チョットずつ奥の細道 d 隅田川、春日部から小山まで
今回の旅の概要を下表に示す。(2〜3日目のHPは下表からリンク)
旅順記号 |
日 程 |
サブタイトル |
宿泊地 |
d−1 |
1日目 |
2012年4月24日(火) |
隅田川遡航(カヌー) |
江戸・深川 |
d−2 |
2日目 |
4月25日(水) |
春日部から小山 |
小山 |
d−3 |
3日目 |
4月26日(木) |
小山ポタリング、喜沢分岐点の先まで |
(この日は雨模様) |
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チョットずつ奥の細道 d−1 隅田川、春日部から小山まで その1
隅田川遡行(カヌー)
2012年4月24日(火)
まず、隅田川の歴史に触れておきたい。
from 国交省荒川上流河川事務所HP
隅田川の最初の橋は、徳川家康の江戸入府直後に架けられた千住大橋。この橋は奥州街道を渡す橋であり、家康は伊達氏への戦略上、架橋を急いだらしい。 一方、江戸中心部を流れる下流部に、初めての架橋は両国橋で、千住大橋から70年後。そして、第5代綱吉の元禄に入り、新大橋と永代橋との2橋がたてつづけに架けられた。以降、幕府は隅田川橋梁群4橋の管理に苦慮し続けたらしい。 from 江戸時代の隅田川橋梁群
芭蕉の時代に架かっていた橋は、千住大橋、両国橋のみ。
左写真、華の東京・八重洲口に降り立つ。
中写真、BD-1を組み立てて、まずは深川のホテルコンフォートホテル東京清澄白河に向かって、いざ出発。 (11時前)
右写真、隅田川を永代橋で渡る。
ホテルの玄関に着いたところ、偶然にも、ロビーで落ち合うことになっていた江戸の人・Y氏と出会す。
握手をして、一緒にフロントへ向かい、宅配便で送っていたカヌーを受け取る。Y氏はスーツを山行きの格好に着替える。
私はカヌーをキャリーに載せ、彼は私が東京駅から乗ってきた自転車を折り畳んで押し、都営大江戸線・清澄白河駅に向かう。
月島駅で下車。蕎麦屋で昼飯を食って、佃島の出艇予定地(右mapの佃堀の奥)に到着。
(この出艇予定地の調査状況は、拙HPの2011年10月10日隅田川下見の項を参照下さい。)
「佃島」は、摂津国佃村(現大阪府)から、江戸幕府の意向で移住した漁夫達が島を築き、開府期以来白魚漁などを生業にした人々が住んだ町で、「佃煮」の発祥地。
佃島周辺は、震災や戦災を免れたので、今日でも江戸の風情を感じさせる町並みを残している。
水路(佃堀)は、隅田川と接する箇所にある「住吉水門」によって、必要に応じて水位調整が行われる。
(from 東京の橋風景)
出艇地に隣接する公園の隅っこで、艇を組み立てる。
Y氏に手伝ってもらい、柵とフェンスを越えて、艇を佃堀に浮かべる。
左写真、出艇。 14:30
右写真、佃堀を漕ぎ、前方左に住吉水門が見えてきた。向こうは隅田川だ。
左写真、私が水上から撮った中央大橋。 14:34
右写真、Y氏が陸上から撮ってくれた中央大橋。画面中央付近の赤いカヌーが私。
(以後、Y氏は着艇地点まで自転車で伴走してくれ、写真も撮ってくれた。ありがとうございました。)
本日の隅田川遡航で、左図(from 現代の隅田川橋梁群HP)の中央大橋から水神大橋までをくぐった。
江戸時代の隅田川橋梁群HPも優れている。
上の写真は、「永代橋とスカイツリー」。 14:38
Y氏が撮ってくれた「永代橋とスカイツリー」。橋の手前、左に小さく写っているのが私。絵になっているナァ。
左写真、永代橋の手前で最初の観光船が後からやって来たので、端っこに除けて見送る。 14:42
中写真、「清洲橋とスカイツリー」。 14:47
右写真、同上。スカイツリーが見えると、うれしくなるのだ。 14:48
左写真、高速道路。 15:04
中写真、運搬船も下ってくる。除けるのに大童であった
右写真、総武本線。 15:13
左写真、前方に蔵前橋とスカイツリー。 15:14
中写真、蔵前橋と観光船。特に後からの近づくエンジン音に注意する。 15:20
右写真、厩橋、高速道高架橋、そしてビルの狭間にスカイツリー。 15:24
左写真、運搬船は観光船より遅いが、波が大きい。いずれにしても波に向かって漕ぎ出し、対岸に渡るジグザグ航行を繰り返さざるを得なかった。
中写真、東武鉄道。 15:39
右写真、桜橋のX字形の間からスカイツリーが顔を出した。
桜橋は台東区と墨田区の姉妹提携事業で架けられた、隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結んでいる。 15:50
左写真、桜橋をくぐって、また、スカイツリー。
中写真、これも絵になっている?
右写真、観光船が来なくなっても、違う船がやってくる。
左写真、前方に白髭橋が見えてきた。
中写真、白髭橋は格好いいナァ。
東岸に「白鬚神社」がある。白「髭」(くちひげ)と誤記されることがあるが、正しくは白「鬚」(あごひげ)。
右写真、この角度もなかなかgoodだ?
なお、「白髭橋」は、バランスト型のタイドアーチ橋と呼ばれるモノで、2004年に石狩川を走った時に見た「旭橋」もそうだった。力強くて、優美だ。
左写真、前方に水神大橋が見えてきた。
中写真(下見の時に撮影)、水神大橋は、(アーチ部材と補剛桁の間に斜めに張ったケーブルを配置した)ニールセン・ローゼ橋で、現代的な美しさだ。
右写真、着艇予定地点が見えてきた。
左写真、「伊沢造船」に近づいて、大声で着艇許可を求めると、事務所2階の窓が開いて、OKしてくれた。
中写真、船を上げ下ろしするためのレールが何本も敷かれているスロープの端っこに艇を留めた。向こうには大きな古い船が留まっていた。
古い船の船首の影になっていて見えなかったのだが、数人がヘルメット姿で溶接等の作業中であった。
昨秋、下見に来た時には、船もなく人影もない静かなトコロだったので、安易に考えていた。恐縮しながら、稼働中の下町の造船所を横切って艇を運び出した。
伴走のY氏に手伝ってもらい、艇をバラして畳む。
幸いなことに、タクシー会社が隣にあったので、車で東武伊勢崎線・牛田駅まで走ってもらい、宅配便で送り出した。
ホテルに戻って、シャワーを浴びた後、Y氏に連れられ、今回もイタリアンレストランに向かう。
昨秋会ったばかりなのに、話が尽きない。高校生の多感な時から50年以上の付き合いであり、何でも話せ、何でも聞いてもらいたい友は得難い存在である。
今回も時間がなくて訪ねることができなかった深川界隈の芭蕉関連施設を記録しておき、次の機会に回す。
蕉記念館 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/akirachan/basyou.htm
臨川寺(本堂前に「臨川寺」芭蕉由緒の碑文、芭蕉は止宿していた仏頂き和尚に参禅した。)
http://www.bashouan.com/pfPhoto9.htm
採茶庵跡(杉風の別荘) http://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/hosomiti/saitoan/
清澄庭園 http://sa-okb.blog.so-net.ne.jp/2010-08-14
深川江戸資料館
2日目 春日部から小山まで
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