旭川シリーズ-5 天塩川を走る その1
( 名寄〜音威子府
)
8月9日〜10日に天塩川を見ながら、名寄から問寒別トイカンベツまで走った。天塩川カヌー下りの下見が目的だったが、サイクリングとしても快適な旅だった。
写真が多いのでページを分けて、9日の名寄〜音威子府オトイネップを本ページの「その1」、10日の音威子府〜問寒別を「その2」とした。
なお、手軽なMAPは、北海道カナディアンカヌークラブHPの川地図。
北海道新聞の「もっと北海道」HPの中の天塩川新聞HPにある天塩川流域マップは、データ量がチョット多い(低圧縮版=PDF・2945k)が、詳しくて親切だ。以下の本文中では『流域マップ』と略称にて引用する。
9日の朝、たまたま早く目覚めたので、6時に旭川駅まで走り、6時5分発の名寄行き普通電車に飛び乗った。
名寄駅に7時45分に着くと、急に雨が降り出した。雨具もなく、暫し駅で雨宿り。8時半くらいに小雨になったので、スタートし、真西に向かう。
左写真、天塩川の右岸堤防に上がり、北に走り出す。
右写真、すぐに、名寄大橋。
左写真、名寄大橋の上流側。
右写真、名寄大橋の下流側。
左写真、恵名大橋(上流側)。
右写真、恵名大橋の下流側。
右写真、天塩川右岸に流れ込むピヤシリ川に架かるピヤシリ大橋。
下写真は、道端に隣り合わせに立っていた二つの案内板。
松浦武四郎 :三重県一志郡三雲町が生んだ幕末の探検家で、北海道各地を回った。
アイヌの人々の文化を尊重し、「北海道」という名前を「北の国に生まれたアイヌの大地」という思いをこめて付けたと言われている。
(その北海道命名の地は、音威子府村の天塩川左岸にあり、翌日、訪ねた。)
またこの辺りは、先史時台からの遺跡も多く出ている地らしい。
左写真、天塩川は滔々と流れていた。
右写真、空も晴れてきて、気持ちよく走った。
左写真、天塩川右岸、JR智東駅(臨)の先の踏切を越える。
右写真、こういう渓流ではフライフィッシングの人影を見掛ける。
尋ねると、「ヤマメ(ヤマベ)を釣ろうと思うが、雨が降ったので水がちょっと濁ってどうかな。」と言いながら、老紳士は上流に登っていった。
左写真は、干し草のロール。トラクターを用いて、牧草を刈り取り、巻き上げる。
しばらく干してから白や黒の合成繊維の袋に入れて、発酵させ保存するとのこと。
北海道の風物詩として好きな風景だ。
右写真、東恵橋。
左写真、東恵橋の上流側。
右写真、東恵橋の下流側。
左写真、これも東恵橋の下流側。ホントきれいな水が流れていくナァ。
この東恵橋を渡って、左岸に移る。
ソバ畑が所々にあり、一面に白い花が広がっていた。 (きれいな蕎麦の花の写真HP)
智恵文川を渡り、左写真の智恵文神社を通り過ぎる。
こちらで見掛けた寺社の屋根は皆、金属屋根にペンキが塗られていて、檜皮葺はなかった。
また、鳥居も御影石のは見なかったナァ。
(後で知ったが、檜は、福島県東南部以南の本州、四国、九州に分布していて、北海道にはないのだ。)
右写真、天智橋。
左写真、天智橋の上流側。
右写真、天智橋の下流側。
天智橋を右岸に渡った。
左写真、天塩川右岸堤防道を走る。
右写真、天塩川の水面が少し見えている。
左写真、仁宇布ニウップ川に架かる大反橋の上流側にJR鉄橋が並んでいる。
右写真、仁宇布川下流側。きれいな川だ。
この川を越えると、名寄市から中川郡美深ビフカ町に入る。
天塩川の右岸側をさらに進む。
左写真、恵深橋。(恵深橋・親水公園カヌーポートの案内板が橋の袂に出ている。)
右写真、親水公園から下流方向の恵深橋を写す。
左写真、恵深橋の上流側。(カヌーポートは左手)
右写真、恵深橋の下流側。
左写真、カヌーポートから恵深橋を写す。
この後、美深ビフカの町で昼飯にしようと思い店を探すが、結局、コンビニで調達した。
右写真、美深町文化会館。
きれいな立派な建築だ。ガラス越しにロビーを覗くと、女の子が二人パンを頬張っていた。
うん、ココはいい。私も隣のテーブルに陣取って昼食休憩とした。
(冷房はないのでチョット暑かったが。)
左写真、美深橋右岸上流側にある「美深橋カヌーポート」の案内。
(文化会館のすぐ近くにある。)
左写真、美深橋の標識(上流側)。
右写真、美深橋と手前にはカヌーポート。
(黒いのは自転車)
左写真、美深橋の下流側。
『流域マップ』で「浅瀬注意」と記されている浅瀬だナ。
さらに川の右岸側を進み、雄木禽オキキン川を越えると、国道40号は美深大橋で天塩川を渡り、左岸を走る。
右写真は、その美深大橋。
左写真、美深大橋の上流側。
右写真、美深大橋の下流側。
左写真、美深大橋の下流側左岸。
この辺りで天塩川は東に流れているが、すぐに、また北に向かうので、左写真方向に川は流れていくのだ。
橋を渡って国道40号を北進した。
右写真、紋穂内モンポナイ橋。
左写真、紋穂内橋の上流側。
右写真、紋穂内橋の下流側。
『流域マップ』で「モンポナイの瀬」、白波の瀬、横一線の落込みがあると言うのが、先に見えているのかな。
橋を渡ってもすぐに行き止まりだが、渡ってみる。
左写真、ちょうど、JR宗谷本線の列車が通ってくれた。
右写真、紋穂内駅。もちろん無人で、昔の客車が待合室に使われている。
紋穂内橋を戻って、左岸の国道40号を進む。
右写真、美深アイランド・カヌーポートのきれいな案内標識。
ココから、美深アイランドだ。天塩川の蛇行でできた三日月湖の周辺を整備し、76haの広い敷地に、美深温泉、オートキャンプ場を中心に森林公園の施設が整備されている。
また、道の駅「びふか」も隣接していて、休憩スポットとしても重宝である。
今日の天塩川サイクリングは日帰りのつもりで出てきたのだが、なかなか快適でココで引き返すのは勿体ない
。どこかで1泊して天塩川をさらに走ることにした。まずはびふか温泉(一人もOKのはず)に聞くと満室だった。
当然か。 たまたま、道の駅の駐車場に、「ACOOP音威子府」と書いてある車が入ってきたので、思い切って、今夜の宿の相談をした
。大変に親切な方で、アチコチ電話を架けてくれて、やっと音威子府駅前の松尾旅館に泊まれることになった。
(丹さん、その節はお世話になりました!)
ココ、美深アイランドを少し紹介する。
左写真、美深アイランド・カヌーポートは川の流れから少し左岸に掘り込まれていて、安心して着艇できる。
右写真、カヌーポートから下流側の流れ。
左写真、美深アイランドは広い。
(写真右手がカヌーポート)
右写真、三日月湖内のカヌー乗り場。
カナディアン・カヌーが並んでいた。
美深アイランドでの休憩後、天塩川の左岸を北上。
左写真、恩根内オンネナイ大橋の上流側。
『流域マップ』で「恩根内テッシ」と記されているテッシ。
右写真、恩根内大橋の下流側。
【テシ、テッシ memo】
松浦武四郎が『天塩日誌』に、「テシホ=手塩」の名は、アイヌ語で「テシウシなるを何時よりかテシホと語る也。
テシは梁の事、ウシは有との意なり。
此川底は平磐の地多く、其岩筋通りて梁柵を結びし如く、故に号し」と記しているように、岩(盤)がまるで梁の仕掛けのような形で川を横断してのが天塩川の特徴であり、名前の由来である。
その後、木材を流送するために岩盤が削られて、大分姿を変えたが、今でも「テシホ」の名残が所々で見られる。
上左写真の「恩根内テッシ」はその代表的な例。
川を見るために、国道40号を左に入って、天塩川温泉方向に向かう。
左写真、川の手前にあるJR天塩川温泉駅。
冬はさらに風情があるナァ。
右写真、天塩川温泉の手前の止若内橋。
橋の右手に、天塩川温泉がある。(シングルあり)
ココには、是非泊まりたいな。
左写真、止若内橋の上流側。
右写真、止若内橋の下流側。
画面の左手が天塩川温泉で、左岸に簡単なカヌーポートがあり、カヤックを着けているのが見えた。
ココには、キャンプ場もある。
国道40号に戻り、音威子府に向かって北上する。
左写真、道端では牛たちが長閑に食んでいた。
右写真、標識には「音威子府まで4km」。
左写真、国道40号線も貸切状態なので、センターラインを越えてジグザグに走ったりしたナァ。
北の大地の贅沢なサイクリングだ。
右写真、JR音威子府駅。なかなかイイ駅だ。
駅前通りの右手にある昔からの松尾旅館(tel:5-3002)でお世話になった。