Mother Lake 琵琶湖 一周


2002年5月の連休に、クラブ・ザ・ファルトの仲間4人で琵琶湖一周サイクリングに出掛けた。
琵琶湖を我が庭のようにカヤックで、横断したり、縦断したり、一周もしている強者が、自転車で一周しようと言い出したのだ。
テントを積んで走るのは全員が初めてであったが、琵琶湖大橋を起点に反時計回りに、約170kmを2泊3日で一周した。

        (琵琶湖のマメ知識は → 琵琶湖事典

1日目

びわこ大橋米プラザ(琵琶湖大橋西詰北側にある道の駅) を10時にスタート。

琵琶湖大橋を東に渡る。野洲川を越え、マイアミのオートキャンプ場を左に見て湖周道路を一路東へ。
岡山の小さな浄水場のトコロは湖岸沿いに遊歩道があって、湖周道路の坂道を上らずにすんだ。
北上して長命寺川を渡り、長命寺の山門前に4台のバイクを止める。
門前の茶店で、うどん定食を頼んだ。

長命寺の石段は誰も登ろうとはしなかった。集落の中の狭い道を抜けて、前方に沖島を見ながら湖周道路を快適に北上する。
近江八幡お花見カヌーでお馴染みの水ヶ浜を過ぎて、やがて向きを東に変えると、左下に国民休暇村の大きな浜が見えてくる。カヌーから見た伊崎不動の岬は根元を湖周道路で横切った。
中の湖橋を渡って直ぐに左折し、西に沖島を見ながら湖岸の道を走る
。愛知川の河口近くから愛知川の左岸をさかのぼり、柵を越えて湖周道路の愛知川橋を渡る。今度は愛知川右岸を下って新海浜に出る。
新海浜から北東に彦根市内の湖岸を20km近く走り、米原市を越えて、近江町でテントを張る予定。

7kmほど進むと、右手に荒神山(262m)が迫ってくる。荒神山の北側を流れる宇曽川を越えたトコロにある三津屋漁港あたりから集落が続く。
なにやら人が集まっている。どうやらお祭りらしい。山車がいくつか見えた。(3日目には湖西でも祭りがあった。この時期に春祭りなのかナァ?) 
上の写真は、彦根の市街で出会った山車。左手の湖岸沿いの遊歩道を下ってきて、湖周道路を渡るところで、若者の山車のようだった。

彦根城の天守が新緑の中に輝いて見えたが、寄らなかった。彦根市に別れを告げ、近江町に入り、道の駅近江母の郷に到着。
水をもらって、少し食料を足して、ちょっと先の浜にテントを張った。カヌーで何度か訪れた多景島タケシマがよく見える。

サイクリング一人旅の女性が来て、直ぐ近くにテントを張った。日本縦断もやり、峠越えが好きだと言う。見掛けによらない強者だ。
5人でランタンを囲み、いつものように飲んで食った。
(単車と自転車でやって来たボーイスカート(年長のrover)が、強風のためターフを張るのに手間取っていた。)

カヌー仲間の最後はやはり焚き火だ。日が暮れてから水際で、遠慮がちに小さく火種が点され、流木が赤く燃えた。


【本日通った市と町】
琵琶湖大橋を超えて守山市に入り、野洲郡中主チュウズ町(マイアミビーチがある)、近江八幡市、神崎郡能登川町(中の湖橋のあたり)、(愛知川を越えて)彦根市、米原市、坂田郡近江町(道の駅・近江母の郷がある)



2日目


夜中に降った雨があがってくれた。
テントを畳み、スタート前に5人で記念写真を撮る。今回のツアーで4人全員が写っている唯一の写真だ。

まずは湖岸を走る。JR北陸本線長浜駅の手前で線路を越えて北国街道に入り、落ち着いた朝の長浜を北上。
街はずれで西に曲がり、以後、農道をジグザグに北へ、西へと進み、長浜の北西方向、水鳥公園で湖周道路に出る。途中、姉川を難波橋で渡り、何台かのトラクターと出会った。
田植えの時季なのだ。

すぐ西に竹生チクブ島を見ながら快適に飛ばして、湖北町の尾上公民館を訪ねた。「湖底遺跡資料室」で琵琶湖の縄文・弥生〜平安時代の土器を見た。
大正13年に漁師の網に数個の土器が掛かって引き上げられ、調査の結果、葛籠尾崎(ツヅラオサキ)の東沖60mくらい、水深10〜70mに眠る縄文・弥生遺跡が確認されたとのこと。
そのあたりは、我々のカヌーの通り道である。あの下に古代の湖底遺跡があるとは! よくもまあ、これらの土器が引き上げられたものだ。

なお、大津市歴史博物館によると、「近年、水中考古学は、調査方法や機材などの進歩により、世界各地で海底や湖底の遺跡や沈没船の調査が行なわれ、大きな成果をあげている。
日本では、昭和34年(1959)に琵琶湖総合開発の一環として行なった、北湖の葛籠尾崎湖底調査がきっかけとなって、水中考古学の調査が行なわれるようになった。
その後、琵琶湖では粟津湖底遺跡(大津市)、赤野井湾遺跡(守山市)、針江浜遺跡(新旭町)、長命寺湖底遺跡(近江八幡市)、多景島湖底遺跡(彦根市)など、湖に沈む遺跡を中心に貴重な遺構・遺物の発見が相次いでいる。」

北西方向に進み賤ヶ岳から湖岸沿いに南に細く延びている稜線を湖周道路のトンネルでくぐり、西野放水路に行き着く。

                     

放水路の西端の西野ほりぬき公園で休憩。公園側の低地(田圃)と西の琵琶湖との間に堤防のように細長い小さな山が横たわっていて、かつてはたびたび洪水に見舞われた。
苦心惨憺の末に、この西山を貫通する西野水道が江戸時代に完成した。
琵琶湖の最北東部をカヌーで漕いでいて、ぽっかりと小さな穴があいているように見えるのが何かなと思っていた。
実はそれが西野放水路だったのだ。250mほどのトンネルの穴だったのだ

上の左写真は、第3代の昭和55年に掘られた水路トンネル。右は、第2代、終戦後の昭和25年に掘られたトンネル。
江戸時代に掘られて史跡になっている小ぶりの初代はどこにあるのか確認しなかった。スミマセン、今度します。

右図の左端の水色は琵琶湖。その右の深緑色は山である。黄色っぽいのが田圃で、白は集落だ。
余呉川が北から流れて来て、西野の集落の南で山を真横に貫通して、琵琶湖に排水している。(赤字で現在地と表記されているトコロ。)

西野放水路の1本南のロードを東進し、北陸自動車道をくぐりJR線を高月(タカツキ)駅の北側で横断した。
高時川に行き着き、川沿いに上って雨森へ向かう。

         
高時川では上の写真のように、東に、北に、雄大な山の景を堪能できた。川堤のロードには鯉のぼりがズラッーと並んでいた。(右写真の左の端っこ)

高月町は、往古、槻(ツキ;ケヤキの古名)の巨木が多くあることから、まず、「高槻」と名付けられた。
その後、大江匡房(マサフサ)という平安後期の歌人が、この地で月見の名所と歌を詠んだので、「槻」の字が「月」に改められたとのこと。

町内の各地に槻の巨木・名木が多くあり、町では「槻の木十選」を選んでいて、雨森芳洲庵の門を入ったところにあった2本一組の槻の木(下の真ん中の写真で、幹周りは2.8mと2.6m )もその中に入っている。

雨森には趣のある家屋が建ち並び、流れる水路に鯉が泳ぎ、芳洲庵の前では水車が回っていた。


芳洲庵を訪ねる。下の3枚の写真の内、左は門。中は2本一組の槻の木。右は庵の建物と庭。

         

雨森芳洲は江戸時代中期の儒学者で、雨森村(現高月町雨森)の生まれ。
江戸に出て、朱子学者・木下順庵のもとで新井白石や室鳩巣らとともに学んだ後、対馬藩に仕えた。約40年間、藩主らへの進講のほか、外交・貿易面で活躍したそうだ。
鎖国の時代でも、隣国朝鮮とは「通信の国」として善隣友好の交わりがあり、対馬藩は日本と朝鮮を結ぶ外交と貿易の窓口であったのだ。
朝鮮通信使が1636年から1811年までの間に、(徳川将軍が代わるたびに)計12回来航したが、その8回目と9回目には、朝鮮語に長け、その文化まで理解していた雨森芳洲が、真文役として力を発揮した。
右写真は通信使の行列の絵巻に描かれている馬に乗った芳洲の姿である(「高月町東アジア交流ハウス・雨森芳洲庵」の展示を撮影)。

なお、朝鮮通信使の一行は、浪華津に上陸し、淀川を遡行、伏見から近江に入った。
東海道と中山道の分岐点にあたる草津より中山道の道をとり、守山の先で中山道(現国道8号)から分かれて、左の枝道(浜街道)に入り、JR東海道線より琵琶湖側(西側)を進んだ。
この道は朝鮮人街道(http://kyushu.yomiuri.co.jp/chosen/chapter4/06chosen.htm)と呼ばれている。
近江八幡、安土、彦根を経由して、その先の鳥居本でふたたび中山道に合流する。
 ☆ 「朝鮮通信使紀行」http://kyushu.yomiuri.co.jp/chosen/chosenmain.htm に詳しいレポートがある。


雨森の落ち着いた集落を後して、JR木之本駅付近に向かう。
駅南の坂を上って、寿司屋で昼飯を食らい、引き返して線路を渡り平和堂で晩餐のご馳走を仕入れた。

西へ走って、余呉川を国道8号の1本北の道で越えると、まもなく少し上り坂になってT字型に山にぶつかる。
北へ行くと多分、賤ヶ岳リフトの乗り場、南に曲がりカーブの坂を上っていくと、左写真の旧い賤ヶ岳隧道。煉瓦作りの坑門に感激して、記念写真を1枚。
国土交通省(mlit)近畿地方整備局(kkr)のHP(http://www.kkr.mlit.go.jp/)によると、「8号 賤ヶ岳トンネル(木之本町 850m)が、1970年2月に完成」とあった。
すると、この旧トンネルは第一線を引退して32年経つのだ。
往復2車線で歩道は無いが、幸い交通量は非常に少ない。

トンるを抜けると、右写真のように琵琶湖が広がっていた。
小さく見える竹生島の右手が葛籠尾崎(ツヅラオサキ)である。
岬に向かって長く延びているあの稜線を「奥琵琶湖パークウェイ」が走っている。
今回のツアーの山場が見えた。時刻は13時半。

飯浦ハンノウラに下り、藤ヶ崎を廻って、琵琶湖の最北・塩津浜に向かって北上。集落を抜けて左折し、R303に入る。
次の小さな集落・岩熊ヤノクマの手前でR303から分岐して左に進むと、「奥琵琶湖パークウェイ」と名付けられたきれいな国道に出る。
葛籠尾崎に向かって緩やかな坂道を南に登っていく。しばらく上がると、西から入ってくる古い短い煉瓦の隧道が見えた。
その道はマップで確認すると、R303岩熊トンネルの出口付近につながっていた。観光用ロードではなく生活道路だったのだ。14時半、月出集落の上の月出峠展望台で休憩し、一息入れる。
その後、奥琵琶湖パークウェイを快適に、そして懸命に漕いだ。つづら尾展望台に降りてくる頃、雨は本降りになったので、先を急ぐ。

菅浦の国民宿舎つづらお荘Q太郎カヌーの初詣ソロ・ツアーの定宿)の下、「かぐや餅」にたどり着き、雨宿り。つきたてのあん餅を2個ほおばる。
傘を差して、ランタの館へ行く。竹生島が見えるお風呂(¥300)は混んではいたが、値打ちがあった。
 ( ranta は、フィンランド語で「岸辺」のこと なので、湖畔の館という意味らしい。)
雨をしのいで豪華なディナー。冷えたビールが旨い。コンビニでなくスーパーで仕入れたので、フルーツもたっぷりのフルコース・メニューになった。

(奥琵琶湖パークウェイの標高は3百数十mで、琵琶湖の湖面が海抜80m台なので、250mほど登ったことになる。)

    撮影時刻:13時56分                              撮影時刻:14時02分
      

    撮影時刻:14時21分                              撮影時刻:15時04分
      


【本日通った市と町】
坂田郡近江町をスタートして、
長浜市、東浅井郡びわ町(姉川)、同湖北町(水鳥公園、尾上公民館、対岸の葛籠尾崎先端の東部分ちょっと)、伊香郡高月町(西野水道、高時川、雨森、そして対岸の奥琵琶湖パークウェイの稜線部)、同木之本町(賤ヶ岳隧道、飯浦)、同西浅井町(塩津浜、岩熊、月出峠、菅浦)



3日目


朝5時に目が覚めた。菅浦から先の無人の岬が静かに夜明けを迎えるところだった。


7時前になって朝靄に包まれて何も見えなくなった。
しばらくして、靄が薄れ、竹生島が浮かんできた。

再び、靄だ。

次には、漁師が一人乗っている小さな舟が暫し見えた。


          


テントを畳んでいると、かぐや餅の亭主が登場し、たきぎに火をつけて米を蒸す準備に取りかかった。
煙が朝靄を追い出した。(右写真)

我々も出発だ。
亭主に挨拶すると、今日はどこまで行くのかと聞いた。


まずは大浦の集落を目指して、半島の西湖岸を北上する。
対岸の二本松水泳場あたりが朝日を浴びて輝いている。(左写真)


大浦ではアザミが咲いていた。
南に見える琵琶湖がなかなかにきれいだ。
湖北からの景、改めて見惚れた。



          



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竹生島浮影

右写真、黄色い花の葉っぱが邪魔だけれど、竹生島が写っている。
水面近くは靄で白くなっていて、島の上半分だけが見える。この時期に見える現象で、「竹生島浮影」と呼ばれているとのこと。
(クラブ・ザ・ファルト代表の吉田教授の言)

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ここで、デジカメが切れた。スミマセン。

今日は、菅浦を8時前にスタートして、大浦、海津大崎、マキノビーチ、松林のきれいな今津浜、今津港、新旭風車村と走ってきた。
安曇川の南北の河口橋を渡り、萩の浜を経て右折し、近江高島の集落に入った。

古い落ち着いた道を南下して、江戸時代の商家の風情が残っている建物の奥に入り、洒落たテラスのテーブルに腰を据える。
「たかしまアイランド交流館びれっじ」のアイルランドのカントリーレストランをイメージしたという「シャムロック・カフェ」は、)待ち時間が非常に長かったが、ビーフシチューは飛び切りうまかった。

食後、1本西に入って、中央に水路が流れている古い道を下り、大溝城跡を右に見る。
左には小さな大溝港(クラブ・ザ・ファルトの琵琶湖横断はココから出艇し、沖の白石、多景島を経て、彦根に至る。)。
R161に沿って下り始めると、まもなく湖中に立つ白髭神社の鳥居が見える。
JRの駅の北小松、近江舞子、比良、志賀、蓬莱、和迩付近を快適に通過する。
サイクリングロードの整備が進められていて、開通したばかりのロードもあった。

小野あたりにくると混み合った市街地で、自転車に適した道はなくなった。
西に渡りニュータウン内を進む案もあったが、勢いで、R161を突っ走って、びわこ湖大橋米プラザに無事到着。
ソフトクリームで完走を祝った。


本日朝方にカメラを持って何度も停車して皆さんより大分遅れてしまい、大浦を過ぎたあたりの琵琶湖展望の駐車スペースで待っていただいた。
右写真は、そこへ走ってきた小生の旅姿である。15kgの荷物を満載し、ハンドルバッグの上にはマップを広げている。


【本日通った市と町】
伊香郡西浅井町(菅浦、大浦、二本松)、高島郡マキノ町(海津大崎、サニービーチ)、同今津町、同新旭町、同安曇川町、同高島町(大溝城跡、白髭神社)、志賀郡志賀町(JRの北小松、近江舞子、比良、志賀、蓬莱、和迩、小野)、大津市


初めての自転車旅で、カヌーもいいけど、自転車もいいなと、みんなが思ったようだ。めでたしめでたし。