琵琶湖サイクリング 時計回り
5年半前の2002年5月の連休に、クラブ・ザ・ファルトの仲間4人が自転車で琵琶湖を一周した。
その時は、反時計回りに、テントを積んで2泊3日で湖岸に近い道約170kmを走った。
今回は、クラブ・ザ・ファルトの奥野氏の発案で、時計回りに、琵琶湖周辺の見所を訪ねてゆっくり走ろうということになった。
丁度冬場だったので、ザ・ファルトの陸の例会となった。(12月に予定していた第2回湖北ツアーは雨のため中止になり、翌年5月にリベンジした。)
第1回 | 湖西ツアー | JR堅田駅〜JR近江今津駅 | 2007年11月23日(金) | 45km |
第2回 | 湖北ツアー | JR近江今津駅〜須賀谷温泉〜JR安土駅 | 2008年05月25(日)26日(月) | 110km |
第3回 | 湖東ツアー | JR安土駅〜JR守山駅 | 2008年01月27日(日) | 40km |
第4回 | 湖南ツアー | JR守山駅〜JR堅田駅 | 2008年02月17日(日) | 45km |
計 | 『 琵琶湖一周サイクリング 時計回り 』 | 2007年11月〜2008年 | km |
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【1回目】 琵琶湖大橋西詰め〜近江今津駅 約45km
実施日 : 2007年11月23日(金)新嘗祭
参加者 : 奥田丘、奥野浩司、西野久二郎、吉田 究(案内人) 4名
左写真、4台が琵琶湖大橋西詰めの道の駅・米プラザに9時前に集合。
小雨は上がり、比良の山々の天辺が雪化粧で迎えてくれた。 9:00
右写真、これから訪ねる小野一族の系譜
”小野妹子と一族ゆかりの地”HP
左写真、小野妹子神社は丘陵地のニュータウンの公園の上にあった。
右写真、祠の奥にある唐臼山古墳(妹子の墓)
左写真、小野妹子神社の丘からは見晴らしがよい。
画面中央に沖島と雪の伊吹が写っている。
右写真、降りてくると、桜紅葉の向こうの比良は紅葉の上にうっすらと雪を装っていた。
左写真、小野道風神社。石段の上に社が見える。
右写真、本殿。三間社に向拝をつけた切妻造り。
左写真、小野神社の参道に無患子ムクロジの大木があった。
右写真、小野神社の鳥居。
左写真、小野神社。
妹子の先祖の米餅搗大使主命タガネツキノオオミノミコトが祀られていて、彼は日本で最初に餅をついた餅作りの始祖と言われ、
「お菓子の神様」。それで、石の餅が両脇に飾られている。
右写真、小野神社手前右手には立派な小野篁神社。
左写真、小野篁神社。
コレは国重文で、(社殿正面の柱間が3つある)三間社。
桁行3間、梁間2間の切妻造りで1間の御拝(向拝)がつき、屋根は桧皮葺。南北朝初期(1341年頃)の建築らしい。
(桁行とは間口、梁行とは奥行きのこと。)
右写真、「参議篁 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人のつり舟」 小野篁の歌碑。
和邇川を渡り、小野氏の集落から和邇氏の集落に入る。少し川を遡って、
左写真、天皇神社の石鳥居。拝殿の奥に本殿。
右写真、 もとは牛頭ゴズ天王社で、素盞烏尋を祀る。
天王が、天皇となったらしい。
左写真、本殿は小野篁神社、小野道風神社とほぼ同じ形の切妻造で、同じく重要文化財。(小野神社群)
右写真、本殿の左に少し背の高い樹下神社。
樹下神社は日吉大社の摂社であるが、もっと歴史があるようだ。
左写真、西岸寺の木造阿弥陀如来立像の建物の前に石仏が並んでいる。
右写真、湖西線、県道601沿いの「びわ瑚レイクサイド自転車道」を走る。
左写真、八屋戸浜の古い石造灯台。
右写真、木戸川を渡る。
比良は紅葉と雪。
左写真、南比良の浜。
画面中央に真っ白な伊吹山。
右写真、天満宮御旅所前で。
左写真、近江舞子のビーチで弁当にした。
右写真、舞子の内湖と雪比良
この内瑚も琵琶湖と繋がっているが、少し水位差があり、仕掛け等の障害もあって、航行不能の結論が出る。
左写真、JR北小松駅手前の樹下神社の鳥居。
右写真、神楽殿のような大きな拝殿の奥に、左に天満宮、右に樹下神社と仲良く並んでいる。
この辺りを歩くと、いつも樹下神社に興味が湧く。
”日吉神社信仰の起こりである牛尾山(八王子山、小比叡)は三角錐型の甘南備山で、農耕の始まった時代の地主神を祀る、降雨祈願の山である。
山頂近くまで登ると、磐境イワサカがあって、其の前に牛尾神社の本・拝殿と三宮神社の本・拝殿がある。共に重文である。
これらの神は後世に麓に移され、牛尾社は日吉大社東本宮に、三宮社は樹下神社になったといわれている。” from 歴史街道HP
”比良天満宮と樹下神社は隣り合わせ”の話もあった。ココ北小松と同じだ。
左写真、天満宮と樹下神社が左右に並んでいる。同じ形で同時に造られた感じだ。
右写真、湖岸沿いの161号脇にある岩除地蔵尊。
山桃?の大木が道路まで繁っていた。
左写真、白髭神社の境内中腹にある紫式部の歌碑。
『三尾の海に網引く民のひまもなく立ち居につけて都恋しも』
越前国司になった父藤原為時に伴って京を出て、大津から船で湖西を通り、途中、ここ高島三尾の浜で綱を引く漁師の姿を見て詠んだらしい。
なお一行は塩津の湊に上陸し、越前敦賀に向かった。
右写真、さらに登っていくと、岩戸社。
その右の注連縄が巻かれている岩は聖石。
石柱には「白髭神社古墳群」と彫られている。
左写真、岩戸社の中には横穴式石室が開口している。
開口した横穴式石室を後世になって祀る例の一つで、ココでは、天岩戸に見立てられているらしい。
右写真、岩戸社の後には石室天井部の石材が一部地表に露出している。
左写真、鵜川四十八体石仏。16世紀半ばに彫られた花崗岩の大きな阿弥陀如来座像。
右写真、乙女ヶ池。
左写真、大溝城跡。
右写真、藤樹書院。
中江藤樹の屋敷に藤の老木があったので「藤樹先生」と呼ばれていたとのこと。
左写真、中江藤樹の墓所。
右写真、儒教の礼によって行なわれた儒葬の墓の説明。
左写真、藤樹神社。
右写真、陽明園。
王陽明生誕地の中国浙江省余姚市と日本陽明学の祖・中江藤樹生誕地の安曇川町の友好交流シンボルとして建設された中国式庭園。
”太湖石”と呼ばれる岩石を始め建築材料のほとんどが中国から輸入されたらしい。
陽明亭(八角平面の二層式あづまや)は明代の建築様式にもとづき復元されたとのこと。
左写真、安曇川を渡り、生水ショウズの里「針江」に向かう。日吉神社を訪ねた後、地酒・松の花で試飲し、大吟醸「猩々之舞」を求める。
新旭水鳥観察センターを経由して、
右写真、木津コウヅ港の常夜灯を見て、北上。
今津で魚岩商店で小鮒の佃煮等を仕入れ、近江今津発16:31発の普通電車で京都に向かった。
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