湖東三山−1                金剛輪寺、西明寺の紅葉


2005年11月24日、京都深草バス停9:15発の名神ハイウェイバスで東に向かい、滋賀県の百済寺バス停で降りた。
湖東三山の紅葉を訪ねる最初の自転車ツアーである。

【百済寺バス停→金剛輪寺への道】  マピオン地図はコチラ

バス停から目の前にある近江温泉病院を横目に、高速道路の西の側道を北へ走り出す。(10時半過ぎだった。)
やがて、湖東三山自然歩道の案内標識があり、金剛輪寺まで4.8kmと標されていた。


標識の示す方向の90°右に名神高速を横切るトンネルがあり、その道は百済寺町へ続いている。
チョット寄り道して、
左写真の坂本神社で道中の安全を祈った。
そして標識まで戻って、金剛輪寺を目指す。


右写真、西にいく農道を進むと、梨畑があった。
右列の葉が残っているのは晩生の豊水、左列の葉の落ちているのは早生の幸水と教えてくれた。
(冬芽が沢山出ていた。)



左写真、梨畑の前の農道を振り返ると、湖東の山並。
(剪定した梨の枝葉が農道左手に置いてある。)


右写真、「自然歩道」や「湖東三山ハイキング」の案内標識に従って北方向に進む。



北川橋では、金剛輪寺まで3.3kmの標識があった。




左写真、祇園?の集落で大根が空高く干してあった。



右写真、名神を横切って、東へ進む。








左写真、八坂神社の入口。竹の通せん坊が横に置いてあった。留守のサインか?



右写真、隙間から入っていくと、社務所らしき家屋に冬用意の薪が積んであった。








左写真、随分古い立派な山車車庫があった。



右写真、閂を外すと、大太鼓の山車が入れられていた。
(勝手に開けてスミマセン!)







左写真、宇曽川に沿って上流(東)側に進むと、枯蓮の池もあった。



右写真、画面中央に宇曽川ダムが写っている。








左写真、宇曽川右岸の道には、サイクリングロードが付けられていた。車道を走る車も滅多に見なかったが。
前方を横切るのは名神。


右写真、上蚊野の古墳公園。
金剛寺野古墳群は合計298基からなる県下最大規模の古墳群だったとのこと。







左写真、「朝とりました富有柿です。2個50円」
いい色をした立派な柿だ。4個買ったが、結構重かった。



右写真、柿の向かいには黄菊が満開だった。左手後は多分、外厠。






左写真、渋柿と椎茸が干してあった。



右写真、小豆、ウズラ豆、大豆がチョットずつ干してあった。多分、正月の用意かな。







左写真、干した赤蕪をちょうど仕舞うところに出会した。
小糠、塩、粗目、味の素、酢を少し入れて漬けるので、大変おいしいとお母さんが教えてくれた。



里道を走って、金剛輪寺に12時過ぎに着いた。
1時間半の間に出会った車は数台だけ。長閑なサイクリングだった。

駐車場には何十台モノ観光バスが出入りしていた。
自転車は1台だけで、門前の露天の横にでも止めておけと言われた。



【金剛輪寺】

金剛輪寺の素晴らしい写真集のHPがありました。スライドショーで見られます。


左写真、金剛輪寺の黒門から入る。(12時15分)



右写真、参道を進む。







左写真、白門をくぐって、明寿院の名勝庭園へ入る。



右写真、明寿院(本坊)。







左写真、明寿院の玄関。



右写真、庫裏の方の雰囲気も素晴らしかった。







左写真、明寿院の庭園は国の名勝になっている。



右写真、茶室の水雲閣。







左写真、明寿院の庭園の池。



右写真、明寿院の庭園の紅葉。







左写真、明寿院の庭園にあった立派な土蔵。



右写真、鐘を見て、明寿院庭園を後にする。



(昼食は、とろろごはんセットを頼み、甘酒を飲んだ。)


風車が供えられている千体地蔵の階段の道を汗をかきながら登る。


左写真、石段を登り切って、二天門へ。



右写真、二天門の大きなワラジと増長天もしくは持国天。
どうして、四天王(持国、毘沙門、増長、広目)の内、増長、持国の二天になったのかな。





左写真、国宝の本堂。
東京オリンピックの時に、本堂の模型が東京国立博物館に展示され、鎌倉時代の和様建造物として、オリンピックで日本を訪れた世界の人びとの注目を集めたそうな。



右写真、本堂にも赤い紅葉が似合う。






左写真、右写真とも、三重塔(国・重文)。


三重の塔の写真集HPもありました。




織田信長によって境内の建物の大半を焼失したが、僧侶の機転で本堂(国宝)、二天門(国・重文)、三重塔(国・重文)が兵火をまぬがれたらしい。
僧侶たちが自ら100余の僧坊へ火を放ち、伽藍は焼け尽したと見せかけ本堂の焼き討ちをまぬがれたそうな。






左写真、三重塔と紅葉。



右写真、もみじ。







左写真、モミジ。



右写真、やっぱり、紅葉。







左写真、後は本堂。



右写真、これも後は本堂。







左写真、最後に鐘を突いてお礼を申し上げた。


14時に金剛輪寺を出て、西明寺に向かう。
西明寺までの道中は、歩道のない307号線を松尾寺交差点から1.5kmほど走らねばならず、ダンプや観光バスとのすれ違いはチョット怖かったナ。

でも、
右写真、大根干しの長閑な集落も通ってそれなりに楽しかった。




【西明寺】


左写真、西明寺の山門をくぐる。(14時)
山門を入ると、参道はすぐに名神を渡る。
(高速道路がトンネルで参道下を通るのも珍しいナ。)



右写真、「不断桜」。初秋から花をつけ、11月ごろに満開になる樹齢約200年、県指定天然記念物とのこと。





左写真、きれいな参道だ。



右写真、ココの紅葉は金剛輪寺の派手さはないが、落ち着いた静かな雰囲気がよい。







左写真、名勝庭園に入る。



右写真、多分、橙色の千両の実。







左写真、赤い千両もあった。



右写真、五輪卒都婆の下の苔にも散り紅葉。







左写真、石段を上り、二天門へ。


右写真、ココの二天門にもワラジが吊されていて、大中小の三つがあった。


二天門と仁王門は違うようだ。
通常、二天門の方が仁王門より境内の内側にあるようだ。
そして、仁王門には仁王さん(金剛力士)が立っているが、二天門には、四天王のうちの二体が祀られていて、西明寺の場合も、増長天と持国天らしい。



西明寺も信長の焼討ちあったが、金剛輪寺同様、本堂・三重塔・二天門は焼失を免れたそうナ。
本堂は国宝第1号というが、実は第1号は沢山あり、滋賀県の建築物として第1号とのこと。


左写真、本堂。屋根の後半分までが覆われて修理中だった。
(2007年には桧皮葺ヒワダブキの大きな屋根が美しかった。)
本堂のご本尊の薬師如来の左右に、十二神将が並んでおられる。
各神将の頭の上には干支の動物が載っていて、自分の干支の神将に願いを託すそうな。未年は、波夷羅ハイラ大将が守り本尊らしい。


右写真、三重塔。コレも国宝で、中の壁画が素晴らしいとのこと。
塔は鎌倉時代後期の建立。総桧で、飛騨の匠が釘を1本も使用しないで建てた。
一層には一面に巨勢派の極彩色による絵が画いてあるそうな。



三重塔内部(国宝)

三重塔内部(国宝)   西明寺HPより

初重の内部、須弥壇中央には大日如来坐像を安置し、四天柱には大日如来の脇侍仏である三十二菩薩と宝相華、八大龍王、八天画、伽陵頻迦、法華経の図解等が画かれていて鎌倉時代の壁画としては国内唯一のものであるといわれている。

右写真は須弥壇の大日如来坐像だろう。
西明寺の案内パンフレットには壁画の一部分の写真があるが、非常に美しい。






左写真、本堂近くの紅葉。



右写真、苔の庭の向こうにも紅葉。







左写真、ココでも三重塔下の鐘を大きく鳴らしてお礼を申し述べた。



右写真、帰りの参道で西日の紅葉をもう一枚。







15時半に西明寺を出て、ほぼ来た道を戻り、金剛輪寺門前を経由して、名神ハイウェイバスの百済寺バス停に16時半に着いた。
本日の走行距離は約20kmだった。