鳥取 千代川・湖山池 by Yuzo Kyotani
         −− ザ・ファルト1999年5月例会 −−

本稿は、上記ツアーを企画された京谷祐造大先輩に、11年昔のことを思い出しながら、2010年7月に纏めて頂いたツアーの概要である。

拙HPのクラブ・ザ・ファルト index に本ツアーをどうしても記録しておきたく、お願いしたのだ。
実は、常人では考えられない記憶力の京谷先輩なので、上表の1行分の記録をチョット思い出して頂こうと、簡単な気持ちでご依頼申し上げた。
しかし実際は、当時の記録媒体はFDだったことから、物置や押入などを家探しの上、ようやく、昔のツアーの日時と同行者の記録FDを探し出された。
その上、ツアー概要を思い出して、ご親切にお知らせ頂いた。
貴重な記録なので、勝手ながら、ココにアップさせて頂く。ご容赦下さい。

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日 時  1999年5月8(土)〜9(日)
コース  用ヶ瀬−河原(キャンプ泊)−河口、湖山川・湖山池
企 画  京谷 祐造
参加者  奥田丘、京谷祐造、西野久二郎、東久保勝彦、南元春、門田久幸、吉田究 (計 7名)
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10年ほど前のことなので殆ど記憶に残っていないが 少しだけ残っている記憶をもとに当時の状況を記してみることにする。(文中の氏名には敬称略)

毎回ファルト例会は メジャーな琵琶湖や、近辺の木津川、宇治川などが多かった。
そしてたまには遠出して小豆島一周、屋久島半周や、紀伊半島なども企画されたが、
この年の5月例会の幹事に京谷が当たったので カヌーでは余り訪れないマイナーな川を探し 千代川センダイガワに挑戦してみようと企画した。
スタートは鳥取市から南の因美線の用瀬モチガセを出発点に選んだ。
用瀬は山陰の流し雛で有名な林業都市であるが、用瀬には発電所があり それより上流は発電所用に水が取水され、
季節によっては水量不足でカヌーを漕ぐことが出来ないのと、岩石がゴロゴロでポリ艇なら問題ないが ファルトではとても難しいと判断して用瀬をスタートと決めた。
スタートの用瀬は流し雛の館があるのだが 上流からそこまでと流し雛の館から下では大きな落差があり その上大きな岩が川の真ん中に相当数あって4級プラスの瀬を作っている。
本当はその4級プラスの瀬からスタートしたかったが、漕ぎ出してすぐの沈は避けたいので その美味しい4級プラスの瀬が終ったところからのスタートにすることになった。
ここで門田は一人果敢にもその4級プラスの瀬の上からチャレンジし 沈もなくザ・ファルトの実力を見せたのであった。
この千代川は用瀬から河口までは約25kmあり その途中に国英クニフサの堰、円通寺の堰があり、河原には大きな堰があり一ヶ所水門があり、
その堰越えにかかる時間を考慮すると一日目は河原までの10kmで、それから河口までは二日目の予定を立てていた。

スタートして2kmで川は国道から離れていき 鷹狩辺りだと思われるが2、3ヶ月前に大幅な山崩れがあったと報じられていた所にさしかかる。
左岸は切り立った山肌が長さ300mほどに渡って崩れていて 今にもまた崩落しそうな様相を呈していた。スピードを上げて通過したことは言うまでもない。
そこから2kmで国英の堰に着いた。余り大きくない堰であるが落差が2.5mほどあり 右岸左岸ともにエスケープする所がない。
仕方なく堰の手前100mほどの右岸を1m以上上って堰越えをした。右岸堤防の下には国道とJRが通っており国英クニフサ駅が見下ろせた。
この堰越えは時間がかかるだろうと予想していたが 皆の息が合ったのかさほど時間をかけずに通過できた。
そこから3kmで左岸から小さな川であるが曳田川が合流してくる。
その合流点でその曳田川からの水流を受けてどうしたことか西野の艇に異常をきたした様であったが、約10年ほど以前のことなので 艇のどこがどうなったのか殆ど記憶に残っていない。
確かファルトの底板がどうかしたように覚えている。
全員左岸に上陸して小休止するとともに 西野艇の破損箇所を全員でああでもないこうでもないと言いながら修理に励んだ。
その結果どのように手直し出来たのか詳らかでないが 修理に時間を費やしたことなどで一日目はここでテント泊りとすることになった。

二日目は河原の曳田川合流点から河口まで約16kmを漕ぐことになる。
もし漕ぐスピードが上がって時間に余裕が出来れば 湖山コヤマ川を遡上して湖山池へ入ろうと計画していたが、
これだけは初めての川で水量と流速に左右されるので その時の状況次第と言うことで河原をスタートする。
そこから直ぐに1kmで右手から八東川が流入してくる出合いになる。
この千代川の最大の支流である。水源は若桜から東に氷ノ山と兵庫県との県境の戸倉峠から発している。
その昔浪華や播州からの主要道であった因幡街道に沿って流れている川で水量も相当にあり水質が良いのか透明度が良い。
そこから1kmで川幅一杯に張られた大きな堰である。左岸よりに一門だけ水門が開いている。
堰きとめられた水がそこへ集中してくるので パワーのある風景を見せている。
大きなうねりに乗ればその水門をクリアー出来るだろうが 人工構造物はどこに落とし穴があるか判らない。
無理して沈でもして沈だけで済めば良いが ここは無理をせず右岸よりの小さな落差を選んでポーテージしながら堰を下りることにした。
河原の堰から2kmで今度は円通寺堰である。この堰は江戸時代に造られた堰だと思われ 水の力をうまく逃がすように斜めに堰が組んである。
昔の人の生活の智恵であろう。堰の先端まで行ってポーテージするのも良いが 堰の先端では滞留した水がうなりを上げて落下しているので 手前の流れの緩やかな所を堰越えする。
この円通寺堰を越えると鳥取平野の中へ入って行くので 川幅は広くなり流速は一変に遅くなり大河の様相を呈してくる。
ここからは周囲の堤防も高くなり堤防の外の景色も余り見えず ただひたすらに漕ぐだけの河になってくる。
しかし我々が京阪神の川で経験しているような河川敷ではなく 右岸も左岸も葦が一面に生えていて水際を見つけにくい。
そしてこの千代川も暴れ川なのだろうか小さな水路がアチコチに生じている。それも6kmほどの間に幾つもの橋を潜ってゆく。
そこからは勾配が緩やかになったのか川幅は広くなり水は滔々と流れている。
前方7kmほどで海に出るのだろう。河口は海からの波が押し寄せているのか白い波頭が見えていた。
スタートから16km。やっと河口の手前1kmの所の左岸に到着した。

流速も落ちてただひたすら漕ぐだけの後半になったが 時間も思ったより早く到着できたので、左岸のコンクリート岸壁の左に流入している湖山川を遡上して湖山池へ入ることになった。
千代川と湖山川の間には艇が二艇くらい通れる水路があるのだが 千代川側も湖山川側も鉄骨の遮蔽物で入ることが出来なくなっているので 全員で艇を陸揚げして湖山川側へ下ろすことにした。

湖山川は思ったより川幅は小さく流速もさほどない。300mほど遡上したところで潮止めの水門があり閉まっている。
ここまできたのだから取り合えずポーテージしてでも上流側へ艇を移そうと堤防に上がったところで 奥田が近所の人にこの水門が開かないのかと掛け合ってくれている。
近所の方の話では 事前に連絡してくれていたなら開けられたのにすまないなぁと言うことだった。
全員で艇を水門の上流側へ移動して艇に乗る。殆ど流れていないと思っていた湖山川だが いざ漕いでみると流れはある。
水門から2.5kmの所にJR山陰線の小さな鉄橋がかかっている。
その鉄橋を越えるとそれまでも小さかった川幅がもっと小さくなってきて 流れてくる水の速さがきつくなりだした。
川を遡上するのだから覚悟はしていたが それでも水の流れに逆らって登るのは少々きつい。
しかしそれも1kmで湖山池へ出た。この湖山池は池と言う名前になっているが 池の周囲約14kmの大きな湖なのである。
池の中央南よりには青島と言う大きな島もあり 時間があれば湖面を一周すれば面白いところだが 予定では午後3時頃には鳥取を出発しなければ京阪神へ帰れない。
ファルトを畳んで後片付けをするには遅くとも2時には上がらなければならない。青島の正面へ何時に到着して上陸したのかは既に忘れてしまった。
後片付け後 ここでどのように散会したのかも今となっては全く判らなくなってしまっている。

ツアー時は出発時間や到着時間も把握していたが もう10年も経てば殆どショボクレ頭のメモリーが機能していない。
その上昨年夏に一種の脳梗塞で 頚椎のところから脳にいく血管が詰まってしまい 後遺症は無いものの記憶力が全く落ちてしまった。
西野Q太郎先輩のご指示でツアーの概要を知らせと言われてもこれで精一杯である。何とかこれでご勘弁を願いたい。

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