チョットずつ奥の細道 j−2  奥へ   


         白河の関 → 須賀川
                                                         2013年9月29日(日)

【本日の走行ルート】 
  下mapは本日の計画走行ルートを示しているが、実績走行ルートもほぼこの通り。
  ホテルルートイン新白河駅東 をスタート。昨日走った陸羽街道をバックして、境の明神峠まで戻る。
  関跡を訪問し、夕刻、ホテルサンルート須賀川
に到着。








  朝7時過ぎに宿を出発し、南下。
  まずは、昨夕、通り過ぎた「金売吉次三兄弟の墓」を訪ねる。

   左写真、「金売吉次の墓入口」の案内標識に従って奥へ入る。

      中写真、金売吉次三兄弟の墓。

         右写真
、中央が吉次、左が吉内、右が吉六の墓らしい。
                 石塔は、白河石(安山岩質凝灰岩)で作られた宝篋印塔で、室町時代頃の建立と推定されている。




   左写真、道端のアザミ

      中写真、馬頭観世音(右)とリニューアルされた牛頭観世音に花が十分に供えられていた。

         右写真、
奥州側の境の明神(住吉神社)を訪ねて、昨日、見落としていた芭蕉句碑を見付ける。
            
            「風流の初やおくの田植うた」     これは、本日、私が宿をとってある須賀川で詠まれたものでる。
            芭蕉が『おくのほそ道』本文で奥(奥州)に入って最初にあげている句であり、「奥」への挨拶句と言えよう。
            なお、この句の直前すなわち、関東・野州(栃木県)の最後の句が「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」と呼応させているのかも。

      境の明神から東に進む。芭蕉もこの道を通って、白河の古関を訪ねたようだ。




   左写真、蕎麦の花が満開である。

      中写真、稲も豊作のようだ。 長閑な道を快適に走る。

         右写真、
観音様や二十三夜の石碑などが並んでいた。




   左写真、凝灰岩で造られた蔵。白河石なのだろう。

      中写真、白河の関跡に到着。芭蕉はこの関を越えて「奥」の道へ入った。

       芭蕉は、能因や西行が越えた、憧れの「白河の関」に辿り着いたのである。
       実は、中世の白河関址と伝えられるトコロは何カ所かあって、曾良が記しているように、
       芭蕉と曾良は霧雨の煙る中を、新関、古関と心細く、訪ね回ったらしい。

         右写真、
画面中央が「古関蹟の碑」。白河藩主・松平定信が1800年にココが白河関跡であると断定し、この碑を建立した。
           100年以上前の芭蕉旅の時(1689年)にはまだ断定されていなかったのだ。

        

   左写真、関跡の案内map。

      右写真、正面が白河神社。




   左写真、古歌碑。白河関を題材にした平安時代の和歌3首が刻まれている。

     便りあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと    平兼盛
     都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関           能因法師
     秋風に草木の露をはらわせて君が越ゆれば関守もなし      梶原影季

      中写真、空堀跡。
         右写真、土塁跡。


       中世には上のmapの丘陵全体が城館であり、土塁や空堀で囲まれた部分に居館があったらしい。
       (白河関跡は1959年からの調査により、9世紀の遺構及び館跡が確認されているとのこと。)



   左写真、白河関の森公園に建っている芭蕉 曾良像。

      中写真、台座に、下の2句が刻まれている。

                  風流の初やおくの田植うた      芭蕉
                  卯の花をかざしに関の晴着かな   曽良

             「おくのほそ道」では、曾良の「卯の花をかざしに関の晴着かな」を《白河の関》の段で記している。
             上述の如く、芭蕉句は次の段《須賀川》に記されている。




   左写真、コスモス。上は秋天。

      中写真、和泉式部庵跡化粧井の案内に従って、上っていくが、道は分かりにくかった。

         右写真、和泉式部庵跡と化粧の井。  画面右、愛車の後に化粧の井。





   左写真、庵跡に、なんだか分からぬ古い小さな碑。和泉式部の・・・。

    関山には登らず、グルッと北進。
      中写真、多分、関山(満願寺)が写っているはず。

      白河駅の近くで、旨いラーメン定食を食う。

         右写真、阿武隈川を渡る。。





   左写真、旧街道筋の静かな住宅地に入って直ぐ、「戊申・戦死供養塔」が目に入る。後に古い祠がある。
        明治33年の建立のようだ。明治も末にならないと、会津の戦死者供養が大っぴらにはできなかったのかも。
        会津に入っていることを実感する。(直ぐ近くの住人に聞いても、この石碑のことを知らなかったが。)

      中写真、祠の中に、細い自然木で作った小さな鳥居のような形のモノが吊してあった。何か意味があるのかも知れない。

         右写真、
多くの石仏が所狭しと並べられていた。




   左写真、首切り地蔵。

      中写真、画面中央右手の道端に彼岸花が写っている。気持ちよく走る。

         右写真、このお寺の墓地には、「地震のため墓石が倒れたり、ずれています。・・・」と注意書きが掛けられていた。





   左写真、踏瀬の松並木。江戸と陸奥を結ぶ奥州街道の踏瀬宿あたりに白河藩主・松平定信が2300本の松苗を植えたのが始まりとか。

      中写真、戊辰戦争の関門(南関門)跡あたり。(矢吹町配水池の近く)

         右写真、山王寺。

           境内に威容を誇るクロマツは地面を這うような姿から「臥龍の松」と呼ばれるらしい。
           福島県中通り地方ではアカマツが一般的な中、クロマツの植栽はきわめて珍しいとのこと。
           しかし、残念ながら、枯れていた。
           また、前に「大和内の天道念仏踊り」と書かれた案内板もあった。県内に3件しかない貴重なものだそうだ。




   左写真、矢吹の中心街。歴史のある町並みが続く。

      中写真、
商工会が20年ほど前から”大正ロマンのやかたライトアップ作戦”を始めていて、この館は地元の産婦人科医師・屋形氏が
      大正9年に竣工したとのこと。

         右写真、
大木代吉本店。創業は1865年(慶応元年)の蔵元。




   左写真、熊野神社。

      中写真、変わった狛犬。お尻を上げている。

         右写真、
鏡石駅。




   左写真、西光寺。

      中写真、須賀川の一里塚。

  須賀川市街に到着。
  本日の宿のホテルサンルート須賀川に荷物を預けて、以下をポタリングした。

         右写真、
長松院。
             本堂の前に、相良等躬サガラトウキュウの句碑が建っている。  「あの辺はつく羽山哉炭けふり」
             須賀川の俳祖「相楽等躬」は須賀川宿の長老で、芭蕉は旧知の等躬宅を訪れ7泊している。その家はたびたび移転したらしい。




   左写真、長松院境内にある盛り土と窪地は、須賀川城の跡の土塁と空堀。

      中写真、 本堂の裏に相楽家の墓がある。
         相良等躬は、白河藩郷士で須賀川の駅長をつとめ、若くして江戸に出て俳諧を学び、芭蕉とも交流があった。

         右写真、
鐘楼の前に高浜虚子の句碑。   「三世の佛皆座にあれば寒からず」




   左写真、巨大なピラミッドの上に観音様。「須賀川萬年観音寳塔」というらしい。向こうは長松院本堂。

      中写真、芭蕉記念館。須賀川市役所の向側、芭蕉の須賀川t来訪300年を記念して、平成元年に設置。入場無料。

         右写真、
芭蕉が参詣した「八幡社・岩瀬寺跡」を示す立派な石碑が狭い庭に建っていた。




   左写真、芭蕉記念館に展示されていた小川破笠ハリュウ筆 芭蕉翁画像の複製?

      中写真、可伸庵跡の小さな公園。
    芭蕉が「おくのほそ道」《須賀川》で、「この宿シュクの傍らに、大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧あり」と記している”可伸”の庵の跡は、
    写真のように整備されて、栗の木も植えられている。ココも相良等躬邸の敷地であった。

         右写真、可伸庵跡にある芭蕉句碑。 ”可伸”が大きな栗(西の木)の木陰に庵を結んでいたので、

              
 「世の人の見付けぬ花や軒の栗」




   左写真、この石碑には、「おくのほそ道」《須賀川》の一節 ”可伸” についての記述が刻まれている。すなわち、

    『 此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山ミヤマもかくやと霈ズカに覚られて、ものに書付侍る。其詞、
      栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、
      行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや 。 』

    西行の『山深み岩にしだるる水溜めんかつがつ落つる橡捨ふほど』を踏まえている。
    西行を述べたくて、”可伸” の話しが長くなっているのだろうか。

      中写真、画面前方に栗の木。

         右写真、
直ぐ近くの公園広場に芭蕉と曾良の像が建っていた。




   左写真、十念寺境内にある特別大きな芭蕉句碑。

       「風流の初やおくの田植え歌」

         須賀川出身の江戸末期の女流俳人、市原多代女の建立。


      中写真、十念寺の山門。

         右写真、十念寺の本堂。



 ホテルサンルート須賀川 http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/80784/rtmap.html に帰着して、BD-1を畳むときにハップニングが起きた。
 一昨日は組み立て時であったが、今度はその逆で、クイックレバーの不具合でハンドルが畳めない。
 ともかく部屋に入って、Loroさんに電話する。結果、工具を手に入れることにした。畳めないと帰れないのだ。
 明日、走りながら工具を探すことにした。





                                3日目 


                             奥の細道のTopへ   


                      ”黒いバイク の ペダリング”Topへ