若狭湾     美浜〜常神〜蘇洞門〜小浜 下見サイクリング

                  ( 若狭を走る )


クラブ・ザ・ファルトの2004年5月例会で若狭を漕ぐことにしている。
3月31日〜4月1日に自転車で走って、その下見をしてきた。
折り畳み自転車は、ファルトボートより機動力があるので、カヌーツアーの下見には結構使えると思った。
(もちろん、道のある陸しか行けないが。)

【1日目】 
京都9:39発の雷鳥9号で湖西を通り、敦賀で小浜線に乗り換えて、美浜駅で下車。
自転車を組み立てて、できるだけ、海を見ながら走り、三方五湖の水月湖から西に進み、塩坂越(シャクシ)トンネルを抜けて、若狭湾側の塩坂越へ出る。
塩坂越からバスに乗って常神に至る。
【2日目】
岬小学校まで通学バスに乗って行き、自転車を組み立てる。
塩坂越シャクシを経て、一旦、水月湖に出る。湖の西岸を南下し、三方湖から世久見(セクミ)トンネルを抜けて、若狭湾側の世久見へ出る。
海を見て走り、黒崎半島の根元を食見(シキミ)トンネルで南へ抜ける。
海を見ながら南西方向に進み、田烏タガラスを経て矢代ヤシロに至る。
ココから内外海ウチトミ半島の南の付け根(小浜湾の東北隅)にある内外海小学校まではバスに乗って西進し、海を見ながらJR小浜駅まで南下。

2日間の行程は、このようであり、地図は、このMAP(Yahoo!地図情報)からスタートし、順次、南西方向にずらしていくのが便利です。


【1日目】 走行距離:約20km



左右の写真は、JR美浜駅の西300mの踏切を渡る道を真っ直ぐ北上した松原海水浴場の浜。(出艇予定地)
左写真、白い波しぶきの向こうに見えるのは早瀬の漁港だろう。



松原から海岸線沿いに西へ走って、久々子クグシ湖に入る。
チョット北上すると、福鉄バス「早瀬口」があった。




左写真は早瀬漁港。写真右手に久々子湖と海を結ぶ水路がある。



久々子湖の北岸を走り、西進すると、右手に笹田漁港(右写真)、そして、左手に日向ヒルガ湖が見えてくる。
(右写真左手に、日向湖からの水路あり)




日向湖を反時計回りに走った。湖の北岸に沿って昔からの集落があり、小さな漁船が数多く舫われていた。(左写真)



苧オの集落を南に抜けて、久々子湖(右写真)の南西へ出る。

お【麻・苧】 植物「あさ(麻)」、または「からむし(苧)」の異名。
from Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shogakukan 1988



久々子湖と水月湖は人工水路・浦見川で繋がっている。

左写真は、久々子湖から浦見川に入ってきた遊覧(ジェット)船。
水月湖に向かって進んでいった。(右写真)







左写真は、全長324mの狭い浦見川。
山頂から川底までは40mあり、300年前の岩盤開削は大変だったろう。



右写真は、水月湖への出口。
ココはなかなか美しい風景だった。






そして、
左写真、山桜がきれいに咲いていた。


右写真は、水月湖岸の梅林。特に水月湖の隙間には全て梅の木が植えられていた。

花が散っていよいよ梅干し用の実がなり始める今は、毛虫も付き始めるし、消毒の時期なのだろう。
消毒作業を何回か見掛けた。




左写真、水月湖の山桜もきれいだった。


右写真、梅の作業小屋?の前に水仙が一輪咲いていた。
後の斜面は梅林。






左写真、梅林の奥に見事な桜の大木があった。

ちょうど、消毒作業中だったので、中に入れてもらって、右の写真を撮った。








水月湖を堪能して、
海山で左写真の桜を写してから、

塩坂越(シャクシ)トンネルを西進し、

常神半島の西の付け根になる塩坂越へ出た。  (右写真)




トンネルを出ると、正面に左写真の景が広がった。
真ん中は烏辺島ウベシマ。その向こうは黒崎半島。
右手の遠景は蘇洞門ソトモの内外海ウチトミ半島。



左下を見下ろすと、塩坂越の海。(右写真)




塩坂越も満開の桜が迎えてくれた。



常神行きのバスまで1時間の余裕があったので、近畿自然歩道の細い道を世久見セクミ方向に歩いてみた。

ココでも道端の水仙がかわいかった。





左写真、樹間から見下ろす塩坂越の海は春光に輝いていた。



右写真、展望台と書かれた方向に降りていくと、海が広がってくる。






左写真、烏辺島、黒崎半島、内外海半島が近・中・遠に写っている。



右写真、常神半島はホントに入り組んでいるナァ。







近畿自然歩道は昔、梅が植わっていた段々畑(左写真)を通ったり、黒崎半島の海(右写真)を垣間見たりしながら、長閑に続いていた。








塩坂越に戻って、海を見ながらバスを待った。(左右の写真)

右写真の防波堤沖の水平線が少し盛り上がっているのは千島かな。
きむさんによると、常神から見て千島に白波が立っていたら、湾外は結構荒れているので、蘇洞門などは要注意とのことだ。


三方町営バスに40分近く揺られて、常神に着いたが、500円で値打ちがあった。




左写真は、常神港から東南東方向の入り江を見たモノ。


右写真は、国指定の天然記念物である「常神の蘇鉄」。







今日の宿は、蘇鉄のすぐ近くの「美前屋」さん。
2年前に、TO−BEさんに連れてこられたトコロだ。
あの時は、TO−BEさんが信じられないことに刺身を食べないので、ほぼ2人前を食べる羽目になってシンドかった。
だけど、食いきれない刺身を食う苦しみは今回も同様だった。
右写真は、私が食った平目一匹。その他に刺身は若女将が紋甲烏賊と言っていたカミナリイカ、こいつは元気に動いてた。
美前屋は、一人客でも魚を半分とかケチなことはしない。
御神島オンガミジマの方の海の生け簀から持ってきて、生きのいいのをたらふく食わせるのが伝統らしい。
おばあちゃんの話によると、1泊2食800円の時代から民宿をやっていて、その当時は、常神までの道路がなく、客は船で来ていたとのこと。
うまい刺身をたらふく食いたい人には自信を持ってお薦めします。
(かわいい若女将がネット対応してくれる。)



【2日目】 走行距離:約70km


左写真、常神の港の正面にある東陽寺。ココのご住職は、常神案内のきれいなHP「若狭常神」の管理人であり、またカヤッカーでもある。
今回、挨拶に行きそびれました。スミマセン。

右写真、港から南東方向を見る。遠景は内外海半島。

三方町岬小学校(三方中学校の岬分校もある)まで、7:55発の通学バスに乗せてもらう。(所要約15分) 
春休みで、部活の女子中学生ばかり6,7人と一緒だった。
学校の正門前で自転車を組み立てていると、部活の先生らしき人に話しかけられた。
大阪から来たと言うと、「神子ミコの山桜は大阪でも有名なのですか?」。知らなかったので、「そうですね」と曖昧に応えた。
(神子ミコ集落は小学校の少し岬寄り)

【神子の山桜】
神子や常神では漁師の副業として油桐の木が植えられていた。
「桐実一俵米一俵」と言われ、土地のない当地では、油桐の種子は貴重な収入源だった。
山を開き油桐を植える時に、畑の境界の目印として、山桜を残しておいたらしい。
油桐の需要がなくなると、山の畑には自然に山桜が広がったのだ。福井県の名勝地に指定されている。

【油桐アブラギリ】トウダイグサ科の落葉高木。
高さ約10m。初夏、淡紅白色で五弁の花が円錘状に集まって咲く。
材はやや紫色を帯びた灰褐色で柔らかく、下駄、箱材などに用いる。種子から桐油(とうゆ)を紋り、灯料、油紙、雨傘、印刷インクなどに用いる。
いぬぎり。   from Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shogakukan 1988


破風崎に近づき西に出てくると、常神の西の御神島オンガミジマがチャンと見えてきた。(左写真)


少し進むと、小川の防波堤が見えた。烏辺島の方向に向いている。







左右の写真は、小川。










左写真は、遊子ユウシ。


右写真は、遊子の南側の小さな砂浜。







左写真、塩坂越を遠望する。


右写真は、同一地点から内外海半島、黒崎半島、烏辺島方向を見る。






昨日と反対に、塩坂越トンネルを東に抜ける。


左写真は、水月湖。
右は、三方湖。
どこも桜がきれいに咲いていた。





左写真、三方湖畔で見つけた茅葺き屋根の艇庫。シーカヤックにピッタリのサイズだった。舟を大事にしてきたのだナァ。


右写真、世久津セクズで三方湖から別れ、西に向かう。







世久見トンネルを抜け世久見へ出ると、正面に烏辺島が浮かんでいた。(左写真)


世久見の海もきれいだ。(右写真)







左写真、世久見から見ると、烏辺島の右に御神島、その右に常神岬が位置していた。肉眼では、常神岬の灯台が見えていた。


右写真、食見シキミ。右に黒崎半島が延びている。







左写真、食見の海水浴場。


右写真、黒崎半島をぐるっと回っている近畿自然歩道に入って行くと、古い民家が1軒あって、桜が満開だった。犬が吠えていた。








左写真のトコロで自然歩道を引き返し、食見トンネルで黒崎半島の根元を南下した。


右写真は、食見トンネルを出たあたり。






黒崎半島にある国立・若狭湾少年の家まで道路がついている。この道を海を見ながら走った。

左写真、山桜の向こうに静かな海。


右写真、きれいな小さな砂浜もあった。





左写真、蘇洞門の内外海半島がよく見える。
半島の先端は、七蛇鼻シチジャハナかな、それとも老人礁ロウジングリが見えているのだろうか。(半島の最高峰、久須夜ヶ岳は、619m。)


右写真、田烏タガラスの海。






左写真は、黒崎半島。若狭湾少年の家まで道が続いている。



矢代ヤシロに着くと、立派な観音堂があった。(右写真)

矢代観音(聖観音菩薩座像、檜一木造り)をお祀りしてある。
奈良天平の昔、唐から矢代の浜辺に漂着した王女たちの悲話を悔やむ浦人がこの矢代観音をお祀りし、
毎年、手杵祭を続けてきたと書かれてあった。


矢代も落ち着いたきれいな里だった。

左写真、矢代の静かな集落。

右写真、小さな港。


矢代からバスに乗り、志積シツミ、犬熊イノクマ、阿納アノ を経て、阿納坂トンネルを抜ける。
小浜湾の東北隅の湾岸道路に出たトコロにある内外海小学校で下車。

湾岸沿いに少し走って、小浜湾を展望しながら握り飯を食った。

左写真、小浜湾の東から西方向を見る。


右写真、内外海半島の南側中央の出っ張り部の双子崎。双子島も見えているのかな?



北川、南川を渡って、若狭フィッシャーマンズ・ワーフ(左写真)に寄る。

フィッシャーマンズ・ワーフの東南に右写真の浜があった。
ザ・ファルト5月例会のゴールは小浜の予定であり、この浜も着艇地の候補に挙げておこう。
JR小浜駅には近いが、少し汚いのと第八管区海上保安本部・保安署が写真左奥に写っているのは、チョット感じがよくないか。


この浜の南方には小浜公園があり、その一番北のビーチは、駅までは少しだけ遠いが、感じはよい。


上記のどちらで上がっても、防潮堤沿いの道路から左写真の津田孫兵衛のビルのところで曲がって、駅まで700mだ。
宅配便は、この駅までの通りの左手にペリカン便、右手にクロネコヤマトがあった。
駅まで行けば右手前方に、日本通運の小浜支店、ペリカンセンター(0770-53-1055、 福井県小浜市駅前町10-22 )がある。




小浜15:32発(敦賀乗換、雷鳥34号)まで少し時間があったので、旧遊郭三丁町を訪ねることにし、駅横の観光案内所で地図をもらった。


右上写真は、道中にあった八幡神社。なかなか立派だった。


左写真も、途中の空印寺。境内には小浜藩主酒井家歴代の墓があった。


右写真は、人魚の肉を食べて800年も生きたと伝えられている八百比丘尼ヤオビクニの入定ニュウジョウの地と伝えられる洞窟で、同じく空印寺にある。




以下、三丁町サンチョウマチをゆっくりと散策した。
旧遊郭の非日常的な雰囲気もイイものだ。紅殻格子ベンガラゴウシの小路を歩いていると、三味と小唄の稽古の声が聞こえてきた。



折角なので、ココで我が愛馬の写真を撮ってやった。















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