F.月の輪の滝・ちょっと森林浴コース     


天野川に植物園あたりで注いでいる尺治川に沿って、ハイキングコースを走る。


【植物園・日の出橋】

  延べ距離   区間距離
 ( 起 点 )   0.4 km






右写真の天野川を渡るとこんもり茂った「植物園」というエントランスはなかなかいい。

植物園に背を向けて走り、国道168号の信号を渡る。そのまま東に向かうと、左手に京阪電車・交野線終着の私市(キサイチ)駅が見える。


【京阪電車・私市駅】

  延べ距離   区間距離
  0.4 km   0.9 km





駅を左に見ながら、そのまま東に進み、ハイキングコースに入る。
右は尺治川、左は山林であり、その手前、ロード沿いには昔からの民家があるが、道が行き止まりのせいもあって車は滅多に来ない。
半世紀前(私の小学生の頃)に何回もハイキングに来て、見た記憶のある蜂蜜屋さんがいまだに続いている。
あの頃のハチミツは高く、私のウチのような庶民の家庭では日常的には口にできなかったように思う。

民家が途切れ、古代からの尺治の風情(?)になり、「吉向窯」が見えてくる。


【吉向(キッコウ)窯】

  延べ距離   区間距離
  1.3 km   0.2 km





吉向焼は大阪を代表するやきもので、現在は、東大阪市の石切近くに窯のある「吉向十三軒」と、20年前に枚方から交野に移窯した「吉向松月」の2家がある。
初代の戸田治兵衛(家祖の戸田長助は加藤清正の家臣で、八代城の家老職)は、野に下り、京へ出て、楽家9代了入、初代清水六兵衛を訪ねて陶技の修業を重ねた。
そして、文化元年(1804)に祇園の名妓・さと を妻に迎え、摂津国中津川十三村で開窯し、十三軒松月と称した。
この初代十三軒松月が時の将軍・徳川家斉公に緑釉の亀の食籠(ジキロウ)を献上したところ、ことのほか気に入られて亀甲、すなわちに吉に向かうに因んで「吉向」の窯名を賜り、以来、吉向姓を名乗るようになった。
その後、方々の大名に迎えられ、御用窯、いわゆるお庭焼を申しつかったとのこと。


以前から月の輪の滝の手前に、周りを林に囲まれて「吉向窯」の工房があるのは知っていたが、吉向窯は茶陶が中心であると聞き、また7世松月蕃斎様はご長老でもあり、一層近寄りがたかっ。
本HP作成という大義名分で思い切ってお訪ねしたところ、作品の発送準備でご多忙なのに、ご親切に対応して下さった。
実は昨年、7世のご長男・吉向秀治氏が8世松月を襲名されていて、今の吉向窯は、当代8世、先代7世および7世のご次男・吉向孝造氏のお三方が作陶に励んでおられる隆盛ぶりであり、お伺いした時は、熊本「鶴屋」で開催される「八世襲名記念・吉向松月茶陶展」へのお三方の出品作の発送準備のご様子だった。
(以下の写真は2000年年7月日本橋三越本店で開かれた「八世襲名記念・吉向松月茶陶展」作品集より転載させていただいた。)


     八世松月の黒碧釉茶碗           八世松月のあさぎ釉かつら手花入



    先代・七世松月の亀食籠        吉向孝造氏(八世の弟)の「青山」花器



吉向窯は、ろくろや型を用いずに土を指先でこねて作る、いわゆる手つくねの後、桶窯(右写真)で低火度にて焼き上げる「楽焼」が主流であり、黒楽茶碗などを一個ずつ木炭を燃料にフイゴを使って焼成される。


(以上、吉向窯の資料を元に編集し、当代8世・吉向松月殿に直接ご覧いただいた。厚く感謝します。)


ロードの行き止まりで尺治川を渡り、バイクを止める。

川沿いのハイキングコースを100mほど登ると、月の輪の滝だ。



【月の輪の滝】

  延べ距離   区間距離
  1.5 km   ( 終 点 )





尺治と呼ばれる谷は古くから神のおられる神聖なところとされたらしい。
滝や大岩などが信仰の対象となり、獅子窟寺の修験者たちは、この
月輪の滝で修行を行ったとのこと。
月の輪の滝のところは地形が狭隘かつ急勾配のため、ハイキングコースは右岸側に木製の歩道階段が設けられている。
コースから外れて左岸の岩肌を削って造られた狭い階段を上って行かないと見えない位置にある「月の輪の小さな滝」はうっかりすると見過ごしてしまう。
写真を撮るにも足場がなく、私のカメラでは滝の正面に立つと周りが入らない。後ろに下がると滝が岩に隠れてしまう。
滝正面の岩の上には、往時、修験者が用いたと思われる苔生した屋根つきのロウソク台が日の差さない中でぽつねんと存在していた。


ハイキングコースをさらに進めば、くろんど池(奈良県北西端)に着く。