普賢寺川から国会図書館へ


木津川サイクリングロードの14.2km地点の「普賢寺川」を最後まで上がって行くと、京都府京田辺市の南西端(標高200m)に達する。
山を西へ下りると奈良県生駒市、東へ下りると京都府精華町だ。
今回は東に下りて、関西文化学術研究都市(けいはんな学研都市)のほぼ中央部に立地する精華・西木津地区の国立国会図書館・関西館を訪ね、JR祝園ホウゾノ駅に向かうことにする。
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2003年2月の暖かい日に、木津川ロード6km地点の流れ橋を下に降りて、「四季彩館」で昼飯を食った。

サイクリングロードに戻る途中、石田神社に寄った。左写真の境内を進むと、右手に本殿(右写真)がある。
この地に8世紀初頭からある氏神さんだ。




       



木津川ロードを8kmほど走った。河川敷に茶畑が続いている。
下流側には赤いアーチ山城大橋が見える(左写真)。
上流側対岸は鷲峰山・金胎寺コンタイジだろう(右写真)


ココから少し走ると、普賢寺川である。


宮ヶ森橋を渡って、いよいよ『普賢寺川』の右岸沿いを走り始める。(左写真)

左手に飯岡の小高い集落を見て寄らずに進む。


近鉄、続いてJR(右手すぐに同志社前駅)の線路を横断。
22号八幡木津線を横断。川沿いの路がなくなって少し左の道を走る。
同志社正門前を通る道路を横断。
多々羅で左岸側に渡る。
多々羅の集落を後(右下写真)にしばらく進むと、観音寺橋が見える。



もうチョット川沿いに走ると、左写真の観音寺・参道に行き着く。
ご本尊の丈六の十一面観音立像は我が国有数の乾漆仏で国宝に指定されているらしい。
境内には睡蓮の咲く庭があり、参道の桜並木もきれいだろうな。

【丈六】 一丈六尺の仏像。釈迦の在世の身長は八尺あったといわれ、仏の特相を表すために、その二倍の身長としたもの。
本来は周尺による。坐像の場合、立てば一丈六尺になるとしてこの半分の大きさ。
 from Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shogakukan 1988

鐘楼の北側に青竹が置いてあった。
下左写真の石碑には「二月堂竹送り復活の地」と書かれ、その裏(中写真)には、「平成15年2月11日山城松明講建之」と東大寺長老の筆で書かれていた。
(写真を撮ったのは2月7日だった。)

   


本堂にお詣りすると、階のトコロに青竹が差し掛けてあって、「お水取御用」と墨書の札が付けてある。
多分この青竹がお水取りの松明用に東大寺に送られるのだろう。
山城の国の竹が昔から送られていたのだろうな。
鐘楼が晴れてきた青空に映えていた。


 



普賢寺の村はずれで生駒井出線65号とチョットだけ合流。
水取集落に入って四つ角の信号を真っ直ぐ南進し、普賢寺小学校を右手に見て進む。
この区間は生駒井出線65号と枚方山城線71号が一本になっている。500mで71号と別れ65号を南に走る。
すぐに普賢寺川が右手に現れる(左写真)。


快適に走るが、だんだん道路勾配がきつくなってきた。
九十九折の道をダンプが勢いよく登っていく。
左手の田圃に普賢寺川沿いの道があって、通学路と書いてあるが、どうやら旧道のように見える。
その道を行ってみることにし、少しバック。



(これから上がる山の上の打田集落の子供達は、この道で先ほどの普賢寺小学校に通っているのだろう。)

この旧道は明治に造られたとの碑が途中にあったが、山腹に取り付けられた結構きつい道だ。
新道は九十九折りになって、その分、勾配が緩くなっているようだ。
左写真は、道の左手(東側)に見える普賢寺川で、もうそろそろ源流に近い。

自転車を押して上った。ようやく上りきると、新道に合流していた。

京田辺市が南西に突き出しているその南西端の山の上にある打田集落を進むと、古びた井戸が道端にあった。
昔からある山の上の集落の共同井戸だったのだろう。


打田の氏神さま、須賀神社にお参りした。

      

塵一つない。きっと村人によって毎朝きれいに掃除されているのだろう。


よっぽど物好きでないと来る人がないと思われる山の上の県境の集落を抜けると、すぐに京都府精華町だ。

道はT字路になっていて、前方は鳥谷池だ。恐らくは、この溜池があったから打田に集落ができたのだろう。







右の道は、生駒市の最北部(高山竹林園の北)に東から入る。

今回は左に進み、京都府精華町の東畑集落を九十九折りに下って行った。


東畑も古くからのいい集落だったが、ブレーキをかけっぱなしで、けいはんな学研都市の光台まで降りた。






すなわち、下図の関西文化学術研究都市区域のほぼ中央に至ったのだ。
図のピンク色の部分、精華・西木津地区を東に抜けて、JR祝園駅に向かうことにする。

関西文化学術研究都市区域図

下図は、関西文化学術研究都市を構成する大阪府、京都府、奈良県内の各地区の配置図である。こうして見ると、ほぼ全地区を自転車で走っているナ。

精華・西木津地区には下図の研究所等がある。このうち、(11)けいはんな記念公園、(12)国立国会図書館・関西館、(13)国際高等研究所を訪ねてみた。

(1)島津製作所 (2)大川センター
(3)京セラ (5)松下電器産業
(6)けいはんなプラザ (7)都市基盤整備公団関西学研局展示館
(9)国際電気通信基礎技術研究所 (10)NTTコミュニケーション科学基礎研究所
(11)けいはんな記念公園 (12)国立国会図書館西館
(13)国際高等研究所 (14)地球環境産業技術研究機構
(15)私のしごと館 (16)キヤノン



右写真は、けいはんな記念公園(京都府立関西文化学術研究都市記念公園;24.1ha)の西門からの眺めである。南山城の自然林や池も残っていて、いい感じの公園だった。


下は、2002年10月にオープンした国会図書館・関西館
なかなかの建築だ。このデザインは陶器二三雄氏の設計で、コンペで決まった。
国主催の建築設計コンペとしては、昭和61年に実施された第二国立劇場(現・新国立劇場)以来、10年ぶりとのこと。

審査講評 : 書庫や総合参考閲覧室など、大部分の空間を地下化するという大胆な空間構成をとりながら、南上がりの地形を活かして、豊かな地上の広がりを見せるという提案になっている。
大きなサンクンガーデンと吹き抜け空間を設けることによって、その周辺にパブリック性の要求される諸施設を配し、豊かな空間をつくっている。
鋸状の屋上庭園の間を通るアプローチが儀式性を与えていること、スリットをもった屋根とガラスのファサードが連結して、光あふれる透明感の高いデザインになっていること、
中庭や屋上に緑を配し、雑木林のイメージとの連続性を意識していることなど、洗練されたデザイン手法によって、さわやかな空間の演出を行っている。

形の主張の強い多くの作品の中にあって控えめな新鮮さが、多くの審査員の票を集めた。  ナルホド。

   
国立の図書館は、国会図書館だけだそうな。
国立国会図書館法では、前文に「真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と、設立の理念が謳われ、
第2条では「図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供する」とその目的を定めているとのこと。結構だ。


下は、国際高等研究所である。

   
国際高等研究所の基本理念は、「人類の未来と幸福のために何を研究すべきか」を研究すること。これは面白そうだな。
新たな学問の創造・進展を目指す「課題探索型」の基礎研究を行っているそうだ。
ココの低層(高くて2階建て)の建築群も気に入った。


光台にある五輪会の奥善光氏のウチを素通りしてしまった。今度またお邪魔します。