木津川を走る ( 御幸橋〜泉大橋 )


京阪電車に十数分乗って、八幡市駅で降りる。全国4万社の八幡宮の総帥である石清水八幡宮(右写真)へは、全長400mのケーブルカーで3分。
踏切を渡って御幸橋の袂に向かう。

ここから南東、木津川沿いに木津・泉大橋まで25.4km(幅員3m)の自転車道が続いている。
木津川は私の川カヌーのホームゲレンデであるが、左岸堤防に整備された、このサイクリングロードを2001年3月に知った時は感激した。

拙宅からは手近な、電車併用半日往復コースであり、京都府南東部の長閑な田園と木津川の広い河川敷、そして往路は前方遠景に奈良・若草山を探し、帰路は天王山が迎えてくれる。
車はもちろん人も少なく、走りたいように走れ、快適である。
往きの道中で時間を食ってしまえば、たとえば木津駅から河内磐船駅までJR学研都市線を利用して、降車後、天野川沿いにホームコースのサイクリングで自宅まで帰ってくる周遊コースも気に入っている。(2001/5)
その後、本ロードの10.1km地点から手原川を上って、津田くにみ坂ニュータウンへ出る、「木津川からホームコース交野ヶ原へ向かう」ルートを開発した。(2001/6)
そして又、自宅から電車に乗らずに本木津川ロードにアクセスするルートを見つけることもできた。(2002)

以下の本文は、木津川に架かる「橋」でコースを区切って、
・ 各橋の木津川・宇治川・桂川の三川合流地点からの川の距離 (国土交通省が堤防上に200mごとに、この距離標を設置しており、河川構造物の位置を示すのに便利なので、以下の文中でもこの距離程を用いる。)
・ 御幸橋からの距離 (京都府の自転車道の案内標識によるロードの距離。道が遠回りすると、上記の川の距離よりも長くなる。)
・ 次の橋までの距離 (原則として、ロードの距離)
の3種類の距離を示し、その右に橋の写真、続いて、その区間の見聞を記すことにする。


【御幸橋
】    

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   1.2km  (起 点)   0.4km

木津川の御幸橋(写真背景は、天王山)左岸の袂が本コースのスタート地点である。
架橋地点が石清水八幡宮への参道、御幸道に当たっていたので、御幸橋と名付けられた由。木津川に続いて渡る宇治川の橋も合わせて、両橋で(とも)御幸橋という。
(なお、宇治川の御幸橋を渡って桂川沿いに北上すると、嵐山・渡月橋まで、19.6kmの自転車道が整備されている。両方合わせて、堂々45kmの「京都八幡木津自転車道線」である。)

堤防には菜の花が満開で、すぐ上流の鉄橋を見馴れたグリーンの濃淡ツートンカラーの京阪電車が渡っていった。     (2001/4/22)。


【京阪鉄橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   1.6km   0.8km   0.4km


【ガス管橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   2.0km   1.2km   2.4km

大阪ガスのガス管橋を過ぎ、河川敷に並んでいる野球のグランド4、5面を眺めて快適に飛ばす。
この辺り(正確には、2.4〜3.6km区間)は、サイクリング道の幅員が5mほどもあり一層、快適である。

堤防の下でお百姓さんが小さな田圃を焼いているのを見つけた。
尋ねると、毎年この時期に土中の虫退治を兼ねて焼く、今年は雨が多かったしとのこと。丹精込めた稲作の準備が始まっていた。(2001/4/7)

ウグイスが盛んに鳴いてくれる。
日暮れが近づくと、ツバメも多い。 (2001/4/1の帰路、初ツバメが堤防を横切って飛んでくれた。)

2002年の暮れから、我が家のパソコンや家電用品を木津川大橋の南に建っているYデンキで調達し始めたこともあって、ここまではよく走るようになった。
自宅から片道20km弱の自転車shoppingである。

【木津川大橋】
 

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   4.4km   3.6km   1.1km

国道1号線の赤い桁橋。いつも交通量が多い。自転車道は河川敷に降りて1号線をくぐる。

この区間は、堤防上を走る正規の自転車道よりも河川敷の道の方が、ワイドな眺望(左写真)が楽しめて私は好きである。
多分、次の第2京阪道路の木津川橋の工事のために設けられた道で、上流側は舗装された茶畑農道になっている。





【木津川橋】
(工事中)

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   5.5km   4.7km   0.5km

渋滞する国道1号線のバイパスとして、第2京阪道路(自動車道)+京都南道路(一般道路)の木津川橋(橋長435.5m)が建設中である。
2001年春の時点では、両岸の橋台と5基の橋脚が完成していた。

右上の工事航空写真は、2000年6月に上流側を上に撮影されたもので、中央の広い河川敷に2基の白いコンクリート橋脚が立っている。

写真右側(左岸)の堤防上に白く見えるのがサイクリングロードで、上方に細く「流れ橋」が掛かっている。
その袂の黒緑色は茶畑で、ロードはその先で右に大きくカーブを描いていくが、その上方には黒々と本格的な茶畑が広がっている。










【流れ橋】 上津屋 (コウヅヤ) 橋

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
   6.0km   5.2km   2.4km

橋長355.9m、幅員約3mで、流れ橋としては日本最大 (昭和26年完成)。

右写真は、2002年の暮れの雪舞う寒い日に、カヌーのクラブ・ザ・ファルトのメンバー3人で木津川ロードを下流側に走った時に撮った。
対岸遠くに見える京都の山も雪化粧だった。比叡山も白く見えた。

流れ橋は、川が増水してくると、床の部分が浮き上がる。
床板はワイヤで繋がれ、ワイヤの片端は橋脚に固定されている。
増水時には床板は下流に流されるが、水が引けば人の手によってワイヤを引っ張り元の位置に組み立てる。


最近では平成2年9月に流れて、地元の人々の協力を得て復元されたとのこと。
上津屋橋は素朴な木橋構造であり、周辺には茶畑など長閑な風景が広がっていて、時代劇の格好のロケ地になっている。

左写真(6.6km地点)のサイクリング道は緩やかにカーブし、遠景の鉄塔の先に白っぽい桁橋がかすかに見える。京奈自動車道だ。
この辺りまで来ると、住宅地のイメージは全くなくなり、昔からの集落と田園風景になる。

どういう訳か、自転車道から見える茶畑には黒い合成繊維のカバーが付いている。
3月下旬にはすべての茶畑が黒く覆われていた。
お花見日和の4月7日には大半のカバーが開かれていた。
4月22日には、また完全に覆われていた。(21日は全国的に2月並の気温になり、22日の気象情報でも、遅霜の注意が出されていた。) 

右上の写真は茶摘みが終わって刈り込まれた部分だけがカバーを取られて輝いている。黒く覆われている部分ではまだ茶摘みが終わっていないのだろう。


流れ橋の左岸すぐ下に、やわた流れ橋交流プラザ「四季彩館」という施設ができていて、打ち立ての蕎麦がおいしかった。
お風呂にも入れるのだ。
自然以外何もない木津川ロードのサイクリングには便利な基地である。






【京奈和自動車道】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
    9.2km   8.4km   2.2km

白っぽい桁橋で、右岸の城陽インターから木津の西まで通っている。

京奈自動車道のカルバート・トンネルをくぐって再び堤防に上がると、右手の畑の中に何カ所か、ピンクの花が満開の背の低い木が10本ぐらいずつ
まとまって植わっているのが目に入った(左写真)。
帰りに小さなネギ畑でクワを持った年輩のお百姓さんに確認すると、桃の木で、実をとるために栽培しているとのこと。(4/7)



10.1km地点で、木津川に注ぎ込む手原川の橋(人・自転車用)を渡り、一般道(車は滅多に走っていない)と交差して自転車道は堤防中腹を走る。
10.6km地点で同様に天津神川を渡り、一般道と交差して進むと、「田辺の浜船着場跡」の標示石がある。

真っ直ぐな木津川堤防のロードに出たので、ペダルを踏み込み、スピードを上げた。
しかし、走り過ぎた道端のユキヤナギの白があまりにも印象的だったのでブレーキをかけ、引き返す(左写真)。
ここから近鉄鉄橋手前までの約1kmの間、堤防沿いに真新しく整備されたばかりの公園が続いていて、木製の遊具施設があり、桜の若木も花をつけていた。
公園の中間点は、11.0km地点。(4/1)


* なお、10.1km地点でロードと別れて、手原川に架かる大住橋を渡らずに川の左岸沿いの道を遡ると、我が地元のビッグフィールド「交野ヶ原周回コース」をに繋がる「木津川ロードから交野ヶ原の津田へ」のルートである。
交野ヶ原経由で帰える周遊コースになり、これもなかなか気に入っている。


【近鉄鉄橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
  11.4km 1 0.6km   2.6km


河川敷に降りて鉄橋の下をくぐる。鉄橋の真下に野球グランドが2面あり、いつも野球少年たちの元気な姿が見える。テニスコートも4面あり、運動公園になっている。
堤防へ上がると、「富野の渡し跡」の標示があった。
写真の背景には、エノキの大木の上半分が写っている。
このエノキは堤防下のテニスコートのそばに立っていて、幹の直径は80cmほどもある老大木である。
往時の渡し場の目印だったのかも知れない。

12.0km地点に、写真の「神矢樋門改修記念碑」が建っていた。
その下には「明治31年改築」の旧碑文も見える。
ここまでの途中にも同様の碑をいくつか目にした。
大雨時の排水に苦労した農業の歴史が刻まれている。

記念碑の建っている堤防の下に養蜂箱らしきものが置いてあるので降りていった。
尋ねてみると、この地で養蜂を25年ほどやっているとのこと。
写真の1箱は、3段になっていて1段に蜂の巣が9個あり、1箱に計27個の巣がある。
1箱に4万匹のミツバチがいて、女王蜂は1匹。新しい女王蜂が誕生した時に、古い女王蜂が働き蜂を連れて出て行かないよう、女王蜂の片方の羽を切り取ってある。
ミツバチは木津川の対岸や南南西方向の同志社大学の裏手の山などに花を求めて飛んでいく。
ミツバチの巣を丸ごと遠心分離器にかけて蜜を採取する。
蜜がとれるのは、1年のうち、5〜6月の2ヶ月のみ。巣箱は1年中、ここに置いている。・・・。
いろいろと教えていただいた。面白い。また、今度寄ってみたいと思った。(5/5)

『その後、知ったこと』  ミツバチの体の中に酵素があり、その酵素が花の蜜を蜂蜜に変える。
吸った蜜を口移しで他のミツバチに渡したり、蜜を巣に広げて羽で風を送って水分を減らすと、蜜に混ざった酵素が働き続けて3日ほどでとろりとした蜂蜜になる。
1匹のミツバチが生きている間に作れる蜂蜜は、ティースプーンで半分くらい。


右は2002年の暮れの写真で、対岸の大峰山なども雪化粧姿だった。


【山城大橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
  13.2km 13.2km  3.0km

国道307号線の赤いアーチ橋。
上流側にホームセンターが隣接していて、トイレ、水補給OK。

山城大橋の上流側100mに、「草内の渡し跡」の標示あり。

14.2km地点で、普賢寺川(川沿いの道を上がって行くと、同志社)を渡って、14.4km地点で緩やかなスロープを河川敷に降りていく。
自然に囲まれた人造物の見えない快適なロード(右下写真)が、約1km続く。ヒバリが大勢でさえずっており、道端にも姿を見せてくれた(5/5)。


茂みの向こう側上空からラジコン飛行機のエンジン音が聞こえてくる。入り込んでみると、芝草をきれいに刈り込んだ専用の飛行場が広がっていた(14.8km地点)。


玉水橋の手前300mくらいの堤防に「飯岡の渡し跡」の標示がある。これに隣接して、飯岡(イノオカ)集落がある。
飯岡(イノオカ)は集落全体が小高い丘になっていて、三角点は67m。(堤防の天端高は30mくらい。) 
そのためだろう、木津川の流れが真っ直ぐ来ると飯岡にぶつかるが、その手前で川筋は飯岡を避けて、少し右に曲がっている。
(堤防に隣接している)集落の入口に飯岡古墳群の道しるべがあった。
落ち着いた歴史のある集落のようだ。古墳群を訪ねることにした。

ゴロゴロ山古墳と薬師山古墳の間の茶畑前で同年輩の地元の男性3人組に出会った。
気になっていた黒い合成繊維の覆いのことを尋ねた。
飯岡は玉露の産地で、黒い覆いをしてある茶畑は全て玉露を栽培している。
玉露は柔らかい新芽が命なので固くならないようにするため、日を浴びて伸びすぎないため、霜にやられないために、覆いをしているとのこと。
(4月下旬の遅霜でまだ覆いをしていなかった、どこやらの玉露が全滅した。) 
目の前のしっかり覆われている茶畑のすき間を開けて、新芽を摘んで教えてくれた。
(左はスキャナーで写し取った玉露の新芽の実物) 
厳密には3枚葉までが玉露だが今はもう少し下まで摘む。
下側の茎は、「かりがね」茶になる。
宇治や静岡の覆いをしていない茶畑は、煎茶用だ。
玉露は手間が掛かるためあまり栽培されていない。
飯岡は数少ない産地の一つ。
(流れ橋の河川敷辺りの玉露もいいお茶だが、砂地のため、肥料・水遣りが大変。) 
飯岡玉露の直販は難しく、残念だけど宇治のルートで出荷しているのが実状。

別れ際に、軽トラに積んであった掘ったばかりのタケノコ(これも名産)を肥料のビニール袋入れて5、6本くれた。
大好物なので喜んで一旦もらったものの、我が愛車には積み込めないため丁重に断った。(後で考えると、荷台の下にロープでくくりつける方法があることに気づいた。)
今日、玉露を摘んでいる畑がゴロゴロ山古墳の南にあることを聞いたので寄ってみた。
入口用に少し開けてあるすき間から70代の主らしい男性に挨拶し、中を見せてもらった。
薄暗い中で、ご年輩らしい女性数人が手で摘んでいた。許可を得て写真を1枚。

帰路、堤防から改めて眺めると、飯岡は、落ち着いた手入れの行き届いた集落であった。(2001/5/5)

1週間後にもう一度「飯岡」を訪ねた。
茶摘み、農家での製茶風景を含めて、飯岡の玉露を存分に味わうことができた。
また、6月に訪ねると、今度は田植えであった。耕耘機が耕している隣の田圃に白鷺が何十羽も集合して見守っているのどかな田植えの光景であった。
写真も多く少し長くなるので、古墳等と併せて、別ページ 【玉露と古墳の丘・飯岡】に、その情景をとりまとめた。

【玉水橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
  16.2km 16.2km   4.0km

水色の桁橋。(上流側に新橋を工事中で、拡幅されるのだろう。)

玉水橋を過ぎると景色が一段とワイドになる。遠藤川(16.8km)を渡る。
茶畑が河川敷に広がっている。ロードは堤防中腹を走る。
右手の田圃には水が張られ始めていた(5/12)。17.6kmでロードは堤防上になった。
(この下に、南山城村産の天然猪肉を売る店あり。\3300/300g、\5500/500g、特製味噌たれ付き。M商店) 
竹林の中の煤谷川(ススタニ、18.3km)を渡る。
中腹のロードから小さな階段で堤防上の未舗装の道に上がると、竹林の向こうに対岸の山々が広がっていた(写真)。

18.4km地点の堤防中段にお地蔵さんが祀られていた。
18.8kmでロードは堤防上の一般道と合流・平行して走る。


1km先の赤い桁橋の開橋を見ながら、19.2km地点からサイクリングロードは河川敷へ降りていく。(右手は、木津川上流浄化センターの工事中)


19.2kmの距離標の真下あたりのロード左手に大きな桑の木が2本ある。
赤い実、そして熟した赤黒い実がいっぱいなっていた。休憩して甘い実をご馳走になった。


一息入れて1kmほど走るとマムシ君がロードを横断中であったが、運よく間一髪で交通事故にならなかった。
走り過ぎてから気づき急ブレーキをかけて引き返して、記念写真を撮った。 (5/27)



【開橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
  20.2km 20.2km   5.2km


広大な河川敷に設けられた贅沢な自転車用舗装道路は(左写真)は開橋の下を通って、21km地点まで続く。
ロードが堤防に上がると、緩やかに大きく右にカーブする。
前方に新築の高層マンション群が見える。京阪奈学研『都市』の雰囲気である。

21.6kmで堀池川を渡ると、ロードは堤防中腹を走る。(堀池川の堤はきれいな散歩道になっていた。) 
22.3kmで堤防上に上がり、藤木川を渡る(22.6km)。
さらに、木津川本流に平行して流れる山田川を浜橋(22.9km、人・自転車用)で渡り、真東に見える泉大橋を目指す(右写真)。

木津合同樋門(23.8km)を過ぎると、ゴールも近い。


【泉大橋】

三川合流点から 御幸橋から 次の橋まで
  25.0km 25.4km   (終点)


泉大橋は、昭和26年の完成で、ゲルバー式トラス橋9径間で構成されており、支点上の構造高が高く、リズミカルな景観を呈している。(橋長383.6m)

京都と奈良を結ぶ国道24号(奈良街道)が木津川を渡るところに架けられた現在の泉大橋とほぼ同じ位置に、天平13年(741)に僧行基が大橋を架け、同時に狛の里に泉橋院という伽藍を建てたと伝えられている。
しかし、泉河(木津川)の急流に橋の存続は難しく、江戸時代には奈良街道は、木津川を渡るところに「渡し」を設けていたそうな。
      
京都の橋 (松村博氏)

泉大橋の南に、「京都八幡木津自転車道 終点」の標示があった。

泉大橋の袂には、「大阪湾まで61km」と書かれていた。

折角だから、逆光にならない右岸側へ泉大橋を渡り、記念写真を撮った。(右上)








付録 1 【背割堤の桜】

木津川と宇治川の合流をスムーズにするため、両川間に堤防を築造して干渉を避け、合流点を下流側へ移動させた。両川を仕切るための半島のように延びた約2kmの堤防を「背割堤」と呼ぶ。

背割堤公園の入口からすぐ右側の河川敷へ降りる道を進み、まずは宇治川沿いに北側から背割の桜を眺めた。
正面の天王山の中腹にも桜が見える。

そして、堤防の先端で180度回って今度は、木津川に沿って南側から背割の桜をすべて見せていただいた。
堤防を埋め尽くす満開の桜を河川敷から眺める雄大なお花見である。
日本の春を堪能した。 (2001/4/7)

なお、背割堤のすぐ先で北側から桂川が流れ込んできて、三川が合流し、淀川となる。



付録 2 【桂川サイクリングロード】

御幸橋から京都嵐山まで、19.6kmの自転車道があるが、京都の市街地に向かうため静かな田園風景はあまり期待できないこと、桂川沿いに走るのであるが横断する橋のトコロが木津川ロードのように立体交差になっていないこと、
個人的に桂川には京都市街の下水を流す川のイメージが強いこと、が主な理由で、御幸橋ではいつも木津川ロードの方を選択してしまう。

京都観光のアクセスロードと考えるなら、いい道だと思うが。