竹生島(チクブシマ)初詣



2003年2月9日、ゆっくりと朝食をとりテレビを見ていると、天気予報で今日、明日だけは全国的に3月下旬並みの陽気になり、風も無いと言う。
今年は正月から寒い冬が続いていた。待ちに待った「初漕ぎ・初詣で」の日がやって来たのだ。

大急ぎで準備に掛かる。

11時前にようやく家を出て、JR京都駅12:16発の湖西線・永原行きに乗った。
蓬莱駅あたりで雲間から日が射してきた。びわ湖バレイスキー場に上がるゴンドラ道に雪が見えるが大したことはない。
でも比良山系の山頂付近は雪なのだろう、煙っている。
志賀駅を過ぎ、比良駅が近づく。比良スキー場に上がる登山リフト道には白く雪がたまっていた。
近江舞子駅で右側の琵琶湖に目を転ずると、春の湖面である。
ところが、やっぱり、安曇川あたりからはドンヨリとした雪国の空になって陽射しもなくなってしまった。近江今津駅に13時17分到着。

琵琶湖汽船の竹生島への観光船乗り場である今津港に向かう。
おばあさんがやっている昔からの餅屋に寄るが、あんころ餅は売り切れ、善哉ならできるとのこと。
人のいい年よりは好きだ。時間があれば来ることにする。今津町観光協会の「琵琶湖周航の歌資料館」の前を通り、桟橋横の砂利浜に荷物を置く。

今日の艇は、アルミフレームの軽量ファルトAL−1(フジタカヌー製アルピナー1、川舟用の設計)で、昨年4月の海津大崎お花見ツアー以来2度目である。
マニュアルを見ながらゆっくりと組み立てた。

宅急便でお世話になっている吉井酒店で少し買い物をして、出艇は15時を回ってしまった。
時間もないので、北東12kmの菅浦に向かって一直線に漕ぐことにする。
しかし、組み立て方も悪かったのだろう、艇はすぐに左に回転して、なかなか真っ直ぐ進んでくれない。仕方がないので、方向修正をしながらジグザグに漕ぐ。
菅浦の国民宿舎つづらお荘前に着いたのは18時であった。

お風呂に入り冷えた体を温めて、初漕ぎの定番メニューである名物・鴨スキにありついた。ココの真鴨はやっぱりうまい。


翌日、夜が明けるとともに雲が減ってきた。
漕ぎ出す頃には天気予報通りの上天気になった。下の3枚の写真は出艇前に写した。
左:静かな菅浦の集落が見える。桟橋はつづらお荘から竹生島へ出る遊覧船用。
中:南4km沖合に小さな竹生島(チクブシマ)。
右:南西方向には雪の比良山系。

  

葛籠尾ツヅラオ崎に寄って、竹生島に向かうことにする。


左写真は、菅浦の集落から離れてぽつんと立っている朽ちかけた建物。
これもなかなか絵になっているではないか。
水辺も実に美しい。ゴミの類は何一つ無い。


右写真の赤いカヌーの先に国民宿舎が見える。





葛籠尾ツヅラオ崎が近づくと、岩が湖上にも転がっている(下左写真)。
ココを回り込んで東に漕ぎ進め艇を着けた。
真南に竹生島(下中写真)。西の雪山は今津の箱館山スキー場だろう。(下右写真)。
その手前の先端部は海津大崎。


    

最南端の葛籠尾崎は正確にはもう少し東だった。艇を着けなおす。

左写真は、葛籠尾崎から東の伊吹山方向を見ているが、伊吹は吹雪いているのだろう、姿が見えない。
(昨日は、低い雲が湖上を覆っていたが、伊吹のあたりは雲がなく、菅浦に近づくと、雲の上の伊吹が夕陽に神々しく輝いて感動的だった。)

右写真は東側から葛籠尾崎を写した。
その先に海津大崎が見える。その向こう、遠景は箱館山スキー場。

この辺りは、夏場でも風があって、気が抜けないのだが、今日はどういうことだろう、凪渡っている。

竹生島は、周囲2kmの花崗岩の島で、古来から水神・浅井姫命アザイヒメノミコトが祀られ、湖上交通の安全が祈願されてきたと言う。
カヌー初詣には持って来いではないか
。葛籠尾崎から2kmの竹生島渡りも、浅井姫命に護られて嘘のように穏やかだった。


左写真は竹生島の東側であるが、立木が残らず枯れていた
。異常に増えた川鵜の糞害による立ち枯れのようだ。
竹生島には人が住んでいない(お坊さんも神主さんも船で通っている)ので、鵜の住み心地がいいのかナ。



カヌーを港に着けて島に上がる。



まずは165段の石段を登って、日本随一の弁才天霊場・宝厳寺ホウゴンジの本堂を訪ねた。(下写真)




本堂には本尊・弁才天像が祀られているが、秘仏で60年に1度しかお目にかかれない。
下左写真の内陣中央奥の閉められた厨子の中にいらっしゃる。 「日本三弁天」は、竹生島、江ノ島、厳島。

竹生島では、蓮華会レンゲエと呼ばれる、法華経を唱えて新造の弁才天像を奉納する法会が8月15日に行われる。
右写真は、本堂外陣左手にあった弁才天像で、戦国時代に浅井久政が蓮華会の頭役を務めた時に納めたモノらしい。

【弁才天・辯才天・弁財天・辨財天】 
(1) (弁才天・辯才天)(「弁(辯)才」は梵SarasvatL(薩タ薩伐底)の訳語)天竺(インド)の神の名。聖河の化身という。仏教にはいって舌・財・福・智慧・延寿などを与え、災厄を除き、戦勝を得させるという女神。像は、八臂(弓・箭・刀・斈・斧・杵・輪・羂索を持つ)、または、二臂(琵琶を持つ)。大弁才天。弁天。
(2) 七福神の一。後世(1)が、吉祥天と混同され、あるいは穀物の神である宇賀神とも同一視されて、多く「弁(辨)財天」と書き、福徳や財宝を与える神とされたもの。その像は、宝冠・青衣の美しい女神で、琵琶をひいている。弁天。  from Kokugo Dai Jiten Dictionary ゥ Shogakukan 1988

私も、弁才天はべっぴんさんと思っていたので、右上の刀や矢を持った弁才天を見てチョットがっかりしたのだった。スミマセン。

2000年に再建された三重塔に寄ってから、西国第三十番札所の観音堂に向かって石段を下りた。
下中写真の前面は観音堂に接した玄関である国宝・唐門。
2000年の三重塔に比べると色褪せてはいるが、豊臣秀吉を京都・東山に祀った豊国廟トヨクニビョウの遺構を秀頼が移築したもの。
後ろに続く観音堂も豊国廟の遺構で、中には本尊の千手観音像が安置されている。



重文・観音堂から重文・船廊下を経て、国宝・都久夫須麻ツクブスマ神社本殿(豊国廟の遺構。
宝厳寺弁才天社殿だったが、明治初期の神仏分離によって神社が分離分割された。)に至る。
船廊下(写真下左、中)は、秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を使っているとのこと。いずれにも桃山時代の匂いを感じる。


      

神社拝殿の南に、竜神拝所(下の2枚の写真)や、その先に八大竜王拝所があった。水の神様はご健在のようだ。

          

鳥居を出て、門前の店で、きつねうどんとおでんを食って腹ごしらえ。
店の亭主は観光船がやって来ると、すっ飛んでいき、船から投げるロープを留めていた。



南に少し漕いで、竹生島の全景を撮った。(左写真)
春の陽射しを浴びているナァ。


初漕ぎらしく、湖北の雪山を背景にした竹生島を撮りたくて南に漕ぎ進める。
左前方の長浜と右の今津を結ぶ直線上に、すなわち姉川河口の真西あたりまで来てようやく撮れた。
それが一番最初に掲げている写真である。左に雪山が写っている。

この時分から全天が低い雲に覆われてしまったが、どうしたことか風もなく、波もない。
奥琵琶湖の冬景色を満喫した。


 (『竹生島浮影』の写真を自転車のHP「Mother Lake 琵琶湖 一周」の最後に載せています。)