第2京阪自転車道−3   第2京阪・普賢寺・水取周回


2010年6月6日(日)に、第2京阪道路、307号線、71号、普賢寺千草原を通って観音寺を訪ねた。
その後、65号もしくはその代替道を走り、京都府京田辺市西南部の水取地区、打田地区を回った。
東畑鳥谷交差点付近で少しだけ京都府精華町を通り、72号で奈良県生駒市最北部の高山町に向かった。
高山八幡宮から北上して高山溜池の東を通り、7号線に合流。大阪府交野に入って急坂を下った。
第2京阪道路で寝屋川市の水春(長者の湯)に寄って温泉で汗を流し、夕刻、帰宅した。

走行距離:44km。 home発9:30、home着17:45。

ハンディGPSマップ ASG-CM11による軌跡mapと速度高度グラフを次ぎに示す。


  

上のmapにflagが4ヶ所ある。
flag1:自宅発10分後にサイクルコンピュータのスイッチを入れた。
flag2:尊延寺訪問。
flag3:昼食、興隆。
flag4:水春で入浴。


   


尊延寺というのは、枚方市北東部の地区名であり、前から何故か心惹かれていた。
平城京の昔、奈良から難波への生駒越えの道のうち、最北部の最も緩やかな道が尊延寺越えだった。
尊延寺という古いお寺が残っているのを知って、訪ねた。

左写真、真言宗・尊延寺の門。
境内左手は氷室保育園。


右写真、境内右手の宝篋印塔ホウキョウイントウ。
宝篋印塔】 塔の一種。方形の基礎の上に、方形の塔身をおき、上に段形になった笠石があり、相輪を立てる。笠石の四隅に隅飾りの突起があるのが特色。
本来は宝篋印陀羅尼の経文を納めたが、後には供養塔・墓碑とされた。



室町時代の記録である『興福寺官務牒疎チョウソ』によると、ココ枚方市東北端に位置する尊延寺は
枚方市の百済寺、交野市の開元寺とともに興福寺僧・宣教の開いた寺で奈良時代・天平3年の創建らしい。(from 星のまち交野HP



左写真、右手前が幡山堂不動堂の名前らしい)。等身大の不動明王さんが見えた。
五大明王さんが各堂におられるらしい。



右写真、幡山堂の左手奥に、笠に守られて石仏が並んでいた。









左写真、建当時は大伽藍をもっていたが、鎌倉時代の承久の乱で消失。平安時代以降は穂谷の三之宮神社の宮寺として隆盛を誇っていた。
大般若経598巻は鎌倉時代中期に津田郷の領主・中原宗包ムネカネが父母の追善供養のために三之宮神社に奉納したモノ。


(昼食は、氷室の興隆。)

右写真、
京都府に入って直ぐに71号から左へ分岐すると、茶畑が迎えてくれた。普賢寺千草原。







左写真、観音寺の参道は紅葉の古木と桜(若木が多い)が交互に植わっていた。

右写真、
青楓の中に紅い葉があった。


観音寺は最近は、東大寺二月堂のお水取りで使う籠松明の『竹送り』でも有名になっているが、
偶々、2003年に竹送りが復活した時にも、サイクリングで来たことがある。







左写真、 観音寺の本堂。
正しくは、息長山オキナガサン普賢寺といい、土地では大御堂オオミドウとも呼ばれている。
興福寺官務牒疎によると、天平16年(744)良弁ロウベン僧正の開基で、大御堂に丈六の観音像を、小御堂に普賢菩薩を安置した。)


右写真、
睡蓮がきれいだった。







国宝十一面観音立像
天平乾漆の柔らかいお顔だ。

左は私が撮ったモノ。
右は、京田辺市観光協会事務局日記 からコピーさせていただいた。

十一面観音: 観音菩薩の変化身の一つであり、六観音の一つ。
本体の顔以外に頭上に11の顔を持つ。
密教系の尊格であり、雑密の伝来とともに奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して祀られた。
観音菩薩の中では聖観音に次いで造像は多く、千手観音と並んで観世音菩薩の変化身の中では人気が高かった。

観音寺に関して調べていると、次のHPは面白そうだ。
山城普賢寺塔心礎HP
椿井文書・興福寺官務牒疏HP





左は、井上靖の「十一面観音」(平凡社ギャラリー3、平凡社、1983/7/5初版10刷)を撮影複写させて頂いた。

下は、同上からの抜粋。

それからちょうど1ヶ月を置いた二月の中頃、こんどは田辺町大字普賢寺の観音寺に、これまた高名な十一面観音を訪ねた。
雨の日であった。
小さい丘の裾にある小さいお堂で、まるで黒檀ででも造ったのではないかと思うくらい黒く光っている十一面観音に初めてお目にかかった。
室町時代のものだという厨子に収まっており、十一の仏面と水瓶(これは新しいもの)を持っている手に、やや金箔が残っているぐらいで、
あとはすっかり剥げ落ちて黒漆の地が出てしまっている。顔も胸部も黒々と光っている。
同じ女身の十一面観音ではあるが、これから受ける感じは室生寺や法華寺の十一面とは少し異なっている。
豊満な体躯にも、顔容にもどこかに未成熟な女性を持っている。あるいは童子の持っている稚オサナさと硬さが感じられ、
それがまた別の美しさを出している。口をきりっと結び、少々顎が張っており、顎から胸部へかけても豊かな肉付けであるが、
成熟した女性の姿ではなく、少年か少女の持つ硬さのようなものがぴいんと張った感じである。
この観音寺へ来て、初めて十一面観音というものが本来収まっているべきところに収まっているかのような思いを持った。
造られたのは古いが、その割りに損傷していないのは長く秘仏として、余り有名でない小さいお堂に祀られ、
そして信心深い土地の人たちの手によって、守られていたからであろう。











右は、「名文で巡る国宝の十一面観音」(青草書房、2007/3/12)からコピーさせて頂いた。
なお、ココの本文「聖林寺から観音寺へ」は白洲正子の「十一面観音巡礼」(講談社、1992/8)が底本。













左写真、石段上が地祇チギ神社の本殿あばら屋。
御霊神社とも呼ばれ、祭神は継体天皇。元はココより東北(筒城ツツキの宮のあった辺り)の山中にあったそうだ。



右写真、
なかなか面白い歴史があるところだ。





普賢寺川に沿って上流へ走る。



左写真、水取の集落が見えてきた。



右写真、
71号・枚方山城線が右手から入ってくる。

普賢寺川に沿って、さらに65号線を南下する。






左写真、コレは天王から降りてくる道。



右写真、
割烹「新房」がやっていた。








左写真、天王、高船方面へ至る道。
水取は交通の要衝だナァ。



右写真、
水取バス停。
右手にJAがあり、左奥は普賢寺小学校。






左写真、ハイキングコースの道。高船方面へ至る。


水取車谷の三叉路を直進して普賢寺川沿いに65号を走る。(三叉路を左折すれば、71号・枚方山城線はフラワーセンター前を通って、祝園に至る。)


右写真、
前方左手のタワーは大阪ガスの田辺ステーション。







左写真、打田地区に入る。クネクネ道の標識あり。


右写真、
65号は右の道だが、車が通らない左の農道?(川沿いの道)を選んで進む。








左写真、棚田を進む。



右写真、
結構、登った。








左写真、水音に惹かれて、左の小径に寄る。



右写真、普賢寺川の最上流部の流れだった。









左写真、明治の石碑があった。



右写真、
打田地区汚水処理施設。








左写真、上の65号に合流する。



右写真、
古い民家。
庭がきれいに手入れされている様子だった。







左写真、須賀神社。
右手は西明寺(須賀神社の神宮寺)



右写真、
西明寺の立派な五輪塔。南北朝時代初期のものらしい。







左写真、須賀神社はこぢんまりしているが、掃除が行き届いている。牛像があった。



右写真、
上は本殿。








左写真、高船から来る道と合流して、打田地区を抜けると、65号は少しだけ、京都府精華町に入る。



右写真、
標識を確認して、右の65号に進んだ。
しかし、この標識の突き当たりを右折すると、72号に入ることになり、65号は50mほど手前を鋭角に右折する必要があった。







左写真、県境の峠。
72号を南下して、奈良県生駒市に入る。



右写真、
生駒市の田畑が広がる。







左写真、前方に見えるのは関西電力・生駒変電所だった。(方角が違っていると感じたが、坂道を引き返す気はない。)


右写真、
道は出店橋交差点に出て、富雄川(7号線)にぶつかった。









左写真、折角だから、高山八幡宮にお参りする。



右写真、
石段を上る。








左写真、新緑の八幡宮は密やかだった。



右写真、
画面左端に写っている座小屋が独特の雰囲気を醸し出す。
8年前の拙HPを参照されたし。)







左写真、本殿の朱も厳かだ。


7号を北上し、川崎橋を渡らず右折し65号(近傍)を少し進み、高山竹林園方向の山道に入り北上。


右写真、
アザミの花が木下闇に輝いていた。







左写真、竹林園の東の小山頂上付近の畑。
竹がふんだんに使われている。


右写真、
農家の門。




庄田(操車場)バス停(富雄行きが朝に3本あるのみ)に寄って、バス道(7号)を北上する。



左写真、鐘付田バス停付近。



右写真、
ボーイスカウトの「キャンプおおさか」のゲート。


奈良県生駒市から大阪府交野市に入る。





左写真、右は交野カントリークラブ。



右写真、
7号の下り坂の急なこと!
眼下に交野、枚方。その向こうに高槻そして摂津の山並み。第2京阪道路が直ぐ下を横切っている。







左写真、倉治財産区の墓地が見えて、ほっとした。



右写真、
道路反対側(南側)は寺財産区の墓地だ。








左写真、7号からブドウ畑と越えてきた生駒の山並みを写す。



右写真、
ブドウの実はまだまだだった。








左写真、第2京阪沿いの畑で立葵が西日に輝いていた。



右写真、
お百姓さんは「家では皆この真っ赤な色なのだが、畑に植えると左写真のように色が薄くなった」と言っていた。








左写真、寝屋川の水春に寄って、汗を流す。



右写真、