以下は、『 濱本 治 追悼文集 』 の一節である、
大変遅れましたが 昨年9月例会のレポートを この『追悼文集』に挿入させて頂きます。
本当は 事故後の総活時に配信するべきでありましたが、口頭では状況を説明できても なかなか文字にすることは出来ませんでした。
しかし編集子の頭のメモリーには いつまでも忘れることなく残っているため コップに満杯になった水のように 新しい記憶が入る余地がなくなってきたのと、
そろそろ文字化することも可能になってきましたので、遅まきながらここに追記致します。
(Q太郎はこの頃体調を崩していて、ツアーにも参加できなかったが、謹んで転載させていただく。)
2006年9月例会 琵琶湖 西岸ツアー
報告 京谷祐造
日 時 2006年9月23(日)〜24(祝)
コース 近江舞子−安曇川(キャンプ泊)−今津(或いはマキノ)
企 画 吉田 究
参加者 22日から(舞子 泊) 濱本 治、岸本吉雄
23日から(舞子出艇) 奥田 丘、奥野浩司、京谷祐造
23日から(今津出艇) 吉田 究 (計 6名)
第一日 22日(土)
時間記録なし ツーリング前日より 濱本・岸本が集合地に到着しテント泊をする。久し振りの再会に夜の宴も弾む。
第二日 23日(日)
時間記録不明 濱本・岸本テントを起き出し朝食をとる。
時間記録不明 奥田 集合地の近江舞子に到着。
艇を組み立て後 車を今津にデポしに行く。
10:00 奥野・京谷 集合地に到着。濱本と久し振りの再会を喜ぶ。
艇組み立て中に 奥田 車のデポから戻る。
奥野は艇の修理をメーカーにしてもらったあとなので 船体布が窮屈になりなかなかうまく組み立てることが出来ず四苦八苦し時間を消費しているが、
出艇予定時間まではたっぷりあるのでゆっくり組み立てられたら良い。
既に艇の組み上がっているものから 個々に昼食の弁当を食べだしている。
11:40 濱本・岸本 近江舞子を出発。
予定の出発時間は午後1時なので出艇には早すぎるが 体調が思わしくなかった岸本も、久しぶりの濱本も、、
みんなより少しでも早く出てゆっくり漕いでいけば丁度よくなるだろうと先に出艇する。
濱本は明日24日はどうしても会社に出社しなくてはならないので スタートしてから一時間ほどで本隊と分かれてこのスタート地点に戻る計画を立てている。
琵琶湖は少し風はあるが穏やかで かんかん照りでなく絶好のカヌー日和である。
12:00 奥田・奥野・京谷も準備完了し 予定時間よりは1時間早いが濱本・岸本を追いかける。
湖面は穏やかだが 濱本・岸本が出艇した頃よりは少し風波が出てきている感じがする。
が、まず穏やかな部類であろう。
12:20 舞子を出艇して一息つき 艇の組み立てに全精力を費やしていた奥野は昼食をとっていない。
最初の小休止を利用して洋上でおにぎりをパクついている。
12:30 北小松 通過。この辺りから少し風・波ともに出てきたが さほど心配するような風・波ではない。
第二グループの奥田・奥野・京谷がスタートして40分になるので 先発出艇スタートした濱本がそろそろ引き返してくる時間になる。
どの辺りで離合するかみんな気にして前方と沖の方を注視しているが全くその影はなし。
しかしその頃より左舷前方からの波が大きくなりだしかけた。
13:00 白髭神社の鳥居近くの浜に岸本が上陸している。
奥田・奥野・京谷もその浜に到着し ここへ来るまでに濱本と離合しなかったので 岸本に何時頃別れたのか聞くと20分位前に分かれて
濱本はスタート地点へ向けて帰って行ったと言う。
さて濱本とはどこで行き違ったのであろう。不思議。
13:05 白髭神社の鳥居近くの浜からは低くて見通しが悪いので 岸壁を上がり湖岸道路上から北小松方面を見るが 濱本らしい姿を見つけることは出来ない。
但し4人の内3人が全く視認することが出来なかったが 京谷が眼を凝らすと3kmほど先の北小松の岬辺りを カヌーかどうか判らないが黒い点になったものが
近江舞子方面へ動いているのを微かにみてとれるが、カヌーであるかどうかは全く不明である。
もし濱本であるとしても彼のことだから大丈夫問題ないであろう。
13:10 白髭神社の鳥居を出発する。
波は少し出てきてはいるがこの波高の波であれば我等前進する本隊も 反転しスタート地点へ引き返す濱本も何ら問題はないだろう。
13:15 白髭浜の岬を通過する。
今まで陸沿いに北東に進んでいたが 白髭浜を廻る手前で前方を見ると 湖なのに波が北から1m近い高さで押し寄せてきている。
これはちょっと心配だ。岬を廻り北に転進すると猛烈な向かい風になり 漕げども漕げども前へ進まない。
全力を振り絞って少しづつだが前方の萩の浜へ向かう。
13:30 萩の浜へやっとの思いで到着し上陸し中休止する。
白髭から北小松辺りで別れた濱本は南西に向けて進んでいる筈だから 追い風で多分問題ないだろうと思う。
相当力を使ったので萩の浜では15分間ゆっくりと休憩をとる。
萩の浜にある我がクラブの友好クラブであるレークポイント・カヌークラブの艇庫は 10艇ほどあるカヌーが空になっているので 多分この日もカヌースクールを開いているのだろうか。
この風・波になればビギナーを引っ張るのは骨が折れることだろうと思う。
13:45 萩の浜を出発する。
萩の浜からはこの風・波の影響を極力少なくするため超沿岸航法で岸沿いに進むことにする。
と言ってもベテラン揃いのメンバーでは つい前方に見える岬へ最短コースを直進してしまい 何度も軌道修正しながら進む。
14:00 鴨川の手前でレークポイント・カヌークラブのカヌースクールと思しき一団が13〜14艇一列縦隊になって 岸の2〜3mの所を南下している。
我々は沿岸をと思いながらもついつい沖の最短距離にいってしまっているので言葉も交わす距離ではない。
やはりついさっきから出てきた風・波に対して ビギナーを引率してのツーリングは大変なようだ。
14:10 鴨川河口で洋上小休止をとる。
この30分の漕行では細心の注意をしながら漕いできたので 小休止とは言え10分の長い休憩をとる。
14:20 鴨川河口を出発する。
鴨川河口を過ぎ針路は東北東から東北に転進する。
岬を廻った所では水上バイクの一団がキャンプをしている。
何事にも荒い彼等もこの波では水上にバイクを浮かべることなく テント周りでキャンプを楽しんでいるようだ。
14:25 鴨川河口の岬を廻ったら 北からカヌーらしき艇が一艇 こちらに向かって近づいて来る。
段々距離が詰まってくると なんと我がクラブ代表の吉田であることが確認できた。
吉田はこの日仕事の都合でどうしてもスタート地点からの漕行が出来ず それでも無理をして今津から我等本隊を迎えるべくソロで漕いで来て
安曇川の宿営地へ向かっていたのだったが、少し早く到着したので我等を迎えるべく安曇川を出て南下してくれていたのだ。
14:30 松ノ木内湖の手前で吉田と合流する。
我等本隊は鴨川の岬を廻って東北に針路を振ってからは 先ほどまでではないが向かい風がきつくなり 相当力を入れて漕がなければならなくなっていた。
我々と逆の吉田は追い風に乗ってスイスイと進んでいたとのことだった。
吉田と合流して約5分ほど小休止のあと ここからは五艇で宿営地の安曇川へと向かって出発する。
15:00 安曇川南流河口を通過。
この辺りさほど風も波も納まっているが 河口は溜まった砂で浅くなっていて ザアーザアーと波が川の瀬のような音を発している。
船木崎を大きく廻って安曇川北流にさしかかる。
この日の宿営地は北流の北にある四阿のある浜だ。
もう少しでゴール。
やっと緊張の糸が解れてきたのか 岸本に去年か一昨年か行われた安曇川ツアーで沈して失くした「車のキーを捜さなあきませんなぁ」と冗談もでてきた。
15:15 安曇川北流の北 四阿のある浜に到着。
この安曇川北流の自然公園風のサイトには カヌー乗りではないが既に先客がいて四阿は占領されている。
仕方なく四阿から少し離れた所に上陸。
四阿と反対の方にはカラクリモンモンのファミリーがいる。
我々は以前からこの場所を宿営地に選んできていたが 車を湖辺まで乗り入れできることから色々な人たちがここを利用されるようになってきた。
それ自体は誠に結構なことなのだが モンモンの入ったお兄さんがこれ見よがしに肌を露にされるのには少々辟易する。
15:25 まずテントサイトを決定し テントを張る人、夜のために流木を集める人など様々に動いている。
16:30 各自テント設営も終わり 少し早いがテント設営など全てが終わった者から個々に夕食の準備に入っている。
17:10 秋のお彼岸のこの時期 午後5時はまだ明るすぎるが 既に缶ビール片手に晩餐が始まった。
18:00 吉田が濱本は無事スタート地に戻ったか確認のため何度もケータイにTEL入れるが応答がない。
多分帰路の運転中だろうからと解釈する。
18:45 焚き火を燃やしだす。
19:20 この日の風・波で疲れたのか岸本がテントへ戻って行く。
暗黒の空に幾つかの星が弱い光で瞬いている。
京谷は何を思ったのか真っ暗い湖面に向けてしきりにカメラのシャッターを切っている。
(後で考えると何故だか判らないが 夜の湖面を漂い流されていた濱本が呼んでいたのかも知れない。カメラは新海浜から沖島の方を写している)
20:00 吉田が何度も濱本にTELするが?がらないので テントへと消えて行く。
20:15 みんな本当に疲れたのだろう。こんな時間にテントへ入って就寝することなど 今まででは考えられず。
第三日 24日(祝)
6:00頃より 各自起きだし朝食を作りだす。昨夜の焚き火がオキになって残っている。
少し手を加えると燃えだす。各自朝食。
7:50 安曇川北流の北を出艇。風・波は少しあるが昨日より大幅に大人しくなっている。
風は北から南に吹いている。
昨夜の打ち合わせでは9時頃出艇の予定だったが 全員手早く朝食を済ましテントも撤収できたので いつものクラブ・ザ・ファルト時間で
時間を繰り上げて出発することになった。
朝の早い時期に出発すれば湖は穏やかなのでリラックスして漕げる。
9:00 針江川河口 到着。
この日の予定は今津までなので ゆっくり漕いでも充分昼までには着いてしまう。
そこで以前NHKで紹介された針江川の生水の里を 京谷が川から一度訪れたかったので みんなに計り針江川河口の水門から少し入ってみるが
内の水門が閉まっているのでそれ以上針江川を遡上することは出来なかったが ここで小休止。
針江川遡上は次のお楽しみとして残しておくことにする。
9:15 針江川河口を出発。
出発して10分も経たない時に吉田のケータイに濱本の奥様から「昨晩に帰宅していないし、今日会社にも出社していない」との連絡が入る。
洋上での受信だったので艇が風と波に煽られるので近くの小さな浜へ着けて ケータイで判る範囲で濱本の所在を確認することにする。
まず昨日濱本が車を駐車させてもらった民宿へTELし 濱本の車を確認してもらうと車はそのまま残っているとのことで、一同頭の中が真っ白になった。
そして濱本奥様に状況を報告し 警察にも状況を連絡し捜索の依頼をする。
外部との連絡には吉田がケータイで全て対応してくれる。
ここからは時刻確認をしていないので時間の記憶がない。全て推定時間である。
凡そ9:40頃 まず濱本奥様はご長男をすぐに現地に向かわせるとのことで、我々は取りあえず今津警察の警察官に詳細情報を報告するため 近くの饗庭川河口に赴く。
ここで奥野から単独航行はせぬよう指示がでる。しかし気はあせるばかりなので勝手にスピードが上がり窘められる。
凡そ10:00頃 饗庭川河口の水鳥観察場らしき場所へ吉田・奥野が上陸。
奥田・岸本・京谷も少し遅れて上陸。
吉田が警察官に状況を説明するが、ここでは概略の説明で すぐに今津までカヌーを漕いで行き カヌーを撤収して今津警察署に出頭することになった。
凡そ10:40頃 今津港に着艇。上陸し艇の解体をする。
全員外面上は正常で落ち着いているが 精神的に或る種のパニック状態でなかったかと推察する。
凡そ11:30〜12:30頃 艇の解体も終わり 全員で艇を担いで今津警察署に出頭し濱本の着衣や艇の色や艇種などを報告し 警察の捜索結果を待つ。
凡そ13:30頃 今津警察署の正面玄関脇の空き地で この日のツーリングに用意していた弁当を掻き込む。
吉田はどのような結果になるか判らないので 吉田奥様に連絡をされて今津に来るよう要請される。
今回のことでは吉田にも大変迷惑をかけてしまっている。
たまたま吉田がいないところでのアクシデントであるにも拘らず クラブ代表と言うことで全て前面に出て対応してもらうことになってしまった。
吉田にも誠に申し訳ない。
凡そ15:00頃 警察官から艇が近江八幡沖のエリに引っかかっているのを発見。
その10分〜20分後に濱本が 同じく近江八幡沖で水中を漂っている遺体を発見と連絡を受ける。
吉田より濱本奥様に連絡。ご長男は近江八幡に向かうと連絡を受ける。
凡そ16:00頃 吉田奥様の車と 今津にデポしてあった奥田の車に分乗して近江八幡に向かう。
凡そ18:00頃 近江八幡警察署に到着。
既に濱本ご長男は到着されており、健気に警察とのやりとりをされていた。
ご長男にツーリング時の状況や我々本隊との分かれに関して判っている範囲で説明をする。
ご長男はどうしてお亡くなりになられたのか 死因をお知りになりたいのだが、警察は事故として処理されているのでそれ以上のことは不明である。
水中を漂われていたが水を飲まれて水死された状態でないので 心臓発作を起こされて落水したのか、落水したために心臓発作をおこされたのか
その辺のところがお知りになりたいようだったが 警察としては事故扱いなのでそれ以上は関知されなかった。
凡そ19:00頃 霊安室で濱本さんに対面させて頂いた。
安らかに眠っておられるような穏やかなお顔であった。
お顔を見るまでは気丈にしていた積りだったが、お顔を拝見した瞬間込み上げてくるものがあり 止めどなく涙が溢れた。
凡そ20:30頃 寝台車の用意が出来てご自宅へご帰還される時がきた。
ご長男にご一緒にお家までお見送りさせて頂くようお願いしたが、「今日はどうぞお引取り下さい」とのお言葉で近江八幡でお別れした。
その後 みんなと近江八幡で別れたのか 吉田・奥田に山科まで送ってもらい別れたのか全く記憶に残っていない。