カヌーを始めた頃の思い出


『濱本治追悼文集』(2007/11/31編)に濱本さんとの昔の思い出を綴っていたので、転載させていただく。


私がファルトを始めたのは、1991年の春だった。
5月に日本カヌー普及協会の熊野川ツアーで漕いだ雨上がりの瀞峡は素晴らしかった。
7月の日本海ツアーは台風のため初日だけで中止になったが、帰路の山陰本線から見た日本海はきらきらと輝いていた。
それを見た初心者は無性に漕ぎたくなり、8月に休暇を取って琵琶湖を初めて漕いだ。
ソロで西岸を2泊3日で下ったのだが、2日目は運悪くまた台風が近付いてきた。
風雨の中を必死で南下して今津の国民宿舎に辿り着いた。岸沿いとはいえ、初心者の冒険心を十分に満たしてくれた。


沈・セルフレスキュー訓練会

そんな時、ミニパドル誌に、9月に近江舞子でクラブ・ザ・ファルトの「セルフレスキュー訓練会」が開催されると案内が出た。
それまでもミニパドル誌でクラブ・ザ・ファルトの漕行レポートを見てはいたが、
ザ・ファルトは錚々たるメンバーのクラブなので、自分のような初心者には無関係な存在だと思っていた。
今回は部外者の参加もOKで、絶好の機会である。思い切って訓練会に申し込んだ。
濱本さんと最初にお会いしたのは、この「セルフレスキュー訓練会」であった。
クラブ・ザ・ファルト主催で1991年9月に開かれた。
濱本さんや奥田さんも参加しておられ、吉田先生の指導のもと、まずは、沈・再上艇から始まったと思う。
最後はロールの練習だったが、私は再上艇で疲れ切って、とても試みる気はなく見学していた。
濱本さんと奥田さんは何回かの試行の後、くるっと回って起き上がられた。
その時の濱本さんの強い印象は、水を怖がらず黙々と練習されるお姿だった。
やがて成功した時に、少し白い歯を見せて遠慮がちに笑みを零されるお顔は今でも思い出される。

この訓練会の後、半年ほど琵琶湖と木津川を一人で何回か漕いだ。
そして、翌1992年4月にクラブ・ザ・ファルトに入れていただいた。


【近江八幡お花見キャンプ・ツアー】

最初の例会は、近江八幡のお花見キャンプ・ツアーだった。
水が浜でテントを張ったが、生憎の雨で一晩中、降られた。
雨の中、黄色いカッパを着て普及協会のツアーが泊まっているペンションを訪ねたことを覚えている。
翌朝早く、雨が止むのを待ちかねて、ザ・ファルトは北へ漕ぎ出した。
私も遅れじと付いていった。
その時たまたま、関係外の第三者であるが屈強の若いカヌー漕ぎが現れたこともあって、私はザ・ファルトの新入りメンバーの面目?にかけて力任せに懸命に漕いだ。
雨中の初めてのテント泊で体が冷え切った影響もあってか、やがて疲労のため腕が回らなくなってしまった。
力が入らず、全く漕げないのだ。
その時、濱本さんが私の船首のバウラインを引っ張って下さった。
それでもなかなか付いていけないので、自分の艇にバウラインを括りつけて漕いで下さった。
濱本さんに感謝するとともに、2艇分を併せて漕ぐその怪力には驚かされた。
後から知ったのだが、濱本さんは漕ぐスピードが非常に速く、他のメンバーよりも沖の方を漕ぎながら、いつも先回りをされていた。
吉田先生が韋駄天・濱本と呼ばれていたが、小柄で筋肉隆々という感じでない濱本さんのどこからあのスピードや馬力が出てくるのだろうか。
ともかく私は濱本さんに曳航していただき、暫くたってやっと回復して、クラブ・ザ・ファルトの最初の例会を無事終えることができた。
濱本さんというクラブ・ザ・ファルトのとびきり優しい先輩に恵まれて、私のファルト人生が本格的に始まったのだった。