チョットずつ奥の細道 d−3     隅田川、春日部から小山まで その3

      小山ポタリング、喜沢分岐点の先まで

                                                         2012年4月26日(木)


この日は、確実に雨との予報であった。(現実には朝、ホテルを出る時に小雨に見舞われたが、その後は降りそうで降らなかったが。)
自転車のサドルを替えた所為で、お尻の皮が剥けそうに痛かったこともあって、小山周辺を廻って昼過ぎに東北新幹線で帰ることにした。

 

上mapの赤線が、本日の走行軌跡である。


 

GPSの記録では、本日の走行距離は17.8km。所要時間:2:42、走行時間:2:04、停止時間:0:37。走行速度:8.53km/h。


    

   左写真、まずは、小山城址の城山公園へ向かった。写真の橋の下は切り通しで、両側の急斜面には石垣が築かれている。城の遺構かも。

      中写真、城址からは思川オモイガワが眼下に見える。
       思川は鹿沼市の北西部が源流で、芭蕉・奥の細道ルートに添って(平行に)北から南に流れ、渡良瀬遊水池に注いでいる。
       芭蕉もこの川を何度も見ていることだろう。

         右写真、朱の”ぎおんばし”。小山城は地元では、別名の”祇園城”と呼ばれている。






左写真、小山城の位置図。


   右写真、小山御殿復元図。


 ( from 小山御殿広場の案内板)










    

   左写真、城山公園では桜の花びらがアチコチに敷き詰められていた。残っている木もあった。

      右写真、南に下り、思川左岸を走る。川沿いの桜も元気に咲き残っていた。(後は、観晃橋)

    

   左写真、ようやく探し当てた”愛宕神社”。左手はケヤキの大木。小山義政が1379年に愛宕神社を勧請した時に植えた御神木らしい。
      石鳥居は残っているモノの、神殿は正面の小さな鉄筋コンクリート。(神域はほぼこの写真の範囲。右手は道路のスロープ。)

      中写真、”愛宕神社”神殿。氏子が火災対策を最優先してなんとか建て替えたのだろう。本殿の右手奥に其角の句碑があった。

         右写真、、芭蕉の門弟・宝井其角の古い句碑。「ほととぎす一二の橋の夜明けかな」

   この愛宕神社は周辺をぐるぐる走っても分からず、市役所環境部で調べてもらって、住宅図で発見した。
   市街地化で敷地は極端に削られ、市役所の別館が建て増されたり、学校が出来て直ぐ際に坂道が造られたりで、隅っこに追いやられ、地元の人も誰も知らない存在であった。

   

   左写真、天翁院テンノウイン。曹洞宗。小山氏の菩提寺であるので、大層、立派で、静かできれいなトコロであった。

      右写真、参道際の見事な石楠花。

    

   左写真、満開の山吹に囲まれた観音様。

      中写真、本堂。本堂へのアクセスも素晴らしいではないか!

         右写真、本堂の前に大分古い下駄がきれいに揃えてあった。

   

喜沢キザワ交差点を左折して、壬生道を北上。  壬生道は小山ゴルフカントリーを貫いている。

   左写真、日光街道西一里塚。壬生道最初の一里塚。直径3.3m高さ1.8m。写真は西側ので、ほぼ当時様相を示していて、エノキが沢山生えていた。

      右写真、見事なエノキではないか。樹下は涼しい。

   

   左写真、梨園。

                   右写真、梨の花。


    

   左写真、葱か、いや、玉葱かも知れない。

      中写真、コノ辺りも関東ローム層なのだろう、土は黒い。

         右写真、畝は高く盛り上げてあった。向こうは梨の木か?黒い畑と白い梨の花がマッチしている栃木の田園風景。
         画面中央右手に扶桑歩道橋が写っている。   11:40
         今回の旅はココで引き返した。

    小山は東北新幹線の駅があって便利だ。 駅もきれいだった。


                                  
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