南紀・黒潮の海

周参見〜椿温泉(泊)〜才野〜円月島くぐり〜白浜(テント泊) (1996/5)

【1日目】

1996年5月ゴールデンウイーク、スーパーくろしお号でl0時半に周参見着。

駅からまっすぐ徒歩3分の砂浜では、明日、「イノブータン王国建国祭」が開かれるということで、地元の方々が集まってイノブタのダービーコースの
設営等の準備を、汗を拭き拭き進められていた。(右写真)

その横で私はファルトを組み立て、すぐ近くのガソリンスタンドで水をもらい、12時過ぎに出艇。
まずは水上から目の前の稲積島(左写真)に見える鳥居に向かって、3日問の航海の安全を祈った。

周参見の浜から見える右手前方に突き出た半島の突端のホテルは、見晴らし最高のロケーションにある。
このホテルのレストランで、これから漕ぐのと逆方向である東側の枯木灘(太平洋から吹きつける強い潮風が木々を枯らすことからの命名らしい)の絶景を
見ながら豪華なランチにありつこうと海からアプローチを図った。
磯の続く中に1ケ所、幅lm弱の石ころの浜を見つけ、磯の間を注意深く漕ぎ、艇を着けた(左写真)。

この崖をどこから登るのか? ホテルとは反対の右手の浜からは、木立が斜めに上がっているように見え道がありそうであるが、大分遠回りである。
近道をするべく、崖下の磯を左手へホテルの方へ歩いていくが、道らしきものは見つからない。
そこで意を決して、イバラがはびこっている急勾配の崖に取り付いた。
イバラを避けると、細竹の群。その群竹の上に馬乗りになり、少しずつ上昇。
つる草が何度も足に絡みつき邪魔をするが、ようやく頂上に近づいた。
最後の関門に鋭く尖ったトゲだけのサボテンのような植物が15センチほどのトゲを下に向けて、待ちかまえていた。
手首から血が流れる。天然のこの要塞を息を切らしてやっとの思いで登り切り、ホテルを訪れた。
ランチを所望すると、昼間はやっていないとの返事。なんてこった。
200円の自販機で缶ジュースを求め、ともかく一息つく。
やはり崖の右端に磯に降りる道があって、収穫は無いものの無事帰還。

12時を回って初夏の太陽が真上から照りつける。休む木陰もない。
非常食のゼリー飲料を2本胃袋に流し込み水も十分に補給し、気を取り直して再出艇。
心身共に疲れが感じられたので6割の力でゆっくりと漕ぎ、南南西に針路を取った。
周参見湾を出ると、さすが太平洋である。波高約2mの黒潮を漕ぎ進めるのは実に爽快であった。
振り返って枯木灘の方(右上写真)を眺めると、絶壁の海岸線が薄曇りの中に続いており、あの海も次の機会に是非漕ぎたいという思いに駆られた。

15時過ぎに右舷に、日置川の河口近くに架かる白いトラスの日置川大橋(左写真)を確認。
日置の大浜(右写真)を過ぎると、やがて今まで海岸線に沿って見え隠れしていた道路が少し陸側に入って見えなくなった。
南紀の豪快な大自然の中を小さな赤いカヌーは進んでいった。
(丁度このあたりの海岸線から少し入った道は、熊野街道(大辺路)であり、道に並行するJRの向こう側に旧熊野街道があると、
地理院の20万分1の地勢図に印してあった。)

黒潮からの波が南紀の岩場に打ち寄せ白波になって砕ける直前に、水深が浅くなったところで、その薄い水の層で陽光が反射し、翡翠よりもきれいな白みがかった翡翠色に輝く。
黒潮太郎の恋人へのブレゼントであろうか。
その名の如く黒っぼい黒潮は白翡翠色に輝くために日本列島に、特にその色が似合う南紀に赤道からはるばる旅して来ているのだ。
きれいな海をひとりぼっちで漕いでいると誰でもロマンチストになる。

岩礁で海底が浅くなっているのであろう。
波が前方を横切り、やがてダイナミックに砕ける。まさに大自然の南紀の海をゆっくりと漕ぎ進んだ。
先ほどから飛び魚が何十メートルも海面すれすれに悠々と飛んでいく。彼等も、この豊饒の海を楽しんでいるようだ。
時々見える浜辺や入江の集落の手前のテトラや防波堤、海岸線を縫う道路(たまに車が走っている)はあるものの、半日かけて大自然の中を漕ぎ進んだ。

薄曇りの空が少し暗くなったようだ。
17時過ぎ、遥か右舷前方に突如としてランドマーク風の高層リゾートマンションを中心とするホテル群が見え始めた。
あれが今日泊まる椿温泉に違いない。
安堵の気持ちが湧くと同時に、あれが椿なのか。
小学1年生の冬休みだったと思うが、昔からの湯治場で確か自炊をしていたはずの、あの椿温泉が半世紀近く経ったとはいえ何という変わり様だ。
かすかな記憶の思い出を求めての今回の旅でもあったのだが、世の中は変わってしまった。ちょっと寂しくなった。
もうすぐ懐かしの椿の温泉に入れる。昼飯抜きの腹が鳴る。パドリングのピッチが上がる。
椿の海も全面岩場であったが、1ケ所だけ、椿の老舗旅館ときわ楼の真下に砂利浜があった。
今宵の民宿の在処を尋ねると、坂の上のバス道に出るとすぐとのこと。
荷物を整理しバッグと防水袋の取手をパドルの柄に通して肩に掛け、坂道を登った。

まずは玄関先の水道を借りてウェアその他の塩抜きをし、裏口にある物干場を独占してぶら下げる。
その後、待ちに待った椿の温泉にゆっくり浸かった。ビールを2本注文し、早速ご馳走をいただくことにする。
45年前の私の椿での冬休みの話をすると、女将は、昭和25年は白分の生まれた年だと言う。
娘さんが今春大阪の大学を卒業して就職したので、仕送りをしなくてよくなった。
堺にマンションを借りたのでl〜2ケ月は家賃だけを出してやる。
明日からの連休には帰ってきて手伝ってくれるのだとうれしそうに話す。
夜、浜に留め置いたファルトを見に行き、椿の街を歩く。
スナツクが2、3軒あるだけでJRの駅からも遠く、静かな温泉街であった。


【2日目】

翌朝、きれいな温泉に案内され、ゆっくりと朝風呂に浸かった。
昨夜入ったのは実は家人用の風呂で、女性の泊まり客が先に入っていたので失礼しましたとのこと。
いやいやそれでよかったのだ。気兼ね無く、お風呂で洗擢させていただいた。
2回もゆっくり温泉に入ったので、周参見での崖登り時の手首の傷もほほ治ってしまった。やはり椿は湯治場であった。
9時過ぎに宿を出る時に今夜は白浜でテント泊だと言うと、女将がちょっと待てと言いアジの干物とタコぶつをくれた。
近くの店で椿産の甘夏や柏餅等を調達し、昨日の浜に降りた。
入って来る時は小さな入江だと思ったが、結構広くて、カヌーにとっては岩場の続く海岸線での天然の良港と言える。
(残念ながら白浜町はキャンプ禁止になっている。)

ゆっくりと出航。
今日も薄曇りのカヌー日和である。
椿の西の漁港には小さな川が流れ込んでいて砂浜があるが、岸沿いに国道が走っていて騒々しい。
昨日の着艇地点が正解であった。やがて左舷前方の山腹に白浜の別荘らしき建物が点々と見え始めた。
先ほどから小型プロペラ機が盛んに飛んでくる。
どうやら真っ正面に見える緑色の大斜面はこの前、滑走路の新設工事が終わりテープカットのあった新白浜空港の端っこのようである。
地図では標高100メートル。
今日は祭日。大海を漕ぐ者がいれば、大空を飛ぶ者もいる。それにしても色々な形をした飛行機があるものだ。
いずれも小型機で、トンボのように細いものや芸術的な尾翼を付けたもの、その中にヘリコブターも混じり、見ていて飽きない。
昨年の11月、クラブ・ザ・ファルトの月例ツアーで、関西新空港への連絡橋の袂の前浜りんくうタウンのマーブルビーチからファルトを漕ぎ出した。
関空滑走路の延長線上の海上では、直上数十メートルの空に次から次へと飛んで来る、ジャンボジェットに手を振った。
その時は轟音とどろき壮観と言うよりは怖かったが、今日の飛行機たちはかわいいものである。
トンビやカラスも一緒に飛んでいて、きれいな絵になっている。

お昼前、南白浜の砂浜を過ぎ、三段壁に向かって岩場が続いている途中の小さな船溜まりに艇を入れた(右写真)。
地図で確認すると才野という所で、きれいな砂浜の実にのどかな昔ながらの小さな漁村であった。
コーヒーを入れ、今朝、椿で買ったあんパンとクリームパンにかぶりついた。
食後、お日様が射してきたので、人影がないのを幸いに、ウェアを脱ぎ小石の原に広げて乾かし、マット、ライフジヤケットの上に寝転がって、甲羅干しをして余分に休憩をとった。
うとうとしているとどこからか、ご年輩の漁師さんが現れ干してあった魚網を片付けられた。

昨日漕いだ周参見から椿の間は、特に後半は、大自然の中のカヌーであった。
黒潮の荒波の中を一所懸命に漕いだ。
今日は道路、防波堤、テトラに加えて、新白浜空港造成の斜面、その右手山頂付近には新しくできたアドベンチヤーワールドの大観覧車や白いホテル様の建物の頭がのぞく。
それに白浜の別荘群であろうか山腹に散らばる家々などの人工物が常に進行方向に見える。
やはり、自然の方がいい。

白浜の観光名所、三段壁(左写真)が近づいた。
さすがにスケールがでかい。上にいる人々が蟻のように見える。
波が静かだったのでカヌーを寄せると、洞窟があった。
中へ漕ぎ進めると薄明かりの中に人々がいる。
後でガイドブックを見ると、「絶壁をエレベーターで下りれば、崖下の海面ぎわまで行ける。かつての熊野水軍の舟隠し場だったといわれ、
洞窟内遊歩道を歩けば番所小屋が再現され、弁財天が祀られている。」とあった。
三段壁の曲がり角付近には立派な釣り船が2隻陣取っていた。
千畳敷あたりまで陸上には観光客と釣り人がひしめいていた。

湯崎半島の突端の砂岩の窪みに湧き出る露天風呂「崎の湯」には、658年に斉明天皇、690年に持統天皇(いずれも女帝)が行幸、入浴された。
今もその当時のまま共同浴場として無料で開放(8:00〜17:00)されている。
「日本最古の風呂」といわれ、湯質も白浜で群を抜いているとのことである。
是非ともこの「崎の湯」に入りたく、岩場続きの中、着艇スポットを探し、やっと1ヶ所見つけた。
崎の湯の200mほど南の磯の中に1艇だけ着けられる丸みのある石の部分があったのだ。
もやいのロープを大きめの石にしっかり繋いで、タオルを持って上陸、磯伝いに「崎の湯」へ行く。
ゆっくり温泉に浸かって、その後、岩の上に寝転ぶと薄曇りの空が晴れてきてお日様が顔を出し、波の音とともに吹き寄せる潮風が気持ちいい。
暖かい岩と適度の風、バスタオル不要で体は乾いた。
再びカヌーに乗って、折角の記念に写真を撮っておこうと海からファインダーを覗くと、女湯が見えるではないか。
仕切壁も太平洋までは覆っていなかったのだ。やったぜ。しかし芸術的なシャッターチャンスはなかなかこない。
カメラを構えること数分、そのうち何だか騒がしくなってきた。管理人のおばちゃんらしき人の姿もファインダーから見える。
これは大変、取り舵いっぱーい、全速前進、退却!

白良浜の沖約400m、権現崎の手前あたりで、左手沖合から波が走ってくる。
パドルを入れると水深1M。後で地図を見ると、岩礁がちゃんと表示されていた。
円月島北東の臨海の砂浜に艇を着けて冷たい缶ビールを3本調達する。
その浜で思春期の男の子がうずくまっていた。
着艇時には浜辺の小さな砂饅頭の真ん中に立っていた木片が、帰るときには潮が満ちて流されていた。
彼はそれをじっと見つめているばかり。人生色々あるものだ。きっと神様が彼にいい経験をさせたのだろう。幸せを祈る。
今日の白浜港の満潮は1時問後の18:30のはずだから多分、円月島の円を通り抜けができるだろう。
ゆっくりゆっくり艇を進める。OK、成功。振り返って、円月を大写しに撮る。

大ぐその岩礁を注意深く漕ぎ進め、西に突き出た半島を回り込み、京大臨海実験所の裏側の浜の一番西に着艇する。
この浜は、学生時代に大学の宿舎に泊まり遠泳に参加すると体育の単位がもらえるというので、来たことがある。
その西端に半月橋の形をした半島状の崖があった。
今宵は、懐かしのこの半月橋崖の手前にテントを張ることにする。
流木がふんだんにある。5、6時間分の薪をかき集め、山と積む。王様の座椅子を組み立て、薪に火をつけた。
丁度その時、東の山の端から満月が上り始めた。
さて、いよいよディナーの始まりである。
今朝、椿の出掛けに民宿の女将がくれたアジの干物とタコのぶつ切り、キュウリの漬け物まである。
ありがたい。浜辺で見つけたバーベキュー用の金網、サビサビであるが焚き火であぶれば消毒もできる。
これにアジの一夜干しを載せる。いい匂いがする。新鮮なアジだ。頭から骨ごとかぶりつく。
タコぶつの酢漬けも実に旨い。黒ビールの3本目を空ける。本日、缶詰は不要であった。
アルファ米の赤飯にキュウリの漬け物がまたよく合う。デザートは、椿で仕入れたアンミツと現地産の甘夏。大ご馳走であった。