バイク比叡山中に一泊す


2000年11月25日(土)、京阪バスで比叡山頂まで行き、バイク(BD-1)を組み立てる。
眼下に広がる大原の里の静かな風情を味わった後、車の来ない自動車専用道を下りて、延暦寺東塔エリアの関所に向かう。
自転車は駄目と言われかも知れないと思い、手前で下車し、ゆっくりと押していく。
関所の坊さんは、案に違うて、「横川(ヨカワ)まで行くのか?自転車で廻るのは確かに便利でエエなぁ」と感心している様子。
無事関門を通過。まずは根本中堂(右写真はその大屋根)にお参りする。


大講堂、文殊楼等にお参りしてから、総合案内所地下1階の「鶴喜」(坂本の鶴喜の分家とのこと)で、ざる蕎麦を食う。
セルフサービスだが、ガラス越しに林が見え、小綺麗で、550円の値打ちはある。



善男善女の団体客が増えてきた東塔を後にして、弁慶水の脇を通り、ドライブウェイを越え西塔エリアへ向かう。
バイクを担いで長い階段を下り、浄土院を経てしばらく走り、常行堂+法華堂に至る。それぞれ常行三昧、法華三昧の修業道場で、五間四方の宝形造りの全く同じ形の建物が2つ並び、渡り廊下で結ばれている。
力持ちの弁慶が、この渡り廊下をてんびん棒にして、両堂を担いだという伝説から「弁慶のにない堂」とも呼ばれているとのこと。
朱のお堂と前景の苔と紅葉の見事な造形に暫し見入った(左写真)。 


西塔の中心である釈迦堂には、下り階段を避け右側から山道を回り込んで、お参りした(右写真)




西塔から北東へ約4kmの横川までは尾根道の東海自然歩道を通ったが、階段が多くシンドい。
途中にある巨大な玉体杉(説明看板で、杉が日本の固有種だと知る。)のところは左右の眺望が開け、西南に京都市街も一望できたが、反対側、琵琶湖越しに見える墨絵の如き湖東の山々(左写真)は特に素晴らしかった。


T字路を右へ曲がって、奥比叡ドライブウェイの下を小さなトンネルをくぐり横断する。

その後、快適な山道のペダリングを楽しみ、横川駐車場への急な階段を降りて、横川エリアに入る。叡山もここまで来ると人影もまばらだ。



まずは、朱塗りの舞台造りの横川中堂(写真)にお参りした。
ここもやはり須弥壇のある内陣は一段低く、その暗闇の中から聞こえる読経の声とくゆってくる線香の匂い。
天台密教の雰囲気を感じた。
横川は奥比叡の山中にあり慈覚大師円仁によって開かれた。源信、親鸞、日蓮、道元などの名僧が若き日に、ここで修行を行ったとのこと。



次に元三大師堂に向かう。ここは静かな本当に落ち着けるお堂であり、今日の延暦寺の中で一番気に入った写真






門前の紅葉の大木も見事で、作務衣姿の女性が桜の落ち葉を掃き集めていた(写真右下に箒を持つ女性が小さく写っている)
やがて、お坊さんが出てきて、きりがないから今日はもう止めなはれと言う。
紅葉は燃えるけれど、桜葉は燃えないとも言った。
女性は焚き火の跡にお芋さんの皮が沢山あると言う。
どうやら、若い坊さんがよく、落ち葉で芋を焼くらしい。


(門の右側手前に、「おみくじの元祖」と刻まれた新しい石碑が何となく不似合いに建っていた。)




次に向かった無人の恵心院は横川エリアの南のはずれにあるため、訪れる人はなお少なく、その古色蒼然とした佇まいの前景の紅葉を独り占めして、時の立つのを忘れた。(左写真)



いよいよ一路、坂本に向かって下山ペダリングであるが、恵心院からは誰とも出会わず、晩秋の奥比叡を独り占めする。
綺麗な景色に何度も出会い、思わず、バイクを止めてカメラを取り出す(下左右の写真)。

後で分かったのだが、大宮谷林道を降りていたつもりが、(横川の堂宇の配置が複雑?で、また見ていた比叡山の案内地図は西が上になっていたこともあるが、山中のペダリングの素晴らしさに、うっかりと道を間違ってしまい、)林道に平行して尾根筋の東側を走る道を下っていた。
この道(幅員は約3mで林道とほぼ同じ)は、やがて二手に分かれ、タイヤに踏み締められている道は、県の治山工事現場で行き止まり。
もう一方の道も行き止まり。日暮れは近い、はたと困った。
分かれ道の手前で、谷に向かって「日吉大社、坂本」と赤ペンキで乱雑に書かれた木ぎれがあったのを思い出し、そこまで引き返す。バイクを担いで、細い道を日吉大社を目指して降り始めた。

バイクに乗れるところもあるが、倒木があったり、古い角材や丸太の階段も多く、遅々として進まない。晩秋の日暮れは釣瓶落とし。
ヘッドランプの懐中電灯を取り出し、ハンドルシャフトの下端(我がバイクの唯一の取り付け可能スペース)にベルクロで止めようとしたが、力を入れ過ぎて、ベルト止めのプラスチックがちぎれてしまった。
ランプが固定できなくなり、帽子のひもにぶら下げてしばらく進む。
暗くて見渡せないがどうやら少し平らになっているようだ。
小さな古い祠があり、5間ほど西に石碑があり「神宮寺旧趾」とある。
バイクは今夜ここで預かってもらうことに決め、石碑の台座に載せた(写真、バイクと一緒に1泊したカメラで翌日写す)。
荷物はハンドルバッグとシートバッグをたすき掛にし、左手にランプを持って、暗闇の山道を東を目指して進む。

15分ほど歩くと山道から突然、幅5mくらいの石段に出くわした。ありがたや、どうやら日吉大社境内の参道のようである。

目印にと石段から山道に入るところの木の根っこにポケットティッシュを挿んでおいた。
(後で確認すると、日吉大社の一番山上にある二つの摂社牛尾宮と三宮宮への参道であった。)
 しばらく階段を降りていくと、大きな石ころがゴロゴロしているつづら折りの坂道になった。この参道を30分ほど下って、ようやく灯りに出会った。
「東本宮」と墨書された大きな二つの提灯の前で安全下山の御礼を申し述べた。


翌日、京阪坂本駅から日吉大社の参道を登り、まずは、牛尾宮と三宮宮(両宮とも本殿と拝殿が繋がって山に張り付くように建てられているが、完全に閉められていて、建物の外観しか見えない。)に御礼参りをした。
参道を少し下り、昨晩の目印の山道に入る。先ほど駅前の観光案内所で聞いたところ、この道は行者道とのこと。
道理で急な斜面に作られた狭い山道である。踏み外して谷側に落ちないように注意を要す。(昨夜は懐中電灯で足元を照らすのに気を取られていて、周りが見えなかった。) 
やがて「神宮寺旧趾」石碑に並んだ我が愛車の無事な姿が目に入った(右写真)。

神宮寺を字引で引くと、「神社に付属して置かれた寺院。境内または遠隔地に建立。神仏習合説や神仏混淆思想のあらわれ。
明治元年の「神仏分離令」によってほとんどが廃絶。」とある。日吉大社の寺だったのだろう。


一休みし、蜜柑を食べて喉を潤す。祠に気がつき、蜜柑の最後の一袋を神前に供える。
そばに生えていた青い葉っぱの小枝をアーミーナイフで切って祠の左右に立てかけ、マイ・バイクの一宿加護の御礼を申し述べた(左写真)。



折角だからと、バイクを押したり担いだりしながら昨日下ってきた行者道を登り、広い道に出て横川エリアの南端まで戻った。
ここで昨日、もし陽光が当たればさぞかし綺麗だろうなと思った紅葉(右写真)に寄り道して、今日は間違わずに、大宮谷林道に入った。
この林道は滅多に車が走っていないらしく、大きな石ころがゴロゴロしていて、バイクが可哀想だったが、坂本まで無事、快適に下った。
(この経験を加えて、湖西の山、土地はゴロゴロと石ころの多いのが特徴だと私は断定するに至った。)