虹と雪の木津川

                 クラブ・ザ・ファルト 2003年3月例会
                 月日 : 2003年3月8日(土)〜9日(日)
                 場所 : 木津の泉大橋スタート、流れ橋テント泊、枚方大橋上がり

11ヶ月振りの例会復帰であったが、なんだか体が重たい。
JR木津駅近くで見つけたスーパーで飲食料を調達した後、不親切な駅員に教えてもらったように歩いて、木津川堤防の上に出た。
集合場所に降りる路を探すうちに強風が吹いてきた。だんだんビビってきて、本日中止モードに入る。
堤防上を行ったり来たり、帰り支度でバッグを駅へ置きに行ったり、(別件で来ていた)フジタカヌーの藤田亮氏に会ったり。
そうこうした後、下流の河原から橋の下に人影が見えた。JR鉄橋下へ向かうと、2艇が下るのが見えて、もぬけの殻だった。
もう1度下流へ向かうと、今度は大勢の仲間が泉大橋下に見えた。
挨拶にと堤防を進むと、上がってこられた(仏の)吉田リーダーに出くわした。本日不参加のはずがまんまと?参加させられてしまった。

そういうわけで、遅刻参加。
私一人のために寒い中、スタートを遅らせてもらい、さらに次の橋、開橋の手前で大分、待っていただいた。誠に恐縮でした。

左写真は、14:12に無事、6名の方々に合流した時。お待たせ致し、相スミマセンでした。
前方に赤い開橋が写っている。(泉大橋から30分)

右は、青い玉水橋。上流側に新橋ができていた。
(開橋から30分)





早春の木津川もなかなかイイものだ。
よく雨が降ったので、水量が随分と多い。




右写真の堤防上を奈良街道が走っている。





やがて前方に赤いアーチ橋、山城大橋が見えてきた。(玉水橋から30分)




山城大橋は絵になるナァ。





左写真は、本流が左から右に移るトコロの瀬。
今日は水量が多い。しかしホントきれいだ。

そんなことを言って、本隊から遅れて写真を撮ったりしているうちに、気がつくと近鉄鉄橋が目の前に現れた。迂闊だった。こりゃ大変だ。(15:30)
左へ寄せた。しかし、連日の雨で左岸との間にもう一つ大きな流れができている。
この流れを横切ろうとすると鉄橋まで流されそうで怖いな。どうしたモノか。
水量が豊富なので中央突破し、鉄橋下の段差を漕ぎ抜けられそうな気はするが、鉄筋等があるとも聞いた。沈すると冷たいだろナ。
しかし誰の姿も見えない。上流側に、見落とした「左に入る流れ」のある可能性が大だと思い、少し遡ったが、それらしき水路はない。
もう1度、近鉄鉄橋まで流れて偵察すると、左岸に仲間の姿が見えた。
やはり左岸へ着けるべきだ。再びまじめに遡る。
結局、上写真の瀬まで上らないと左の流れには入れないようだ。それはシンドいな。少々漕ぎ疲れたな。
うまい具合に、小さな砂浜の入江があったので、着艇・上陸。ココの砂原を横切ると左の流れに移れる。何回にも分けてポーテージした。

ようやく近鉄鉄橋の左岸に着いた。1時間余計にかかってしまった。ココでもご心配をかけお待たせしてしまった。今日は三隣亡かな。スミマセン!!!

17時過ぎに合流してしばらく下ると、虹が出た。本日この後、虹を4、5回見た。
右写真は、虹に見入る吉田リーダー。


まもなく京奈自動車道の白い橋が見えてくる。






虹を見納めると、やがて第2京阪道路の木津川橋(2003年3月末に開通予定)がかすかな入り日を浴びて前方に白く輝いた。
左写真では分かりにくいが、木津川橋の白い橋台の手前に「流れ橋」のシルエットが浮かんでいる。本日のねぐらだ。


流れ橋(上津屋コウヅヤ橋)の下流左岸に7艇を着ける。あたりの河川敷は整備工事中だった。
時代劇のロケによく使われてきた流れ橋であるが”整備”されてしまうと駄目だろナ。


風の中、テントを張ってお湯を沸かして泡盛を飲む。空にはオリオンが見え、三日月が冷たく澄んでいた。
焚き火が大ご馳走だった。





翌朝、7時くらいから雪が舞いだし、一時薄化粧も見られた。


テントは寒そうだな。



雪の流れ橋は風情があった。






我が愛艇(川用のアルピナ1)にも雪が舞う。






予定通り、9時出艇。

天王山が正面に見えてくるも雪にけぶっている。





白い小さなトラスのガス管橋が見える。






赤いトラスの京阪鉄橋を緑のツートンカラーの電車が渡っていく。





赤い御幸橋。








背割堤の桜もまだ骸骨だ。








右写真の右は木津川。左からの宇治川と合流。




続いて、左写真の左の桂川と合流。







今回のザ・ファルト木津川ツアーは(大阪府高槻市の淀川河川敷の)鵜殿のよし焼き(葦焼 or 葭焼 or ヨシ焼き)を川から見る趣向だったが、
残念ながら天候不順のために延期になっていた。


その代わり?鵜殿の手前で、左写真のヨシ舟を見た。右は3月15日の読売新聞から転載した写真であるが、
14日にこのヨシ舟で枚方市までの2キロを下ったと載っていた。
16日には大阪市内の水上パレードにも参加したらしい。(世界水フォーラム関連)







11時過ぎには枚方大橋(左写真中央)がはっきり見えてきた。












【2003年の鵜殿のよし焼き】
3月9日に予定されていたが、天候不順で1週間後に延期なった。しかし、16日も天気が悪く、点火するも燻るのみで終わってしまった。

鵜殿は、平安朝の昔から良質のヨシ群生地として知られていた。1月下旬の寒い時期に刈り取られたヨシを編み上げたヨシズは高槻の伝統産業らしい。
鵜殿のヨシ原焼きは、害草・害虫の駆除、不慮の火災防止等を目的に行われてきた伝統行事とのこと。