木津川伴走(京谷さんと流れ旅)


    京谷さんは、クラブ・ザ・ファルトの先輩であり、人生の師でもある。その彼が昨年晩秋、肺塞栓症で倒れられた。
    二度とカヌーに乗れないと諦めておられた京谷さんと一緒に木津川を下ろうという案がついに実現、成功した。

01年11月、心臓から肺に送り出されている肺動脈が血栓で詰まる肺塞栓症で急遽入院された。
動脈を切開し、心臓まで管を通して血栓溶解剤を注入するも溶解剤の不適合によるショックから、上半身の末梢神経が破裂、心臓停止、呼吸停止。
その意識不明の状態から本人曰く「悪運強く」蘇生された。現在、血栓が心臓、肺に流れぬように、心臓の下の大静脈にチタン製フィルターを埋め込んでおられる。
肺動脈には、溶解しない血栓が詰まったまんま。

「京谷さん激励・木津川流れ旅」が東久保氏によって企画された。
京谷さんが主要メンバーである2つのカヌー・クラブ(アンカー・ポイントとザ・ファルト)から平日参加できるものが、02年5月27日(月)、京谷さんを囲み笠置を出艇した。
ゴールは木津の泉大橋までのゆっくり流れ旅。

私は、翌日からのJohn Dowdと漕ぐ鳴門ツアー参加のため装備一式を宅配便で送り出しており、折り畳み自転車で伴走させていただくことにした。

JR加茂駅で降り、自転車を組み立てて、東久保さんの携帯をコールするも応答無し。
(実は番号の登録ミス。滅多に携帯を使わない私は気づかなかった。)
電波の状態が悪いトコロを通過中かと思い、少し早いが、加茂駅近くの喫茶店で、高菜チャーハン定食で腹ごしらえ。
電話という文明の利器が(絶壁の浜でのキャンプ時など)大事な時には通じないことを何度も経験しているので、ともかく木津川の堤に出る。
少し遡って、恭仁(クニ)大橋から上下流を眺めるも気配なし。橋を渡って右折し、集落の道を走る。
木津川沿いの伊賀街道を上っていく。川面が見えそうなところでは注意を払う。

銭司でついに一行を発見す。
オーィと一声呼びかけた。すぐに気づかれ、大きく手が振られた。私も大きく振り返した。カメラを構えて何回かシャッターを押す。
少し下流に戻り、河原に降りられそうな小径に踏み入る。写真を撮るのに格好の河原に出た。
対岸を漕ぎ流れていた一行がこちらに来られて、上陸。
懐かしいお顔が並んでいる。京谷さんもお元気そうだ。

(ここまでの写真は、レンズカバーを着けたままだったので、写っていない。残念至極である。誠に相スミマセン。)



以前撮ってあった写真で「銭司」をちょっとご紹介:

銭司には、左写真の「鋳銭之遺蹟」の古い碑があり、上部には和同開珎のマークが入っている。
少し離れた道端にあった『銭司(ゼズ)の歴史』とペンキで書かれた説明(右写真)によると、
『708年、武蔵国秩父から銅が産出した。これによって年号が和銅と改められ、日本最初の貨幣である「和同開珎」が鋳造された。
奈良の都にも近く、木津川の水運の便もあって、この地に銭貨を造る役所である「鋳銭司」が設けられた』 らしい。


(ついでながら、山口県山口市には、鋳銭司という地名が残っている。)




皆さんはココで、昼食・休憩となった。いろいろと話が弾む。
1時半前に再び下り始められた。

         

      白い愛艇にいち早く乗り込まれた京谷さん。右の赤黒艇は、クラブ・ザ・ファルトの吉田リーダー。


            
      
        皆さん、順次、乗り込まれていく。            京谷さんがゆっくりと一漕ぎされて、出発・進行!


               
               
              銭司で皆さんを見送ってから、次のシャッター・ポイントの恭仁大橋へ走った。


          

       木津川は初夏の最高のカヌー日和だった。
       橋から見るカヌーはホントきれいだナァ。だんだんと近づいてくるのを待つのも実に楽しい。


以前、クラブ・ザ・ファルトの木津川下りの時に、京谷さんから恭仁京の跡だと教えてもらった平地が恭仁大橋の下流右岸に広がっている。
その平地を右に見ながら、木津川が南西方向から北東に直角に曲がったところの左岸側(法花寺野)に絶好のシャッター・ポイントを見つけた。
畦道を進むと、うまい具合に木津川が一望できる。しかも、一段下に降りる鉄ハシゴまであった。ここで一行を暫し待って何枚もシャッターを押した。
でも、スミマセン! デジカメをベストの小さなポケットに無理矢理突っ込んだ時に多分、ダイヤルが回ってしまい、動画モードになっていたのだ。
撮影画像は自分のカメラで動画として見ることしかできなかった。
(帰宅してから気づいたが、後の祭りや。それにしても、よりによって一番貴重な写真データを失うとは、この大間抜けめが!)

木津・泉大橋の手前のシャッター・ポイントを探しているうちに、雲行きが怪しくなって、突然、強風が吹き出した。ちょっとやばいかも。
待てども一行の姿は見えない。多分、緊急避難されているのだろう。さすが、賢明な指揮だ。

私もここで失礼することとし、15時に泉大橋起点の木津川サイクリング・ロードをスタートした。
途中、近鉄鉄橋あたりには大きな水たまりがいくつもできていた。かなり強烈な雨が降ったのだろう。
流れ橋をすぎたトコロで雨に遭った。一旦止んでまた降り出したそうだ。
京谷さんたちはどうされたのだろう?雨に遭ってなければいいのにな。

後日、京谷さんからご丁寧な礼状?をいただいた。
体調のよい普段でも時々心臓の発作が起きていて、カヌーに乗るのは夢のまた夢だと諦めていた。
「5月27日に決めました。平日に都合のつく人達に連絡をとっていて、何人になるか判らないけれど、安心してカヌーに乗って下さい。」
と連絡があり、それからは毎日、ワクワク ウキウキ ドキドキと、その日を待っていた。
そして、
 ------ 生涯もう乗れないだろうと諦めていた夢が実現できた!
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“ワクワク ウキウキ ドキドキ”
さすが、ミュージシャンの表現だ。その気持ち実によくわかります。
京谷さん、次回は是非ともご一緒させていただきます。