叡山から横高山、水井山へ


2001年11月11日(日)全国的に快晴の予報だった。
朝8:30、シートバッグに着替えを詰め込んで自宅をスタートし、京阪電車と京阪バスを乗り継いで比叡山に向かう。
ドライブウェーの途中にある南仏風の瀟洒なホテル前でバスが10分ほど停車した。
下車して比叡山頂を見上げると、緑の常緑樹と紅葉した落葉樹の見事なコントラストの天辺に新装なった回転展望台が輝いていた(右写真)。

終点の比叡山頂駐車場に着く。
真北方向に大原の里が見える。

その少し東、遠景には比良山系が広がっている。
近景には水井山794mが一段高く見え、その手前右に緑の濃い横高山767mが見下ろせる。この2つの山が今日のターゲットである(左写真)。

直線距離は比叡山頂から横高山までが3km、つぎの水井山までは0.5kmで27m上がる。
その後、北に向かう峰道を下り、2km先の仰木峠573mに出て、峠を西に下り、大原の里に降りる。(あまり意味のない)直線距離で約8kmの行程を予定している。

さらに東に目をやると、琵琶湖が見える。今日は秋晴れで、よく見渡せる。比叡の空気を大きく吸い込んだ。


駐車場広場の東のスロープを上がり、最高峰「大比叡」に向かう。頂上付近は平らになっていて、テレビの中継アンテナ施設に占拠されている。(左写真)
よく探すと、848.3mの一等三角点(右写真)はその西側のちょっとだけ小高い茂みの中に眠っていた。


山道を東に進み、壮大な叡山東塔エリアに降りた。紅葉には少し早かった。(昨年訪れたのは2週間後の25日。真っ赤な紅葉が見事だった。)
昨年同様、「鶴喜」にて蕎麦定食を喰らう。ゆで卵をほおばって、善男善女の群に入る。
延暦寺の総本堂である根本中堂の大屋根を右下に見て、大講堂の前を通り、天台宗の僧が授戒するお堂である戒壇院(左写真)を経て、西塔(サイトウ)エリアに向かった。


弁慶水の先で、下を走るドライブウェーを歩道橋で渡ると、正面に山王院があり、その横から苔むした下りの大階段が続く(右写真:下から振り返って)。
愛車を担いで階段を降りると、静かで清楚な雰囲気の浄土院が迎えてくれる。浄土院の奥に伝教大師御廟があるそうだ。





鬱蒼と茂る老杉の道を進み、ゲート前で階段を下りて、昨年見過ごした椿堂(写真)を訪ねた。
よく見ると、回りを椿の木で囲まれた小さなお堂である。
西側に今まで見たこともない老大木の椿が1本立っていた。
深い杉木立の谷間にあるため薄暗いが、なんでも、聖徳太子が比叡山にのぼられ、ここに椿の杖をさしておいたところ、その杖が根付いて枝葉が茂ったとか。
そこから椿堂の名がおこり、毎年大小の椿が美しい花をつけるとのことである。

椿堂から弁慶のにない堂と釈迦堂をバイパスして北へ進む。
ドライブウェーの下を小さなトンネルでくぐると、横川(ヨカワ)エリアに向かうドライブウェーが右下に見え隠れする、京都府と滋賀県の境界に沿った山道(東海自然歩道)になる。




この辺りはモミの天然林が広がっていて、道端の古い石柱に元三大師道と彫られていた。

秋のお日様を浴びて、ところどころで黄葉が金色に輝いていた。
大自然はそこを通るわずかな旅人のための素晴らしいアーチストであった。


やがて、玉体杉と呼ばれる老大杉が前方に見えてきた(右写真)。
玉体杉からの眺めは絶景である。叡山の回峰行者も、ここで都、南西方向に向かって祈るそうだ。




左京都側には、京市街とその北に低く広がる山々、山間の集落は高野川沿いの八瀬であろうか(左写真)。

右側には、山の向こうに琵琶湖が展望できた。


ここから西塔・釈迦堂へも横川中堂へもちょうど2.0kmであると案内標識に記されていた。





やがて東海自然歩道はT字路にぶつかる。(せりあい地蔵あり。)
右折すると、昨年行った横川中堂へ至る。
横高山は左と思いこんで進むと、快適に降りていく。おかしいと思って戻ると、実はT字路ではなく十字路であった。



よく見ると、正面の急斜面を真っ直ぐに上がる道がある。進むしかない。バイクを横にして肩に担ぎ、少しずつ登る。


急斜面の表土が流されてモミの木の根っこ(左写真)で辛うじて持っている道を、何回も休憩して登りきった。
地図で計ると、水平距離150m、垂直距離70mの斜面であった。
誰が等高線を直角に横切って上がるこんな道を作ったのだ。府県境の道の悲劇か。




この斜面にも赤や黄の紅葉が燃えていて、その都度、休憩。モミの木の下に茂っているのは、ミヤコザサのはずだ。



   

横高山(釈迦ガ岳)は、地元で人気があるらしく、頂上には○○高校山岳部OBなどと書かれた登頂日付入りの絵札が、何枚か掛けられていた。

北側、紅葉の茂みの向こうに水井山の頂が確認できた。

息を整え水を飲んで、ゆっくりと水井山へ向かって下る。
ゆるやかなダウンヒルの気持ちのいい道が暫し続いた。

途中1ヶ所で水井山が丸く見えた(下左写真)。バイクを押したり担いだりで頂上に至る。


   

途中、北側に大きく展望が開けている所があり、比良の秀峰・武奈ヶ岳(比良山)1214mと蓬莱山1174mが望めた。
(下左写真の中央遠景に蓬莱、その右の奥に最高峰の武奈が低く写っている。近景は大尾山681mのはず。緩やかな峰道だ。)
また、琵琶湖もきれいに見えたが、秋の日射しが少し傾きかけた谷間の大原の里(右写真)は実に見事な風情であった。

 

ここから仰木峠までの道は快適なダウンヒルを楽しめた(左写真)。
仰木峠573m(右写真)に着いたのは、14:56。ちょうどいい時間だ。
この峠は十字路になっていて、比叡から来ると、左は京・大原の里、右は近江・堅田、そして前面の山道を登れば、大尾山681m。
大尾山への道は割とゆるやかで自転車に向いていると思ったのだが、残念ながら時間的に無理だった。
(いつか、堅田からこの仰木峠に上って、あの大尾山を目指したいものだ。)

   

昨年、比叡山横川中堂から滋賀県側の坂本に降りた道もそうだったが、同じ山系なので当然だが、京都側へ降りる道も、10〜20cmの角石がゴロゴロしていてバイクが可哀想だったり、我が身が危なかったりで、せっかくのダウンヒルなのに、しばしば降りてブレーキを掛けながら歩かねばならなかった。
また、倒木が道を塞いでいてバイクを担ぎ上げることも2、3回あった。
あまり快適サイクリングロードではなかったが、1200年昔から全山、延暦寺の聖域だったためだろう、人の手がほとんど入っていない山道には何ものにも代え難い自然が残っていた。


   

2日前に降った雨が少しずつ浸み出して谷筋に集まり、道が水深1、2cmのきれいな川になって水が全面を流れていく。普段は水たまりでは愛馬を担いでやるのだが、道全面が川では仕方がない、冷たいだろうが我慢せよ。これもいい思い出になる。
そうこうする内に、麓に着き、展望が開けた。前面にのどかな集落が広がった。(左写真)。
振り返ると、今降りてきた小さな道が山に入っていた(右写真)。

   


東海自然歩道をさらに降りると、道角に「右・三千院道、左・横川元三大師道」と彫られた古い石柱が立っていた。
この道を、古くから比叡山の一番山奥の元三大師堂にお参りする人々が通ってきたのだろう。

バス停「野村岐れ(ワカレ)」すぐ近しの案内が出ていた。
高野川沿いに1km余り上れば三千院で、ここ上野町は、大原の里の一番下あたりになる。(ちなみに対岸が野村町だった)


日暮れが近いので、高野川の上流側をカメラにおさめ(写真)、川沿いに下り始めた。

八瀬遊園を経由して出町柳まで約17km走って、京阪・急行にて帰宅。

叡山の峰を走った行者のような爽快な気分が数日残った。