John Dowd & Japanese Seakayakers at NARUTO


                      鳴門の島田島を一周し、鳴門大橋の下で潮に乗って漕いだ。

「Sea Kayaking」という本があり、シーカヤッカーのバイブルと言われているらしい。
著者はジョン・ダウドで、45年ニュージーランド生まれのカナダ人。
81年に初版が出て、02年5月に4th Edition をベースに新たに日本語版が出版された。
その出版記念にジョン・ダウドと漕ぐツアーが企画され、Q太郎は西日本編の鳴戸ツアーに参加した。
その本の奥付に記されれている、著者:
ジョン・ダウドと翻訳:並松征彦、それに監修:内田正洋、協力:新谷暁生柴田丈広の錚々たるシーカヤッカーズと一緒に漕ぐことができた。
その模様を写真で紹介したい。

上の写真は、Mr.John Dowd。その後の黄色の艇は、翻訳者であり、ツアー主催者でもある並松征彦氏。背景は鳴門大橋。
以下、John Dowd氏を敬愛の気持ちを込めてジョンと呼ばせていただく。


【02年5月28日】

10時に鳴門市鳴門町土佐泊浦のMoana Coast(ホテル)に集合し、大毛島(=鳴門町)の北西にある鳴門(亀浦)観光港に車で移動。
右写真の右端の青いのは内田艇。その左の赤白の艇にジョンが座って確認している。
その横の赤いのは新谷艇。左端の黄色は柴田艇で、柴田氏が立ってジョンと話している。(後で知った。)
右後方では、徳島新聞社の記者が来て、並松氏と内田氏が説明している。
(翌日の朝刊にジョンの写真入りで、このツアーが大きく紹介されていた。)
その手前で、新谷氏と今回の鳴門ツアーの名コースガイドの尾崎志郎氏が多分、コースの打ち合わせをしている。


11時半ごろ30艇ほどが港を出艇。
今日は、堀越橋でつながっている島田島の東を北上して反時計回りに一周する行程だ。

堀越橋の下の瀬は、大潮の潮が引き始めて、凄い流れになっている。さすが鳴門だ。(この堀越の瀬を漕ぎ登って今日のフィニッシュになるはずだ。)



まずは、島田島の東側、瀬戸室を快適に漕ぎ進めた。

左は思崎の手前でちょっとくつろぐ赤い新谷艇と青い内田艇。

右はジョンだ。

みんな、初夏の晴天に恵まれた瀬戸内海を楽しんでいる。





瀬方鼻の向こうに見えるのは多分、鳴門カントリークラブの半島だろう。

ずっーと瀬戸内の海が広がっている。


鼻を回って、小鳴門海峡へと南西に進路を向けると、やがて、小鳴門新橋(下右写真・中央)が見えてくる。
海に架かる橋は皆、背が高くて赤色だ。





     



小鳴門海峡に入るトコロで、小さいながら渦潮が巻いていた。艇が回され、一瞬焦った。
(渦の写真は撮れなかった。)

引き潮に乗って軽やかに海峡を進む。



瀬戸小学校あたりの集落を過ぎ海峡が広がって内海に入る手前左の浜辺に阿波井神社の立派な石灯籠(下左写真)が見えた。

ここで上陸し、お握り2個の遅めの昼食。


日本語の上手なウクライナの青年が、日差しが強いのでタオルのようなものが欲しいと言った。
Japanese Seakayakers は多分、余計なものは持っていないはずだ。汗かきの私は予備のタオルをデッキバッグに入れていた。
開けると、運悪く100回ぐらい洗濯をした代物が出てきた。申し訳ないが無いよりましだろう。そいつを差し出した。
青年はタオルを頭に巻いたことがなかったので、新谷氏が結んであげた。(この役は、新谷氏が一番似合うと思った。)

なお、青年はツアー終了後、私が艇の片付を終えたのを見届けて、その雑巾いやタオルを多分、前夜に洗濯までして返しに来られた。
私はその気配りに恐縮した。彼は国際政治学の教授を目指すと言っていた。


14時半前に阿波井神社の浜を出艇。島田島の南の岬を回り込んで、内海を北東方向に進む。
黄色は柴田艇。


    

内海は潮の流れもなく、みんな悠々と漕いでいる。
青いのは内田艇。下右写真の中央に堀越橋が写っている。


   


ジョンも水草の上を楽しそうに漕いでいく。


堀越橋の下の潮流はまだ勢いよく流れていた。暫し潮待ちタイム。
橋の右手の浜に艇を着ける人も多かったが、ファルトが確実に負傷しそうな鋭利な浜だったので私は海上で待った。


15時半、ついに遡行作戦開始される。
私は怖じ気づいて一番最後に、ようやく登り切った。

16時に亀浦港に無事、帰着。


素晴らしいリゾートホテルの Moana Coast にチェックイン。
メゾネットスタイルで1階に4ベッド、2階に2ベッド。吉川寛氏そのスタッフが1階に、2階は大阪・高槻の田島氏と私。
体の塩抜きの後、ディナー・レストランへ。
会場エントランスでは、ジョンが求めに応じて今回の日本語版「Sea Kayaking」に次から次と忙しくサインしていた。
ディナーのテーブルは私から左回りに、並松氏、吉川氏、そのスタッフ、内田氏、新谷氏、田島氏の超豪華な顔ぶれだった。
内田氏が、ジョンがSea Kayakingという言葉を作ったが、日本語でどういうかを考えねば。
たとえば「航海カヌー」とかと、最後の方で静かに熱っぽく話されたのが特に印象的だった。
ジョンは中央テーブルで、吉川氏のトコロの女性スタッフに挟まれている。
左手のテーブルには柴田氏の姿が見える。

やがてジョンのスライド・ショー。
16歳からカヤックを漕ぎ始めたジョンの、40年以上のSea Kayaking人生の中から選ばれた写真は、さすがに見応えがある。
興味深く、もっと見たかった。続いて、並松氏がジョンが好きだと言うトーク・ショー。(いずれも柴田氏の的確な通訳付き)
ジョンが会場からの質問に答えて、「命が危ない」と思った一例として、彼のワイフと友達を連れてシーカヤッキング中での出来事を挙げた。
そのようなリスクが伴うカヤックの旅を続けるジョンに対して、ワイフがもう止めてくれと反対しないのかどうかに、私は最も興味を持ったが、日本男子として、よう訊かなかった。


【02年5月29日】

朝目覚めて、散歩に出る。R11号を渡ると、薄曇りだが、穏やかな海が広がっていた。安心して戻る。
左写真、ホテルのゲートからの景もなかなかいいなぁ。改めて南イタリアの風情を感じた。

部屋に戻り、屋上のテラスに上がった。
チェアーに座るとパンツが濡れた。
帰宅後、今朝の明け方強い雨が一降りしたと女房から聞いたが、鳴門でも降ったのだ。

ゆっくりとイタリア料理の朝食を味わう。



徳島新聞朝刊を見た海上保安庁が、鳴門の渦潮を漕ぐのではと心配して駆けつける一幕もあったが、一行は10時半過ぎに網干島南の浜を静かに出艇。

今日は大鳴門橋までの往復ショート・ツーリングだ。
岸沿いに漕いでいって、帰りは潮に乗って流れる。


私を含む4名のリーダーである若きSeakayaker佐藤啓司氏(左写真中央・白い艇)に続き、できるだけ岸側を漕ぐ。
大鳴門橋を目指して漕ぎ進むのは壮快であった。


橋台の根元付近の磯に艇を着けて、ポーテージ。

右写真は、本日のメーン・イベントである大鳴門橋(の鳴門側橋脚と岸との間)潮流下りの打合せをする、右から鳴門の尾崎氏、並松氏、状況を見てきた柴田氏。
左後ろに、ジョンが立っている。



乗艇したジョンは、大鳴門橋のトラス桁の下で静かに待っていた。
背景には、潮流を下る先行艇が小さく見える。

1艇また1艇、左上から右下へと順番に下っていった。
ジョンが下り、私も下った。

やはり潮は上るより下る方がイイ。

もう一度漕いでいき、途中から潮に乗って楽しむ人もいた。




  


大塚国際美術館の(東)下の浜辺に着艇し、昼食休憩。

右写真の一番手前の赤黒艇は、我がフジタのPE−480。
唯一のファルトだった。
ジョンが向こうから順番に艇を見て、こちらにやってくる。

ここの浜で、かのウクライナの青年が泳いでいたかと思うと、磯に潜り、底の石を返してアワビを見つけた。
これは何ですかと言って持ってきた。
並松氏がナイフで切った。一切れご馳走になったが、鳴門の塩味でうまかった。

その後、名残を惜しみながらゆっくりと鳴門の海を、ジョンも漕いでいた。


      

出艇した浜は磯に囲まれていたのだ。
下写真の黄色い艇は並松氏。青い艇は内田氏。


     

この静かな磯の中で、ジョンから新しいレスキュー方法が紹介された。
転覆艇を起こした後、救助艇が横付けして、(救助艇に固定された)大きな輪っかを作ったヒモを転覆艇を越えて水中に垂らす。
その輪っかをアブミ(鐙)のように踏んで乗艇する。何人もの人が実地練習をした。
確かに体力の消耗が少なく再乗艇ができる。
荒天では、スキルを持ったリーダーと事前にアブミ乗りを練習したメンバーとの間では有効だと思われた。

いやー、楽しかった。素晴らしいツアーだった。

尾崎氏に、鳴門グランドホテルまで送ってもらい、駐車場でファルトをばらした。
艇は宅配便で送り出し、フォールディング・バイクを預かってもらって、最上階の展望大浴場に入る。
誰もいなかった。
大鳴門橋も見渡せる展望浴場が貸し切りだった。ココでも、しあわせしあわせだった。尾崎さん、大感謝で〜す。

帰りも高速鳴門から大阪までバスに乗る。
バス停までサイクリングで鳴門の余韻を楽しむことにした。

左写真は鳴門の自転車道だ。こちらも、なかなかのものだ。


いつの間にか道は、鳴門海峡側から小鳴門海峡(の南側)に入った。

東を振り返ると、高速道の赤い撫養橋と白い小鳴門橋が並んで見える。あの橋を渡りたくなって、バックする。

しかし、小鳴門橋は左下写真のごとく、歩道が付いていない。
路肩も余裕がない。渡るのを諦める。

地元の人は、歩道はないけれど自転車は通れると言ったが、ちょっと怖い。
それに、海峡の反対側で夕陽に映える2連の斜張橋・小鳴門大橋(右下写真)が美しく招いてくれる。

元シビル・エンジニアとしては、こちらを選択した。


鳴門の塩田跡を宅地に整備したと思われるトコロを走って、斜張橋に向かう。
下の3枚の写真、実にきれいではないか。



   


 ジョンより私が2歳年長なのに、どう見てもジョンが年上だと見えるのは、おそらくSea Kayakingの年輪だろう。
 腰痛をなんとか治して、今回のツアーに参加できたが、帰ってくると元の木阿弥だった。
 私のカヤッキングにおいて最も重要な事項はやはり腰だ。少しずつ鍛えよう。 (なんと次元の低いエピローグか。)



【付録】 ジョン・ダウドと漕いだツアー・レポートの数々 (見つけたら教えて下さいね。)

  
【西日本編・鳴門】

      http://seakayaker55.hp.infoseek.co.jp/john.htm
     (特に、アブミ式の新しいレスキュー方法の紹介は、 http://seakayaker55.hp.infoseek.co.jp/rescues.htm)

      http://www.h3.dion.ne.jp/~seado/narutodawd.htm


  【東日本編・西伊豆】

      http://www.asahi-net.or.jp/~SF2T-CB/diary/D20020525.html