旭川シリーズ-6          天塩川を走る その2
 
                 ( 音威子府〜問寒別 )


8月10日、前日に引き続いて、音威子府オトイネップから問寒別トイカンベツまで走った。

手軽なMAPは、北海道カナディアンカヌークラブHP川地図。    
北海道新聞「もっと北海道」HPの中の天塩川新聞HPにある天塩川流域マップは、データ量がチョット多い(低圧縮版=PDF・2945k)が、詳しくて親切だ。
以下の本文中では『流域マップ』と略称にて引用する。


朝早く目が覚めたので、朝食抜きで宿を出た。

国道40号は旭川市と稚内市を結ぶ一般国道で、天塩川の流れ、したがってJR宗谷本線のルートともほぼ一致している。
この道路は名寄からは交通量がグッと少なくなるらしい。
そして昨日感じたが、美深アイランド、道の駅「びふか」からは目に見えて、さらに少なくなり、サイクリングには非常に快適な道だった。
(2日間の走行ルートは、できるだけ川に近い道を走るようにしたが、半分くらいは40号を走っている。)
サイクリングに快適な国道は、当然、ライダーにとってはさらに快適だろう。前方から音を立てて走ってくる先頭のバイクが左手をチョット上げた。
次のライダーも上げた。
どうやら、挨拶のようだ。
コチラは右手を大きく挙げた。
うん、気持ちがいいモノだ。追い抜いていくバイクは、左手をチョット下げた。
コチラはバックミラーに向けて右手を大きく振った。
2日目は、ライダーとの挨拶にも慣れて、コチラから先に手を振る時もあった。

昨日、宿に着いてから、音威子府駅に行った時に、沼津の青年にあった。
彼は、宗谷岬をスタートし、西海岸沿いを走って、ゴールの沖縄まで、途中アルバイトをしながら日本縦断をするらしい。
明日は、音威子府から北上し、中頓別、浜頓別と走って、クッチャロ湖でテントを張ると言っていた。



左写真、音威子府の「中の島」のカヌーポート。
ココで、旅館でもらったもぎたてのトマトの朝食。
実にうまかった。


右写真、音威子府は山と森に囲まれた小さな村だ。






左写真、午前6時の中島公園。
昨夕会った沼津の青年のテントのはず。
木の下に自転車が見える。
向こうにはライダーもテントを張っていた。



左写真、音威子府橋を左岸に渡り、天塩川に沿って、西に進む。
今日走る前半部、音威子府から佐久あたりまでは天塩川の両岸に山が迫っていて、道路も曲がりくねり、道幅も狭い。





左写真、音威子府橋の上流側。
左にカヌーポート。


右写真、音威子府橋の下流側。








左写真、天塩川に山が迫り音威子府渓谷と呼ばれる。


右写真、まさに山の中。中央左の点はトンビだ。
天塩川ではよくトンビが飛んでいた。








左写真、支流の物満内モノマナイ川に架かる橋。右手で天塩川に注いでいる。



右写真、物満内川の堤防を進む。この先で、天塩川に合流している。
『流域マップ』では、右手に物満内の瀬があった。







左写真、筬島オサシマ橋の上流側。


右写真、筬島オサシマ橋の下流側。







松浦武四郎が1857年に天塩川流域を訪れ、現在の音威子府村筬島オサシマ付近でアイヌの長老の家に宿泊した。
その時、蝦夷地(北海道)に対するアイヌの通称「カイナー」の意味を知った。
すなわち、「カイ」はこの国に生まれた者で、「ナー」は男に対する敬称。(「手塩日誌」より
アイヌと深い交流のあった松浦武四郎は、蝦夷地を命名する際に「アイヌの国」を意味する「カイ」を取り入れ「北加伊道」という名を提案、 これが後に「北海道」となった。

左写真は、その「北海道命名の地」碑



右写真、命名の地あたりで、天塩川は大きく左に湾曲していて、川原は広い。
対岸(右岸)はJR。国道40号は左岸。







左写真、国道40号から上写真の「命名の地」に行く途中の道端に、蜜蜂の巣箱が置いてあった。

帰りの無人駅で地元の人が、蜜蜂は科の木朴の木の花が好きだと言っていた。
巣箱の近くに科の木があったのかも知れないナ。

科の木:「シナ」はアイヌ語で縛る、結ぶの意で、この木の繊維を縄や布に用いたとのこと。
全国に分布し、北海道に多い。 なお、北海道土産の熊の木彫りは、ほとんどがシナノキらしい。






左写真、森の中を川は流れていく。


湾曲部にあるカムイの瀬(岩があって流れのある時には注意)を道路右側の茂みの間から、なんとか見たいと思うが、分からなかった。



右写真、前方に覆道、その先にトンネルが見える。

(もうチョット先の富和トンネルのトコロには一応ゲートはあるが、迂回できる川沿いの旧道があって、快適なバイパスになっていた。その先は新しい富和覆道。)



左写真、ようやく音威子府渓谷を抜けて、国道40号は幅員も広くなり、快適だ。それにしても空いているナァ。

知良志内シラシナイ川を渡り、安平志内アベシナイ川を渡る。



右写真、安平志内川の左岸堤防から佐久橋を遠望。
ココで天塩川は、北に向きを変える。






左写真、佐久橋の上流側。
左から天塩川が回ってくる。右は支流の安平志内川。



右写真、佐久橋の下流側。
『流域マップ』では、橋の下流50mに、鉄筋が横に張り出しているアスファルトがあるので注意、とある。






左写真、40号沿いの長閑な牧場風景。
牛舎、サイロが見えてる。中央手前の赤いトラクターが走り回って、牧草を刈り取っていた。

  『 草刈機 北の大地を 駆け巡る 』


この後、9時半に道の駅「なかがわ」に着いて、やっと食い物にありついた。
朝もぎのトウキビ蒸しが最高にうまかった。(トウモロコシよりもトウキビと言う人が多いとのこと。)




左写真、誉大橋の上流側。
左にカヌーポートがあり、その奥に、ポンピラ・アクア・リズイング(愛称:ポンピラ温泉)と言う名前の温泉宿泊施設もある。
中川町もなかなか頑張っている。)


右写真、誉大橋の下流側。
『流域マップ』に旧橋脚の残りワイヤー注意とある。


右岸に渡って、中川町の中心部を走る。




左写真、中川橋の上流側。



右写真、中川橋の下流側。








左写真、左手には天塩川の河川敷が広がっていた。



右写真、ペンケナイ川のペンケ橋から写した。
小さなJR鉄橋の向こうに見えているのは、ペンケ山かな。







左写真、歌内駅を見る。この駅前の砂利道が歌内橋に続いている。



右写真、歌内橋の古いコンクリートと橋名板。
この橋を渡ったが、怖かったナァ。






左写真、歌内橋の上流側で、さすがに新橋の工事をしていた。


右写真、歌内橋の下流側。
流れはホント緩やかである。

歌内橋を渡って、左岸堤防道をチョット走ってから、下の農業管理道路?に降りた。この道ではマムシ君に出会ったナ。







左写真、農業管理用道路?からペンケ山を振り返る。
この後、国道40号に出た。


右写真、国道40号で、ペンケ山かパンケ山かを振り返る。







白い優美なアーチ橋、新問寒別シントイカンベツ橋が今回の天塩川自転車ツアー最後の橋になった。

左写真、新問寒別橋の上流側。


右写真、新問寒別橋の下流側。
(左岸上陸可)





問寒別で唯一の店と聞いた農協の小さなスーパー(Aコープ)で、昼飯を調達すると、12時のサイレンが鳴った。
JR問寒別駅(無人駅)発12:29の列車に乗って、名寄駅で14:22発の「なよろ8号」に乗り換え、旭川着は、15:49であった。


【参考になるHP】
土曜日曜束の間カヌー紀行「天塩川」
優駿カヌークラブ Hokkaido Canoe Information「天塩川」





                               旭川滞在10日間シリーズ 完