由良川上流部を走る
(京都府北東隅・美山町)
2004年12月2日、北山杉の中を走った。
京都バス・菅原バス停→廃村八丁入口→広河原→佐々里峠→佐々里→出合橋→京大芦生研究林入口→出合橋→(由良川沿い)→JR山陰本線・和知駅
地図は、このMAP(Yahoo!地図情報)からスタートし、順次、西方向にずらしていくのが便利です。
出町柳駅7:50発の広河原行き京都バスに乗って、菅原で下車。(運賃千円) 終点の広河原まで行かなかったのは、廃村八丁へのアプローチを少し見ておきたかったから。
左写真、菅原バス停から見た菅原集落と仏谷川。
右写真、仏谷川に沿って進む。
少し先に、「←衣懸坂 ○ 廃村八丁→」の手書きの道標があった。
【廃村八丁】
八丁は由良川の支流・佐々里川の上流の八丁川の源流渓谷で、800mの山に囲まれた標高600mの細い盆地。
京都府京北町の北東隅に位置する。山林資源に恵まれ鎌倉時代から村同士の境界争いが繰り広げられたとのこと。
明治に入って村が形成され、広大な山林をわずか5戸が共有して静かな生活をしていたらしい。
昭和9年の大雪で村は飢餓の危機に見舞われ、4家族が村を離脱し、昭和16年に最後の1家族も村を去って廃村になった。
今も石垣や神社跡、墓石跡などが残っていて、北山の森林のなかで、明るい陽ざしに照らされる静かな空間は北山ハイカーを惹きつけている。
の「広河原 廃村八丁」など、HPは多い。
左写真、柵に囲まれた広場があり、端っこの高い柱にはクレーンで吊し上げるような仕掛けがあった。
何かは分からぬが、チョット不気味だった。
右写真、小さな橋の先は北山杉の林で、車のタイヤ跡に水たまりができていた。
ココで廃村八丁への道から引き返し、尾花川に沿って、府道38号(京都広河原美山線)を上っていく。
広河原では乗ってきたバスが、折り返し運転の時間待ちをしていた。梅ノ木谷の橋の袂に「丹波散策の道」と書かれた杭が立っていた。
少し進むと、
左写真、広河原スキー場が左手に見えた。(この奥が廃村八丁の谷筋)
その先で、道なりに谷筋から右手の山腹への坂道を登っていく。
右写真、30分近く上って、やっと峠になった。
(この坂道は春には桜がきれいだろうな。)
まもなく、佐々里峠に着く。(ココまでは左京区)
左写真、峠の岩室。通ってきた坂道は冬期閉鎖と書かれている。寒そうだ。
この岩室は冬期の登山者にとって有難い避難小屋なのだろう。
お地蔵さんが祀ってあって、登山者の書込みらしきものもあった。
峠には、不親切な「佐々里峠−灰野・芦生ハイキングコース案内図」があった。
京大の芦生アシウ研究林 が立てたと思われる。(親切なハイキングレポート)
芦生研究林は、大正10年(1921)学術研究及び実地演習を目的として、旧知井村の九ヶ字共有林の一部(4,179.7ha)に99年間の地上権を設定し、芦生演習林と称したことに始まる。
地図で見ると、現・美山町の最東部約4200haが芦生研究林で、北は福井県名田庄村、東は滋賀県朽木村、南は京都市左京区に接している。
左写真、芦生研究林へのハイキングコースには入らず、快適なロードを西方向へ降りていった。(京都府美山町に入る。)
途中で、北山杉の間伐を一家総出で行っているのを見掛けた。
右写真は、ソコの北山杉。
左写真、奥瀬谷の杉と川。
右写真、佐々里集落。
木枯らしが吹いてきたので、山裾の最勝寺前で風を避けて弁当を食った。
左写真、佐々里の八幡神社の大木。
佐々里川沿いのロードを進む。
右写真、椎茸を干していた。左の小さいのは乾燥が終わっている。
右のは放っておいて大きなり過ぎた。まだ放っておくと虫が食う。
コレが最後だ。と言って、巨大な椎茸に虫が入っているのを見せてくれた。
左写真、苔生す茅葺き屋根、庭には子供のジーパンなども干してあった。
お母さんに許可を得て写す。
右手の白いボックスは自動雨量観測装置。昭和40年以前は、目視観測で面倒だったと言っていた。
右写真、軒下には立派な「観測所」の看板が掛かっていた。
左写真、出合橋。佐々里川と由良川の合流点。
右写真、橋の上から下流側を写す。
右が由良川、左が佐々里川。水量は余り変わらない。
由良川の上流に向かって少し走ることにする。
左写真、画面左手の河原に転がっているのは、松上げのトロ(灯籠)木だった。
右写真、松上げの説明板。
左写真、由良川。
右写真、由良川沿いに芦生集落の屋根が一つ見えてきた。
芦生公民館前を通って、芦生なめこ生産組合の芦生山の家に寄って、芦生研究林に入った。
左写真、研究林の事務所。
右写真、森林軌道(事務所前)。
左写真、森林軌道が由良川を渡る。
右写真、森林軌道の橋から上流側を写す。
この後、由良川沿いに美山町を西に走って、隣の和知町に向かう。
左写真、田歌トウタの祇園橋を渡る。
田歌トウタの起こりは史書等にある『田楽』『田楽囃子』が『踏田舞い』と呼ばれ、田歌となり、八坂神社を祭り、踏歌を奉ずるこの集落の地名になったと想像される。
(http://www.suisen-an.com/miyama/yasaka.html)
右写真、江和で見かけた風景。
左写真、江和集落を振り返る。
右写真、中(知見口)の蔵王橋から上流を写す。
(左に知見小学校があるはず。)
左写真、北で由良川を写す。
右写真、知井北村(美山町字北)の「かやぶきの里」。
北村は50戸の集落で、その内、32棟の住宅が茅葺き。
左写真、大内あたりだったかな。(16:10)
右写真、多分、和泉あたりの由良川河川敷。
茅葺き屋根の材料の茅が生えている。(参照:茅刈りの模様HP)
【茅memo】 屋根を葺くのに用いる草の総称で、ススキ、チガヤ、スゲなど、イネ科、カヤツリグサ科の植物。
左写真、萱野橋。(17:00)
この後、真っ暗な中を誰にも出会わず走って、19時半にJR山陰本線・和知駅に着いた。
平成10年に完成した国道27号の和知バイパスの和知トンネルに入り、橋を越えたので、大分大回りになったが、トンネルに入らず、山の左(南)へ進めば、和知駅は近かった。
本日走行距離70km。