能登         能登島一周 下見サイクリング

   クラブ・ザ・ファルト2005年6月例会は能登島一周である。その下見に走ってきた。 マピオンの地図はコチラ
   下見の月日 : 2005年5月4日(水)〜5日(木)

【1日目】

ゴールデンウィークで混んでいる日だが、天気予報を見て、出掛けることにした。
うまい具合に残っていた指定席を京都駅で購入し、9:08発のサンダーバード7号に乗り込む。
七尾駅に12:03に着いた。
たまたま、七尾の春祭・青柏セイハク祭の日で七尾駅も賑わっていた。
BD−1を組み立て、まずは、大地主オオトコヌシ神社に向かう。


左写真、鍛冶町(左)と魚町(右)の「でか山」。
どちらも、まだ幕が垂れ下がっている。


右写真、府中町のでか山。


三つの山町ヤマチョウから出される大きな山車「でか山」は、高さ12メートル、重さ20トン。
青柏祭の曳山行事は、国指定の重要無形民俗文化財になっている。




左写真、いつの間にか「でか山」の幕が落とされていて、歌舞伎の名場面が見える。



右写真、魚町の出し物は「橋弁慶」。
よく見ると、最下段の見物席に子供が立っている。
義経の人形の左には心配そうな母親らしき姿も見える。
この山車には数十人が乗り込めそうだ。でっかいナァ。




左写真、大地主オオトコヌシ神社の拝殿。

七尾の街を北へ抜けて、七尾港に行く。
(雪国の生活道路は舗装が不十分だった。)


右写真、七尾港の赤灯台。
正面には能登島が低く広がっている。東側は特に低い。




左写真、前方に見える能登食祭市場の方へ走る。


右写真、石川県立七尾高等学校艇庫の前のスロープ。
七尾で見つけた唯一の出艇適地。







左写真、和倉温泉加賀屋の北側の漁港。
このスロープをスタートおよびゴールと決めた。


右写真、加賀屋の方から漁港を写す。
向こうは、能登島。




余談ながら、和倉温泉の各旅館は、和倉温泉合資会社という和倉温泉唯一の温泉配湯会社から配湯を受けているとのこと。



左写真、和倉温泉合資会社直営の和倉温泉・総湯
ココで、カヌーツアーの塩抜きをする予定。


右写真、弁天崎公園には佐佐木信綱の歌碑があった。

「うた人の国守巡り見し日にも山きよらに海しつかなりけむ」と書かれているらしい。佐々木信綱が和倉を訪れたときに、万葉の歌人・大伴家持を偲んで詠んだ一首。

また、ココには、高浜虚子の句碑「家持の妻恋舟か春の海」もある。コレも家持を偲び、和倉の波静かな海を賞でて吟じたという。
大伴家持は天平の昔、越中の国司だったのだ。


左写真、能登島大橋を越えて、能登島へ向かう。



右写真、小林俊彦という七尾生まれの俳人の句碑が大橋手前右手の公園にあった。
「能登島の橋をゆさぶり鰤起し」






左写真、大橋の一番高いトコロから見ると迫力があるナ。


右写真、大橋の付け根右手の屏風崎。








左写真、島へ渡って最初に見えた海。
海の向こうは七尾の山並だ。


右写真、須曽の集落。







左写真、先崎神社と書いてあった。
温室のように全体が覆われている。雪対策だろうナ。



右写真、渡来系氏族の長が眠っていると言われる須曽蝦夷穴スソエゾアナ古墳への案内標識を過ぎると、
谷間に細く田圃が見え、その先に海そして七尾の山並が見えた。





左写真、初めて海岸線に出た。(佐波の手前)
大きなのは寺島。左のはカラス島だろう。
右端に曳航式のケーソン製造工場らしきモノが写っている。


右写真、画面中央の浜辺が「ひょっこり温泉」のあるマリンパーク。



       ひょっこり温泉に漬かった後、マリンパークの東で野宿。

【2日目】



左写真、朝のマリンパークの浜。



右写真、能登島の背骨を東西に走るロードに出て、再び南下し二穴方面に下る。田圃が見え始めた。







左写真、おばあさんがポーズをとってくれた。


右写真、免屋メンニャ入江の海岸線を西に戻ってもう一枚。
海をバックに田植えだ。







左写真、免屋メンニャ入江の湾口。静かな入江だった。



右写真、二穴港の防波堤の西付け根から東方向、小泉崎と小口瀬戸を越えて対岸の七尾市を望む。







左写真、二穴港の外。右の崖は二穴城の南端。


右写真、二穴の港内。








左写真、二穴の集落、後の丘の上に二穴城があった。


右写真、二穴の雄穴と雌穴
二穴集落の南西の海岸に2つの洞穴がある。
西側の大きな穴が雄オ穴、東側の小さな穴が雌メ穴。







左写真、日出ヶ島の集落と港が見える。


右写真、小口瀬戸。
右に観音島が写っているはず。







左写真、赤いシャツのおじいさんがジャガイモを作っていた。



右写真、日出ヶ島の漁港前の民宿・日の出荘。
能登島一周カヌー旅の宿はココに決めた。






左写真、日出ヶ島漁港。


右写真、漁港にはスロープも付いている。
ただし、白い鋭利な貝殻があるのでファルトは注意。
小口瀬戸の右手は小泉崎。白い灯台も写っている。






左写真、漁港の東500mの見晴台から小口瀬戸の入口を望む。



右写真、田圃の向こうに海が見える。
アソコは野崎集落だ。






左写真、野崎の大宮神社。


右写真、大正8年の建立、宮大工:林千太、彫師:林勇次郎(19才)。
なかなか立派なお社で、彫り物も見事だった。







ココの狛犬は、富士山の熔岩を運んできて山に見立て、「獅子の子落し」の景をを作ったそうだ。

左写真、コチラの児獅子は落とされて、右下にひっくり返っている。


右写真、コチラは、再び、よじ登っていく。



しかし、こんなに激しい、リアリティのある狛犬は初めて見た。
余談ながら、 溶岩の上の狛犬は、規模小さいが、埼玉県川口市の赤井神社、千葉県柏市の諏訪神社、千葉県白石市の大日神社にもあるらしい。





左写真、野崎漁港の南東端から小口瀬戸と対岸・観音崎(七尾市)を見る。



右写真、野崎港(左)と外海(富山湾)を隔てる防波堤。







左写真、野崎の中心を流れる川、橋も晩春の風情だ。


右写真、松島オートキャンプ場から南方向を写す。
遠くに観音崎も見えている。







左写真、小さな島が松島。


右写真、松島に大木の丸太ん棒も流れ着いていた。








左写真、ココでバーナーに火を付けて昼食休憩。



右写真、海の向こうに勝尾崎が見えている。
能登島では、富山湾側でも、ホント海岸線まで田圃が作られている。






左写真、F目エノメ漁港の南東にある丘の上に建っている嶽神社。この神社も総ガラス張りだ。



右写真、嶽神社の東側の海。







左写真、神社の北は漁港。赤い灯台が海に向いている。


右写真、神社の下に立派な鯉のぼりが泳いでいた。








左写真、救急車の音に付いて行ったら、立派なお寺へ。
浄土真宗本願寺派の浄尊寺。
大きな門が2つもあり、向こうのは二重門だ。その向こうに救急車が写っている。

右写真、立派な庫裏の入口に大型バイクが鎮座。
お寺はコノ地でも金持ちのようだった。






左写真、八ヶ崎ハチガサキの港。


右写真、いよいよ、島の西北、祖母ヶ浦バガウラに入る。








左写真、海の向こうに能登半島が広がっている。


右写真、祖母ヶ浦バガウラ漁港の白灯台。








左写真、浄土真宗本願寺派専正寺


右写真、この古い灯籠には「天保」と彫られていた。








左写真、専正寺の裏手の山にあった祖母尼バガニ行者碑(御祖母オンバ様の墓)。
ココから能登半島が展望できる。


右写真、海辺の田圃がきれいだ。






左写真、そわじ浦海水浴場。
左端はマン崎、黒島、(幅広く濃く見える)重蛇島、水越島、大島、うんと離れて、右端にそわじ鼻、だろう。

ココを15時に出て、本気で走り出す。


向田の町を抜けて、
右写真、曲で不用な荷物を宅配便で送り、身軽になって左端の登り坂を進む。

静かな深い箱名入江を見て、南、無関、閨の集落を通って、ツインブリッジのとと呼ばれる620mの堂々たる斜張橋の農道を渡った。




左写真、猿島が三ヶ口瀬戸の真ん中に浮かんでいる。



右写真、南方向、長者ヶ鼻の向こうに、カヌーの着艇地、和倉温泉・加賀屋(前の漁港)が見える。







左写真、「ツインブリッジのと」は迫力がある。


右写真、三ヶ口瀬戸と通り鼻、通の集落も見える。
(16:20 撮影)






この後、能登鉄道の能登中島駅に辿り着くも、16:31発の電車が出た後だった。
駅前にいたタクシーで和倉温泉駅まで飛ばし、16:54発のサンダーバード4号で帰阪。

   5月4日の潮は若潮で、 満潮;12:45、干潮;5:55,18:0 だった。
   この日の干満の潮位差は、10数cmであり、カヌー漕航当日(6月4、5日)は20cmを越える。
   海が荒れなければ、不安要素はなさそうだった。


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