宇治川ツアー
          ーーー 宇治川・宇治橋〜淀川・枚方大橋 ーーー

                 クラブ・ザ・ファルト 2010年9月例会
                 月日 : 2010年9月25日(土)
                 場所 : 宇治橋左岸スタート、枚方大橋上がり

まず、吉田代表からのツアーレポートを転載する。
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9月25日(土)10:35宇治橋左岸スタート。増水気味の宇治川を下る。
スタートメンバーは奥野・岸本(1年3カ月ぶりの復活)・西野・吉田。
12:15御幸橋下にて、自転車参加の真賀里と合流、焼き肉を開始。
コンロは吉田持参のsierra のたき火ストーブ。火は少し弱めか。
強風の中、砂塵の混じる焼き肉パーティではあった。
13:30ここで上がる、岸本および自転車の真賀里と別れ、スタート。
西野のリクエストで、西野・吉田は桂川を遡航し、水瀬川河口まで漕ぐ。奥野は合流地点付近にて待機。
水瀬川河口で上陸、土手の上に立つ昭和14年建立の「水瀬神宮」への道標を見学する。
谷崎の『芦刈』の舞台、左に比叡山、右に生駒山を望む広大な風景であった。
後鳥羽院の好みも、この雄大ゆえかと思う。
16:00枚方大橋着艇、解散。
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以下に紙芝居でツアー概要を綴る。

左写真、宇治橋左岸で艇を組み立てる。
水量が多い。
前方はJR鉄橋。


右写真、宇治橋の上から写す。
今日は全員が赤い艇だ。







左写真、出艇後すぐ。 10:37
前方に京滋バイパスの橋。
遠くには、愛宕山
この辺りでは宇治川は北西に流れている。


右写真、前方に隠元橋。
宇治川沿いには生コン工場がよくある。






左写真、
宇治川のランドスケープの素晴らしさ!!



右写真、左岸に着艇して、小休止。








左写真、堤防の上には大きな屋敷が写っている。前から気になっている建物だ。(一度、自転車で走ってみたいと思っている。)
曼珠沙華が映える景色だ。



右写真、曼珠沙華は輝いていた。








左写真、小さな昼顔の花も一杯に咲いていた。
コヒルガオというのだろうか?



右写真、前方に、新観月橋、観月橋
左岸手前には、インペリアルパレスリバーサイドという名前のマンション。






左写真、観月橋手前の料理旅館・月見館は古くて大きな建物だ。三十石船が繋がれている。
(観月橋の先に平戸の樋門があるはず)
岸本艇が久し振りのカヤックを味わっている。


右写真、近鉄の澱川橋梁
1径間で宇治川を渡る見事なトラス橋だ。







左写真、画面右端の水の流れは三栖ミス洗堰。その先の塔は三栖ミス閘門
前方に第2京阪道路の巨椋大橋が見える。この橋は左岸の広い河川敷のため、長い橋だ。
(左岸側は巨椋池だったトコロだ。)

巨椋大橋をくぐって、艇は流れる。

右写真、左岸は護岸工事はされていない。
土の崖に曼珠沙華が辛うじて咲いていた。






左写真、ロワール川の雰囲気だと奥野氏が言っていた。



右写真、遠景に山が見えないランドスケープもよいナァ。









左写真、淀大橋と左岸下流側にライオンズマンション京都淀。



右写真、淀大橋の先に、大阪ガスのガス管橋、京阪鉄橋、京滋バイパスの橋、御幸橋が続いている。
正面右手に天王山。左手は男山








左写真、ガス管橋をくぐる。。



右写真、京阪電車が鉄橋を渡って行った。









左写真、御幸橋で左岸に着ける。
12:10


右写真、橋の下の蔭でバーベキューだ。









左写真、吉田先生がSIERRA STOVEを持ってきて、焼肉パーティーだ。道具、食材の段取りから焼き奉行までおんぶにだっこで大ご馳走になった。

右写真、大宴会の後の出艇。14:10
(上流側を写す)



岸本さんはココで艇を畳んで上がり、自転車参加の真賀里さんとも別れた。






左写真、宇治川の下流部を漕ぎ出す。
左には木津川、右には桂川が平行して流れているはず。



右写真、左手は桜で有名な背割堤。








【山崎の渡し跡にチョット寄り道】

左写真、桂川との合流後、山崎の渡し跡の水無瀬川河口に向かって、遡った。 14:30



右写真、左手が桂川右岸の水無瀬川河口。
前方右手には遠く、比叡が写っている。






左写真、河口。
山崎の渡しはこの辺りにあったはず。



右写真、(宇治川との間の)導流堤には木も茂り、向こう岸の橋本は見えない。


「山崎の渡し」跡については、拙自転車HPのページ末尾の【昔の山崎の渡し場は川底に】をご覧下さい。





左写真、着艇後、水無瀬川の右岸の道を歩く。
前方に新水無瀬橋が写っている。



右写真、新水無瀬橋の京都側袂に建っている「水無瀬神宮の石標」。
以前は、この堤防下(階段の右手)に川の方を向いて建っていたようだ。

水無瀬川には水が無いが、豊富な伏流水が流れているのだろう。





左写真、山崎の渡し跡を出艇。
14:55



右写真、夏水仙が対岸のコンクリートブロックの上の僅かな土に咲いていた。








左写真、三川合流点から上流側を写す。
右手が橋本だ。



右写真、橋本に続いて、男山と男山団地。







橋本

右写真、橋本の風景;淀橋本観桜図屏風(8曲1隻の部分)江戸中期。
淀川から見た図で、茶店や旅籠が描かれている。花見の場としても有名だったらしい。
背景に男山が見える。

「橋本遊郭」は男山・石清水八幡宮とともに栄えた。源義朝の妾の一人は橋本から出たと言われるので、1000年も昔から遊里があったのだろう。
井原西鶴の『好色一代男』に描かれ、淀川三十石舟舟歌にも歌われており、江戸時代中期以降は全国的に有名な遊里だったようだ。
1872年に京都府から正式に遊郭と認定され、最盛期には、京街道沿いに石原楼、京華楼、いろはなど75の妓楼が並び娼妓は400名以上だったとのこと。
最盛期の「橋本遊郭」は宮尾登美子原作の1982年の映画『鬼龍院花子の生涯』にも登場している。
1958年の公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっているが民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っている。
 from さすらいおじさんさんの旅行ブログ

橋本〜枚方の淀川左岸の陸路は拙自転車HPもご参照下さい。



左写真、前方を向くと、楠葉の高層マンション。



右写真、新しい水門が見える。
大谷川の排水用に楠葉ゴルフ場の北端に作られたモノだろうか?








左写真、枚方大橋が見えてきた。



右写真、大橋の橋脚を回り込んで、左岸に着艇。 16:00









左写真、いつものようにココで艇を畳む。



右写真、影が長くなっていた。 16:45