第2京阪自転車道−2−1    第2京阪・天王周回1


2010年5月28日(金)に、第2京阪道路、307号線を通って、京田辺市西南部の天王地区と高船地区を回ってきた。
home発10:45。home着17:30。
ハンディGPSマップ ASG-CM11による軌跡mapと速度高度グラフを次ぎに示す。

  

上のmapの赤線は午前の部、flagは昼飯、青線は午後の部の軌跡である。

  



左写真、蜜柑の花。(枚方市東倉治)  11:20
北河内の昔からの地の蜜柑だそうだ。


右写真、栴檀の花がきれいだった。(枚方市東倉治)






昼飯は枚方市の外れ、尊延寺の中華料理興龍(氷室信号の手前左手)で回鍋飯ホイコーハン(キャベツと豚肉のみそ炒め)と台湾ラーメンのセットを食った。この店は年中無休で便利である。
氷室交差点(枚方寝屋川消防組合・枚方東消防署・氷室出張所前)を直進し、71号線を東へ進む。(307号線はT字交差点を左折する。)
すぐに関西外大の正門があった。 コノ辺りは、枚方市宗谷。
バス停三陽台、宗谷を見て、枚方市最東端部に至る。京田辺市との府境界手前で道は二叉に分かれる。どちらも道は狭くなる。標識の類は一切無し。
右手は71号線(枚方山城線)で、水取に向かう。
左手はバス道で天王に至る。コチラの道を進んだ。


左写真、京阪バス”天王バス停”の少し手前の右手山側。
(京田辺市)


右写真、
同上、左手谷側。







左写真、この急坂を上がると、天王集落の北端に入るのだ。



右写真、
坂道をほぼ上りきると、牡丹園「無二荘」

残念ながら、牡丹のシーズン(連休前)は過ぎていたが、落ち着いた風情のあるトコロだ。て、








・右写真、花の後の牡丹園。








左写真、最初の峠道を越えて、生活感のある集落に向かう。



右写真、
二人のお婆さんに確認して、きつい坂道を朱智神社に向かう。







左写真、「宮右方」の石があった。
お宮さんは右上ということだろう。


右写真、
瓦を埋め込んだ土塀。







左写真、すぐに集落を過ぎて山道だ。



右写真、
この下に窯があった。
こんな不便なところに窯を造っている人がいるのだ。






左写真、大きな石燈籠があった。



右写真、
燈籠の道向かいに京田辺市の天王配水池がある。







左写真、ようやく、朱智神社の鳥居に上り着いた。



右写真、
石の鳥居をくぐる。







左手にさらに、
左写真の木の、朱色は褪せているが立派な鳥居があり、
昼なお暗い階段の奥に新緑が神秘的にまで輝いていた。

『 神々しきまでに新緑朱智神社


右写真、
その新緑がであることを確認した。
正面は拝殿。




左写真、拝殿。



右写真、
本殿。
慶長17年(1612)の再建で桃山時代の様式を伝える。一間社流造、屋根は檜皮葺。正面の蟇股には唐獅子や牡丹など桃山様式の華麗な彫刻が見られる。






左写真、本殿を右側から写す。



右写真、帰路、
拝殿への石段の右手に牛がいるのに気が付いた。
(朱智神社の牛頭ゴズ天王像は、京都府指定文化財で、頂上に牛頭を戴き、忿怒の表情の三面を持ち、唐様装束の一木造の像。平安時代後期の作。)



朱智神社は、仁徳天皇の時代に、現在地より300m西の山頂(枚方市に少し入ったトコロか?)に創建されて、この地に宣化天皇元年(535年)に移されたらしい。
この地、山城国綴喜郡の古代豪族・息長オキナガ氏の祖神を祀った神社で、古来から近郷の崇敬を受けているとのこと。
この朱智神社の北東3kmにある普賢寺(現観音寺、この地方最古の寺)の山号は息長山と言い、この辺りは息長氏の本拠地であったようだ。


朱智神社の祭神は、迦爾米雷命カニメイカズチノミコト(牛頭天王)で、物部氏との関連が強かったのかも。
平安時代に、その祭神を京都の八坂神社(牛頭天王社)に移したことから、元祇園とも呼ばれる。
朱智神社の氏子が奉じた榊サカキを天王区の若者が八坂神社まで届ける「榊遷サカキウツシ」 という行事があり、その榊を受けて祇園祭の山鉾巡行が始めらた。
それで、朱智神社は元祇園社と呼ばれていたらしい。
(毎年7月13日に朱智神社から八坂神社への榊遷しの行事があり、朱智神社の祇園祭が終わった翌日から八坂神社の祇園祭りが行われていたとのこと。)



左写真、極楽寺。
新しい建築である。


右写真、
本堂。







左写真、夢殿。



右写真、
見晴らしが素晴らしかった。







天王・極楽寺の板碑】 板碑紀行HPより抜粋
板碑は関西にも分布しているが、武蔵や阿波のような青石板碑は少ない。
右写真の板碑は、府下田辺市天王の極楽寺に在る、正中二年(1325)という鎌倉時代の銘の入った貴重品である。
同市高船の同じ極楽寺という名前の寺にも、やや細長い鎌倉期の板碑が在るが、梵字の美しさで天王のものに魅力を感じる。
元々は天王集落の共同墓地に立っていたそうで、保護のために極楽寺境内へ移築したとのこと。
花崗岩製で高さは107cm、ややぼてっとした厚みがある。青石の薄さが身上の武蔵型板碑を見慣れた目には、やや違和感が拭えないが、しばらく眺めている内に次第に愛着を感じてくる。
素材としての石が示す多様な表情が、とても温かいのである。
梵字の種子はここでも御馴染み阿弥陀三尊で、「キリーク・サ・サク」がそれぞれ阿弥陀・観音・勢至を表している。
薬研彫りではないが、細く深く刻まれた種子には、それなりに優雅な美しさが感じられた。



左写真、継善ケイゼン小学校の跡



右写真、
宗教法人御嶽教普賢寺教会。







左写真、名前を知らないが、きれいな花が咲いていた。


天王バス停付近に戻り、高船集落に向かった。15:00


右写真、
棚田には田水が張られ、田植えが始まっていた。





左写真、天王谷川?に広い墓地があった。
(高船集落の500mくらい手前で、天王の南端か?)
急斜面が大半の天王集落では珍しく広い平地が集落の外れにあったようだ。墓地の適地か。


右写真、
高船集落に入る。






左写真、高船バス停を奈良交通のバスが出て行った。
バスは1日に6本あって、このバスは15時29分発だ。


集落の一番上にある笠上神社へ向かった。


右写真、
竹林の中を上がっていく。




左写真、笠上神社への上り口。



右写真、
笠上神社の鳥居は朱だ。
正式神社名は瘡ソウ神社というらしい。






左写真、見晴らしが素晴らしかった。



右写真、
一番上に本殿があった。
狐がいるのでお稲荷さんかと思ったが、本殿だった。






左写真、笠上神社前の道路を少し上がると、京都府京田辺市から奈良県生駒市に入る。16:00



右写真、
生駒市の里山も美しい。







左写真、快適に南下する。


右写真、
ジャガイモの花がきれいだった。



高船口バス停のT字路で7号線(枚方大和郡山線)を西進。




左写真、来た方向を振り返って写す。


高山瀬戸バス停を過ぎ、
右写真、
高山溜池。


獅子ヶ丘団地口バス停、傍示バス停を過ぎる。




左写真、交野市の傍示は懐かしい風景だ。



右写真、
まだ通行止めをしていて、かいがけの道へ「回り道」せよとのこと。
4月25日
から何も変わっていない。
ますます変だと思う。





かいがけの道をほとんど自転車を担いで降りて、
左写真、住吉神社に至った。田水がきれいに張られていた。



右写真、
薄雲を通ってきた太陽が田圃に映っていた。
17:00