芭蕉句碑−04       大坂 浮瀬跡(蕉蕪園)

2010年1月24日、俳句仲間と訪れた

           (上および右下の図は「摂津名所図会」から)

「浮瀬ウカムセ」とは、もともと右図の右上に描かれている鮑貝の穴を塞いで作った大杯の名前で、7合半の酒が注げたらしい。この杯が有名になり、料亭の名前も「浮瀬」になったとのこと。
右図には、浮瀬亭のその他の名物の貝杯も描かれていて、鶉貝(幾瀬)、夜光貝(鳴戸)などもあった。

浮瀬亭は清水寺の門前茶屋だったのだが、江戸元禄の頃には、上図の如き「料亭・浮瀬」になり、”四天王寺、新清水寺、浮瀬”は大坂の物見遊山の代表コースになっていた。
上図の奥の2階座敷には、奇杯・浮瀬と並んで有名だった巨杯(6升5合入るらしい)「七人猩々」を両手に抱えている人物が描かれている。
この浮瀬亭は、大坂料亭番付の筆頭で、芭蕉はココで度々句会を開き、与謝蕪村も2度訪れている。

料亭・浮瀬は明治半ばに姿を消したが、芭蕉の句碑(松風の句)はそのまま残り、大阪星光学院が開校してからも句碑はその地に残されていた。
昭和58年(1983)星光学院の高校創設30周年記念事業として周辺が整備され、残っていた松風碑に加えて、芭蕉および大坂の俳人蕪村の句碑も建立し、「浮瀬俳跡蕉蕪園」と名付けられた。
なお、昭和58年(1983)は、芭蕉の290回忌、蕪村の200回忌だったとのこと。

左、浮瀬亭跡に整備された蕉蕪園入口の石碑。
向こうには、芭蕉の「旅懐碑」が写っている。







左、芭蕉句碑「松風や軒をめぐりて秋くれぬ」
逆光で写りが悪い。Yokoso JAPAN HPの写真がよく写っているので、右に転載させていただいた。

この句は、浮瀬亭での句会時に亭の主人に頼まれて芭蕉が詠んだ。
碑は、寛政12年(1800)に俳人・茅渟奇淵チヌノキエンによって建立された。
蕉蕪園で唯一の古い句碑。





右、芭蕉の所思碑 「此道を行く人なしに秋の暮
浮瀬亭で元禄7年(1694)9月26日、芭蕉が開いた句会の発句で、この碑は芭蕉の真跡から取ったとのこと。
「此道や行く人なしに秋の暮」の初案。
「笈日記」難波部に、「廿六日は清水の茶店に遊吟して泥足が集の俳諧あり。連衆十二人。
・人声や此道かへる秋のくれ
・此道や行人なしに穐の暮
此二句の間いづれをかと申されしに、この道や行ひとなしにと独歩したる所、誰かその後にしたがひ候半とて、そこに所思といふ題をつけて、半哥仙侍り。爰ココにしるさず。」
(筆者注:歌舞伎座のポスターやチラシには「千穐楽」と書かれている。
その昔、江戸の町はしばしば大火に見舞われ、そのたびに芝居小屋も焼失を繰り返したため、「火」の字を嫌って、めでたい「亀」の字の入った「穐」が使われるようになったらしい。
from 歌舞伎こぼれ話

左、芭蕉の旅懐碑「此秋は何で年よる雲に鳥」

この句も当日の句会で披露された。
笈日記」に「旅懐」の詞書で記されている。
上五中七の「此秋は何で年よる」は出来ていたが、「下の五文字、寸々の腸をさかれける也。」とある。
芭蕉も苦心したようだ。

この句に関して面白い考察を見付けた。 (至遊さんの句あれば楽ありHPより以下に抜粋紹介)

「老い」は俳句に合うと見えて、老いを詠んだ句にはこと欠かない。
   この秋は何で年よる雲に鳥      松尾芭蕉
この句は元禄7年、大阪で詠まれている。奈良から大阪に入って間もなく寒気がしたらしい。
しかしそれを押して俳句指導に当たっているうちに、漂泊の身が急に寂しく感じられて、この句の上五中七まではすんなり出来たが下五で苦吟する。
「雲に鳥」は実景ではないが、これを付けて落ち着く(支考「笈日記」)。

今では「鳥雲に」は春の季語に分類されており、北からの渡り鳥が帰る時のさまを表している。
でもこれは句にもある通り、秋の句である。雲に鳥が吸い込まれるように消えてゆくさまは、自分の生命が消えてゆくようで、しかも旅の途中で非常に心細かったに違いない。
だから「雲に鳥」で落ち着いたのであろう。

この句の前には「菊の香や奈良には古き仏たち」と詠んで、まだ外を詠む余裕があった。
揚句のあとは「この道や行く人なしに秋の暮」「秋深き隣は何をする人ぞ」と内面を詠むことが多くなり、そして「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句を残して鬼籍に入る。



当日の半歌仙「所思」が黒御影石にきれいに彫られていた。
平成5年(1933)に蕉蕪園開園10周年記念として、また芭蕉300年忌追善として建てられた。



右写真は裏面。







左、与謝蕪村の「うかぶせ句碑」
蕪村がここ浮瀬亭で詠んだ「うかぶ瀬に 沓並べけり 春の暮れ」と
「小春凪 真帆も七合五勺かな」の二句が刻まれている。
碑文の文字は蕪村の真跡から採られている。
1982年(昭和57年)の建立。



右写真は、3ヶ月後、若楓の時期の「蕉蕪園」。