芭蕉句碑−02 正念寺、真明寺、十禅寺公園 (湖南市1)


滋賀県甲賀郡の石部町と甲西町が合併して、2004年10月1日に湖南市が誕生した。その湖南市を10月3日に訪ねた。
JR草津駅で下車して、まずは線路にほぼ平行し走って野洲川左岸に出る。


左写真、野洲川の堤防道に上がると、三上山が前方に見えた。
河川敷公園ではグランドゴルフだろうか、お年寄りが多く集まっていた。


右写真、野洲川を少し遡ると、新幹線の鉄橋が見え、今度は子供たちがサッカーの練習をしていた。








左写真、国道8号線の野洲川大橋。


右写真、名神高速道路の野洲川橋。この辺りに来ると、国道1号線が堤防の上を走り、河川敷公園もなくなる。








左写真、新しい石部頭首工が完成間近だった。この堰はコンクリートでなく、ゴム風船を膨らませる珍しい構造だ。
頭首工とは、川の水を堰き止めて用水路へ必要な水を流すための堰で、農水省の管轄のはず。
前の頭首工は昭和29年に完成し、中世以来の湖東における野洲川の水争いに終止符をうっている。


右写真、中郡橋の歩道橋で野洲川の右岸に渡る。








左写真、野洲川の上流側。(中郡チュウグン橋から)



右写真、三上山の弟分のような菩提寺山
あの山の麓に、湖南市菩提寺の正念寺ショウネンジがあるはずだ。






左写真、親切な地元の人に道を2回尋ねて、正念寺にたどり着く。


右写真は、芭蕉没後290年記念に建てられた 『いかめしき音や霰のひのき笠』 の句碑。
この句碑は、中村不折の書で、不折の芭蕉肖像画も彫られている。
(原図はこの寺の「夢望庵文庫」に所蔵。文庫の芭蕉の肖像画軸百数十点を中心に、毎月第2日曜日に展示されている由。)
余談ながら、中村不折は、夏目漱石の友人で「吾輩は猫である」の挿絵を描いている。
また森鴎外の遺言 「・・・ 森林太郎トシテ死セントス、墓は森林太郎墓ノ外一字モホル可カラス。書ハ中村不折ニ依託シ、・・・」通りに
鴎外の墓石は中村不折の揮毫で「森林太郎墓」と刻まれている。




ご住職の乾憲雄氏は、本芭蕉句碑めぐりの参考にさせていただいている 「淡海の芭蕉句碑」の著者なので、敬意を表して、正念寺を最初に訪ねた。
先生は生憎、お留守だったが、多分、ご息女および孫娘さまに親切にしていただいた。
菓子まで頂戴し、曾孫の坊ちゃんとバイバイして失礼した。


左写真は、庫裏の前にあった酔芙蓉。今日咲いた花がほんのりと赤く染まり始めている。萎んでいる赤いのは昨日の花。








左写真、この酔芙蓉は結構な大木であった。



右写真、帰路は(野洲川に注ぐ)小川沿いの自転車優先道路を走った。








左右の刈田の写真、背景は菩提寺の集落。画面の真ん中くらいに正念寺があった。(南から写す)



正念寺を出た頃から霧雨が降り始め、だんだんと本降りになったので、JR草津線石部駅で雨宿りすることにした。








左写真、石部駅前。画面の右手が駅舎、左の建物はコミュニティハウス。ココで雨宿りし、弁当を食う。

うまい具合に1時間ほどで雨が止んだので、コミュニティハウスでもらった地図を見ながら、旧東海道を走る。

右写真、吉御子ヨシミコ神社の参道。(街道の曲がり角でチョット西に入る。)








左写真、吉御子神社。奥に、拝殿、本殿。
なかなかのお社だ。


右写真、拝殿前から本殿を写す。







左写真、石部宿の西にある真明寺シンミョウジの山門。
右写真、自然石の句碑に、『 都つじいけて その蔭に 干鱈さく女 』と、左上から3行に彫られている。

『野ざらし紀行』の旅の途中、「昼の休らひとて旅店に腰をかけて」と前書き本句が記されている。

地元産の柔らかい花崗岩を用いていて、句の上に剥落の跡があるのも値打ちか。





本堂の雨戸が閉まっていたので、お留守かと思い、挨拶もせず句碑の写真を撮らせてもらっていると、巨漢の佐々木ご住職が現れた。
旅行会社が多分企画し、観光バスで乗り付け、境内を無遠慮に歩き回り、トイレの水もジャンジャン使われ、おまけに賽銭泥棒まで現れたので、
本堂の雨戸も閉めるようにしたとのこと。
地元の文化レベル向上に力を注いでおられる御住職も観光客は持て余しておられるご様子だった。

話している間にも何人もの檀家の方々が花を数本持って訪れ、上のお墓に上がって行かれた。
お寺とお墓と檀家が日々の生活に根付いているのだ。


左写真、句碑の右手は銀杏の古木、その右に古池があった。





左右の写真、ご住職は実のなる木がイイと言われていた。


いろいろと教わり、また、住職リタイア後のロマンもお伺いして、非常に楽しい時間を過ごした。









左写真、先ほどの雨に濡れた朝顔がきれいだった。












左写真、昭和43年に老朽化によって取り壊された小嶋本陣跡に立っている石部本陣跡の碑。


右写真、本陣跡の近くにあった安藤広重の石部の模写図。
(目川の里は現・栗東市)


石部宿HPには詳しい紹介が載っていた。物語の舞台・石部宿HPも面白い。






左写真、旧街道筋のいい面影が残っていた。


右写真、石部町立から湖南市立と書き換えられて、3日目の石部小学校。

教わった通り、校庭を横切って、十禅寺緑地公園に進んだ。









公園を上っていって、高台の端っこに、芭蕉没後300年記念の句碑を見付けた。





『松風の 落葉か 水の 音涼し』 と4行に彫られている。
芭蕉の漫画のような絵は、石部の造り酒屋で帳面付けをしていたという池大雅の俳画風略筆(「夢望庵文庫」所蔵)を、
真明寺のご住職佐々木氏が模写したと、先ほどご本人から聞いた。
絵を見て納得した。


















折角なので、雨山文化運動公園内の東海道歴史資料館と宿場の里に向かったが、登坂が結構シンドかった。



左写真、一里塚の2本の榎の再現。
歴史資料館が画面右端に写っている。
山を向こうに下ると、運動公園。
(廃車の消防自動車には石部町と書かれていた。合併前の記念に残るかな。)


右写真、宿場の里の農家。なかなか絵になるナァ。






【参考図書】 下記の図書およびHPを参考にさせていただきました。厚くお礼申し上げます。
1) 乾憲雄著 「淡海の芭蕉句碑(上)」 、淡海文庫1、サンライズ印刷出版部、1994.4.1
2) 芭蕉DB