明石海峡(大橋直下)を漕ぐ


1999年3月春分の日の朝、クラブ・ザ・ファルトの淡路島東海岸の例会で、由良を出艇。
成ヶ島に上陸、散策後、北上して洲本の炬口の浜で早めの昼食をとった。
志築(津名町)で上陸・解散するザ・ファルトの仲間と別れ、ソロで北上を続けた。
東浦町に入って、高さ100mの大観音像を横目に見て漕ぎ過ぎ、仮屋漁港の南の東浦グリーンビーチに17時着艇。
カヌーを留め置くのに格好の、舫綱を結びつけるワッカもある階段状ステージの中段に艇を上げた。本日漕行30km余り。

小雨ぱらつく中、酒屋のオヤジサンに「プチホテル・サンパティア・ヒル」を紹介される。
徒歩15分、見晴らしの良い瀟洒な新しい白い建物である。
生憎、満室であったが、入浴と食事を頼めた。
3連休でどこの旅館も空いていなくて、ようやく民宿を見つけてもらった。
まずは海の見えるお風呂にゆっくり浸かり、冷え切った体を温める。
料理もなかなかのもので、特にできたての淡路牛のタタキは絶品であった。これで明日のエネルギーも十分である。
翌朝、民宿で5時前に目が覚めた。
窓を開けると満点の星ではないか。暗闇の中、星を見に出る。
この時間帯は夏の星座だ。天の川が横たわり、真上に織女星と牽牛が見える。南にはさそり座も見える。感激。
7時に頼んであった朝食前に再び散歩に出る。
菜の花畑の向こうに東の海が見える。
雲が出ていて、時々朝日が射す。淡路の景色だ。
竹藪の向こうに昔の土葬時代のお墓がある。
墓石はなく小さめの自然石が並んでいて、どのお墓にも色とりどりの花が入れてある。
お彼岸でもあるが、後で聞くと、いつもお花が供えられているとのこと。よき時代が残っていた。

8時30分に東浦グリーンビーチを出艇。
浦海浜公園のサンシャイン・ブリッジ(ロンドン塔をモチーフにした展望遊歩道)、浦港の大型クレーン、立石川すぐ北のラジオ・アンテナのツイン・タワー(背景に高速道高架橋あり)を見て、大磯港を通過。
1年後に開催される花博会場沖を漕ぎ、いよいよ、明石海峡を目指す。
本日の潮の状況は、8:32に潮止まり、11:07に西流最大とのことで、西流最大の時に海峡を横断することになる。
その前に鵜崎の浜に着艇、小休止。

再出艇し少し西に回り込むと、やがて大橋の1A橋台(本州側のアバット)が見えた。
続いて、2P主塔橋脚(本州側のピア)が見え3P、4Aと、ついに明石海峡大橋3991メートルが全景を現した。
その美しい姿をカメラに収める。
橋の手前の絵島に向かって漕ぎ出すが、北西の強風のため前進できない。

舳先は右に旋回し明石の方向を向いた(10時25分)。
漕ぐしかない。
心の準備が不十分なまま針路を明石にとる。波高は2m余りだが、風が強烈だ。ラダーを踏み込み懸命に漕ぐ。やがて、3Pが左手に見えた。

航行中の漁船が近づき、声を掛けてくれる。「大丈夫です、どうも」と答える。もうすぐ海峡の真ん中だ。
潮、波、風それに雨までが西からやって来る。ひたすら北に向かい漕ぎ続ける。
漁船や貨物船が前方を東に横切っていく。続いて海上保安庁の巡視艇「しきなみ」PC12が前方500mを東に向かった。
しばらくすると、右後ろからマイクで、「北上するカヌー、聞こえますか?」と呼び掛けられた。
振り向くと、先ほどの「海上保安庁」だ。デッキに2、3人の姿が見えた。「ハーイ」と返事する。
「大丈夫ですか?」と聞かれても、多分そう思うが保証はできない。「どうも」と答える。
こちらは西北西から来る3mの波の中、ラダーをいっぱいに踏み込んで、明石海峡大橋を左舷に見て何とか北上しているのだ。
問答できる状態ではない。
しばらく右手について伴走してくれたが、まあ大丈夫かと判断したのだろう、やがて後方に消えた。

橋の真ん中辺りを過ぎると、波高が4mになった。横風も強烈でラダーが効かない。東に流される。
前方200mにいた漁船が急に向きを変え、フルスピードで我艇の針路上をこちらへやって来る。
ちょっと待ってくれ。右手を通るのか、左手なのか、はっきりしてくれ。こちらの繰船は大変なとこなんだから。
様子を見ていると、左手に来て急停止した。海峡の波の上にお前さんの造ってくれた波が加わるじゃないか。必死で漕ぐ。
「大丈夫か?」と声を掛けてくれる。また、「どうも」と答える。なるほど、さっきの「保安庁」はさすがプロだった。
右手後方からゆっくりと近づき、我が艇の針路を妨害せず造波の影響もなかった。伴走するときも前には出ず、邪魔にならなかった。

2P橋脚(本州側主塔)が左舷に見えるところまで来た。あと1000mだ。
波高は2m台に収まったが波の動きが不規則になり、なんだか気味が悪い。
漕いでもなかなか前進しない。気がつけば、いつの間にか2Pの北側で大橋を横切っており、艇は北西に進んでいる。
(上陸後、高さ100mの回転昇降式の展望台・舞子タワーから見ると、どうやら2P橋脚が波の下流、東側に造る渦混じり波の影響だったようだ。)
西方向の明石の町が通り雨か、煙って見える。そう思っていると、その通り雨が強い西風にのってこちらにやって来た。見通しが利かない。
前方左右を確認する。幸い、船の影は見えない。2Pの北西を懸命に漕ぐが、遅々として進まない。そのうち小雪が横に走る。
舞子まで500mに近づき、ようやく風波が収まった。
水を飲み大橋にカメラを向けてから、再び大橋を横切って、舞子の整備された人工の白砂の浜に着艇したのは12時であった。

夕方、家路へのバス停を降りると、小雪がぱらついていた。
白木蓮の花が3日前に家を出た時のままの満開で迎えてくれた。
帰宅後のニュースによると、お彼岸なのに強い冬型の気圧配置に逆戻りした。
大阪市内でも最大瞬間風速19.9mを観測し、気温も1月下旬から2月初め並の冷え込みで、雪の降ったところが多かったとのこと。
明石海峡も寒かったはずである。