、なかなか趣がある。

    中写真、回廊の奥に拝殿が見える。

 【新羅シンラ善神堂】
 園城寺初代長吏円珍が唐からの帰途の最中、新羅明神が現れて船を守ったという伝承から、園城寺境内に新羅明神を祀ったのが始まり。
 源義光はこの社の前で元服したので、新羅三郎と呼ばれた。(兄の義家は石清水八幡宮で元服したので、八幡太郎)。

      右写真、弘文天皇・長等山前陵(「こうぶんてんのう ながらのやまさきのみささぎ」と読むそうな) 。大友皇子
          672年の壬申の乱で、天智天皇の弟・大海人皇子に敗れた大友皇子(天智の皇子)は、「山前ヤマサキ」の地で自殺したとのこと。
 
   

 左写真、
フェノロサの墓(法明院)。
   彼は、法明院からの景勝をこよなく愛し、「どうしても琵琶湖の見えるこの土地で死にたい」という遺言を残していた。
   ロンドンで客死したが、遺言どおり、法明院のこの地に墓が立てられた。、

    中写真、彼の親友のビゲローの墓。

      右写真、石段を上って、法明院庭園へ向かう。
 以下、大津市環境部HPより
 フェノロサの墓があることで知られる法明院(園城寺町246、皇子が丘公園の山手南側)の池泉回遊式庭園。
 庭園の場所は、彼が大絶賛したという絶好の景勝の地と伝えられる。
 雄大な琵琶湖と三上山の風景を借景にし、庭園は2段に分かれた構造になっている。
 庭園の池の東側は、展望台として利用されているところで、琵琶湖を眺めるのによい。

    

 左写真、庭園の門を入る。(¥100)

    中写真、展望台。

      右写真、向こうは茶室。

   

 左写真、庭園には池、池の跡が多い。

    中写真、皇子が丘公園。


  広くてきれいで寒い公園でコーヒータイム。  13:00


      右写真、皇子山古墳。
        1号墳は、四世紀後半に築かれた市内最古の古墳で、全長約60mの前方後方墳。当時の地域首長墓とみられている。
        2号墳とともに復元され、史跡公園として整備されている。国指定史跡。 from 大津よりどり観光ガイドHP

   

 左写真、この古墳からの眺望。琵琶湖がよく見える。

    中写真、繭玉。赤い手はmr.nakamura。

      右写真、「史跡近江大津宮錦織ニシコオリ遺跡」第3地点。
          吉田先生によると、この右手に大津宮の朱雀大路があったそうな。
          官制大観・律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8も興味深い。
                 667年?(天智・弘文) : 近江大津宮(志賀大津宮)〔おうみのおおつのみや(しがのおおつのみや)〕
                天智・弘文

        通り道で、アチコチに、遺跡の第9地点や第7地点などの標柱があった。

      
 
 ”大津京シンボル緑地”にあった歌碑。

   左写真、藤原鎌足の歌碑。
     「吾昔毛也 安見児得有 皆人乃得難尓為云 安見児衣多利」(巻2-95)
     (吾はもや 安見児得たり 皆人の得がてにすといふ 安見児得たり)
     「どうだ。俺はねい、安見児を手に入れたぞ。それ、誰も彼も、皆手に入れにくがって居るという評判の、安見児をば手に入れたぞ。(折口信夫) 
     安見児ヤスミコは天智テンジ天皇に仕えた采女ウネメ。『日本書紀』によると、既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があったとのこと。

    中写真、「秋の田のかりほいほの苫を荒みわが衣手は露に濡れつヽ」 天智天皇 御製

      右写真、額田王の 「君待つとわが恋ひ居ればわが宿のすだれ動し秋の風吹く」 田辺聖子書

 

 左写真、「南滋賀町廃寺跡」の石柱が建っている静かな公園。
   吉田先生お気に入りの公園で、春には桜が見事らしい。
   コノ地は昔から古瓦が出土することが知られていたが、昭和の発掘調査で、寺院の存在が明らかになった。
   その伽藍配置は、塔と西金堂が東西に対置し、これらをとりまいて回廊がめぐる「川原寺式伽藍配置」だったとのこと。
   なお、天智天皇建立の崇福寺、および桓武天皇建立の梵釈寺は別の場所なので、
   ココは、逸名の寺院「南滋賀町廃寺」ということになっている。遺物等から、白鳳から平安末頃まで存在していたらしい。

      右写真、廃寺跡公園を出て、南滋賀駅に向かった。  14時半すぎ。
         左手の家には塀の如く、薪が積み上げられている。



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