越中         富山湾 下見サイクリング

   クラブ・ザ・ファルト2006年5月例会は富山湾(雨晴→岩瀬浜→魚津)ツアーである。その下見に走ってきた。 マピオンの地図はコチラ
   下見の月日 : 2006年4月24日(月)〜25日(火)。

【1日目】

京都駅7:38発の特急サンダーバード1号に乗車。
湖西路で強風のため運転速度を落とした遅れを持ち越して高岡に着く。
JR西日本は安全運転に徹しているようだ。
待っていてくれた氷見線に乗換える。
小矢部川を渡り、伏木、越中・国分を過ぎると、右手は海だ。
男岩、女岩、義経岩を経て、雨晴駅。
島尾を経て終点の氷見に10:42着。
黄砂のため視界は全くきかず、海越しの立山連峰どころではない。
駅の観光案内所でパンフレットをもらい、昼食のうまい店を聞く。
一番海側の道を北へ走り、開店時間の11時に薦められた魚料理の「ひみ浜」に着く。
流石に刺身はうまかった。蛍烏賊は値段の割にはもう一つ。
(今年は蛍烏賊は不漁で、高いそうな。←翌日、滑川の昼飯食堂で近所のおばちゃんが言っていた。)
かぶし汁(氷見の漁師が作る大漁鍋のみそ汁)はイイ味で、氷見の棚田米もうまく、お代わりをした。 
店には岩牡蠣の入った桶が2つ置いてあった。
腹ごしらえを終わって、スタート。

左写真、比美乃江大橋(氷見漁港の北側に注ぐ上庄川の河口に架けられた斜張橋。
なお万葉集では、氷見は万葉仮名で「比美乃江」と書かれているらしい。)



右写真、氷見漁港に揚げられていた多分、定置網?






左写真、湊川リバーウォークでは桜が三分咲き。



右写真、カモメが集まっていた。
老夫婦が小さなボートに岩牡蠣を積んで帰ってきて、自転車に積み替えて走っていくトコロだった。






左写真、前方にボォーと見えるのは雨晴の防波堤だろう。
今日の写真がボォーとしているのは全て黄砂の所為だ。


右写真、雨晴海岸、雨晴海水浴場。
ココがカヌーツアーの出艇地だ。
駅の直ぐ海側で、水道とトイレもある。
前方に見えている小島は多分、女島。




左写真、義経(雨はらしの)岩の上の祠。


右写真、義経岩では確かに雨宿りはできる。
(沖合には女岩)







左写真、女岩。



右写真、沖にぼんやり写っているのが男島。









左写真、越中国分寺跡









左写真、この薬師堂は今にも壊れそうだった。


右写真、荒彫りのまま風雨にさらされた像。
非常に躍動的で、天女にも見えるし、この大きさと置かれ方からは仁王様のようにも思えるが、果たして?



この後行った高岡市・万葉歴史館は素晴らしく、時の経つのが惜しまれた。




左写真、小矢部川を伏木港大橋で渡る。



右写真、庄川を新庄川橋(左の青いトラス橋、右の鉄橋は加越能鉄道。)で渡る。






左写真、庄川の河口。



右写真、奈呉ノ浦大橋から見た奈呉ノ浦。







左写真、引退した練習帆船・初代の海王丸。
ココは海王丸パークというらしい。ココに向かっていた2代目の海王丸が2004年10月、台風23号の強風に流され富山港岩瀬浜側防波堤に衝突・座礁したのだった。



右写真、富山県営渡船の海竜。
この船で越の潟から堀岡に渡った。





左写真、海沿いの道を東に走る。



右写真、前方に西岩瀬の多分、火力発電所の煙突が見える(左)。右の赤白の煙突は多分、日本海石油のだ。







左写真、神通川に架かる萩浦橋から上流側を写す。



右写真、神通川の河口。右手に富山港。







左写真、富山港展望台から西方向を写す。
画面中央には、黄砂の中を沈んでいく西日。
その左には、西岩瀬の火力発電所の煙突。
そして手前には、神通川と富山港の水面。


右写真、岸壁には、ロシアの貨物船が泊まっていた。船の前には自転車が10数台並んでいる。(船員たちは自転車で町中を走っていた。)



岩瀬浜の松林の中のホテル古志に砂浜から辿り着いた。


【2日目】


左写真、岩瀬浜海水浴場の防波堤。
カヌーツアーではココに着艇するのがイイだろう。


右写真、岩瀬浜の東の海岸。







左写真、画面中央にホテル古志。

雨宿りをしていたホテルを8時半に出て、岩瀬の町へ向かったが、2,3回、慌てて傘を取り出す場面があった。


右写真、岩瀬漁港。
港内でも兎が跳んでいる。風が大分強かった。





左写真、岩瀬運河から富山港の方向を写す。
ここでは葉桜になっていた。


右写真、創業明治44年の老舗料亭「松月」。
ココも一応、下見をした。







左写真、北前船の回船問屋・森家(国指定重要文化財)を訪ねた。



右写真、森家の出格子はスムシコ(簾虫籠)である。
岩瀬地区では、竹の簾(すだれ)の出格子・スムシコが明治期から特徴的に使われていた。





左写真、北前船の模型。
非常に腹の膨らんだズングリムックリの船で、多分、スピードが出なくて、真っ直ぐ進み難いように思う。



右写真、森家の向かいの家の真新しいスムシコ(簾虫籠)。







左写真、北陸銀行岩瀬支店。スムシコが真新しい。
偶然にも当日の地元紙朝刊に、昨日、ココが明治時代の商家風に外観を改装したという記事が出ていた。



右写真、内側から見たスムシコ。






左写真、北陸銀行岩瀬支店の店内。
若いブロンドの多分、ロシア人が手続きをしていた。
岩瀬は昔からの港町だ。



右写真、「満寿泉」の桝田酒造の軒先には大きな杉玉が吊るされていた。工場はこの奥にあるそうな。






左写真、岩瀬の町並みをポタリングの後、富山朝日自転車道に入る。



右写真、一番海に近い管理道を走っているが、自転車道は右側の道。








左写真、常願寺川の今川橋。



右写真、橋の向こうに、立山連峰に連なる雪嶺が見え始める。
風雨で昨日の黄砂が洗い流されたようだ。







左写真、常願寺川河口の水橋港。
この常願寺川は立山から流れてくるからだろうか、水が飛び抜けてきれいだった。そういえば、満寿泉でも店の娘が、水は「常願寺川の伏流水」と言っていた。
(桝田酒造は神通川の方が近いのだが、イタイイタイ病の関係で神通川は嫌われているのかナ。)



右写真、上流側を写す。







左写真、水橋港の艀場跡。



右写真、艀場跡の常夜灯。





左写真、上市川の手前で海が見える道は終わった。



右写真、上市川河口からの眺め。







左写真、櫟原神社。大宝元年(701)の創祀らしい。



右写真、『ホタルイカ群遊海面』を写した。







左写真、前方は滑川港。



右写真、道の駅から立山連峰方面を写す。
(剱は画面右奥のはず。)






左写真、滑川港に干してあったのはホタルイカの網?



右写真、滑川港の背景は立山連峰。



ほたるいかミュージアムは面白かった。蛍烏賊のライブシアターも見た。




左写真、快適なサイクリングロードを魚津に向かう。



右写真、テトラポットを造っていた。







左写真、前方は魚津。
松林の隙間から大観覧車が見える。


右写真、チューリップ畑と立山連峰。







左写真、魚津が近づく。
ミラージュランドの大観覧車も大きく見えている。


右写真、早月橋から早月川上流、立山連峰を写す。







左写真、橋を越えると、ミラージュランド。



右写真、魚津港。









左写真、魚津港の北側にスロープがあった。
ココに着艇できる。下見は終。

(後の三角屋根は、魚津埋没林博物館。)







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