チョットずつ中山道


















         

第1回 関ヶ原〜鵜沼 東行き 日帰り 2010年5月9日(日) 60km
第2回 関ヶ原〜草津 西行き ホテル1泊 2010年7月18日(日)〜19日(月) 94km
第3回 塩尻〜鵜沼 西行き
第4回 塩尻〜江戸 東行き ホテル4泊 2011年10月5日(水)〜9(日) 222km








【参考文献】 「新装版今昔中山道独案内」、今井金吾、日本交通公社、平成6年



中山道−1         関ヶ原〜鵜沼


ザ・ファルト自転車部会の中村健一氏から東海道を終えたので、次は中山道をやるとのことで、下記の如く、1回目の案内が来た。
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日時:2010年5月9日(日)
列車時刻:(新快速近江塩津行き)7:15大阪−7:44京都−7:51山科−8:39米原、8:46(豊橋行き特快)−9:06関ヶ原下車。
コース:関ヶ原(5.4k)垂井(5.2k)赤坂(8.7k)美江寺(4.7k)河渡(5.9k)加納(16.7k)鵜沼 合計46.6k。
帰りは、高山本線鵜沼駅から乗車し、岐阜駅で東海道本線に乗り換え、米原に出る。
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ゴールデンウィーク明けの2010年5月9日(日)は五月晴れのサイクリング日和であった。参加者は、中村、西野、松田、吉田の4名。


左写真、JR西からJR東海に乗り継いで、関ヶ原駅に着いた。いよいよ、中山道へ走り出す。9:20



右写真、旧中山道松並木(関ヶ原町指定天然記念物)。






左写真、松並木の側に六部ロクブ地蔵が祀られていた。
六部ロクブとは「六十六部」の略で全国六六か所の霊場に一部ずつ納めて回るために書写した、六六部の法華経。
また、それを納めて回る行脚僧。室町時代に始まり、江戸時代には、僧侶のほかに、鼠木綿の着物に同色の手甲・甲掛・股引・脚絆をつけ、
仏像を入れた厨子を背負って、鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた。  from Kokugo Dai Jiten
宝暦11年(1761年)この地で亡くなった六部を里人が祠を建て祀った。その前に、基本水準点もあった。

右写真、垂井の一里塚。






左写真、垂井宿(第58宿)、西の見付跡。
東の見付まで766mの大きな宿場であった。


右写真、安藤広重の垂井宿版画。
雨の降る松並木の中を、正面中央から大名行列が西より垂井宿の見付へ入って来るところ。本陣からの出迎え、茶屋の様子も描かれているとのこと。






左写真、本龍寺。


右写真、境内左手、時雨庵の脇の狭い庭に句碑が幾つも立てられている。一番奥の高いのが「作り木塚」。
『作り木の庭をいさめるしぐれ哉 芭蕉翁』

【作木】 盆栽や庭木などを思うような枝ぶりにするため、糸や針金などで曲げてたわめること。また、その木。
  from Kokugo Dai Jiten /Shogakukan




左写真、垂井宿の商家。(本龍寺の道向かえ)


中山道に立っている石の大鳥居をくぐって、南宮大社へ寄り道すべく長い参道を南下。
途中、垂井の泉を右手に見てさらに南下。

右写真、新幹線のガードを越えたところに立っている南宮大社の朱い巨大鳥居。





Img_36951

南宮大社は美濃国の一之宮。
朱色の鮮やかな大きな立派な神社である。
社地内に椿の森があるため「椿大社」と呼ばれることもある。
祭神は、鉱山・金山などの鉱物をつかさどる金山彦大神カナヤマヒコノオオカミ。


【垂井宿】
美濃一之宮(南宮大社)の門前町として賑わった宿。
また、中山道と(東海道を 結ぶ)美濃路との追分宿としても賑わっていた。
宿場名にもなった垂井の泉は 古代から和歌にも詠 まれた名泉で、今も滾々と清水が湧き出しているそうな。




左写真、楼門。



右写真、舞殿。







左写真、旅館・亀丸屋。
垂井宿の旅籠として200年ほど続き、今なお、当時の姿を残して営業しているらしい。

右写真、相川に泳ぐ鯉幟。(相川橋から)

【相川の人足渡跡】
相川は昔から暴れ川で度々洪水があった。川幅100mのこの川は大井川と同じく江戸時代は人足渡で、姫君や朝鮮通信使等の特別の大通行には木橋を掛けた。

相川を渡り、東の見付を過ぎると、まもなく、




左写真、追分道標。
松の右手に宝永6年に建てられた石の道標があり、「是より右東海道大垣みち、左木曾海道たにぐみみち」と彫られている。


右写真、青墓町の「よし竹 円願寺」史跡。
「牛若丸(後の義経)が、京都の鞍馬山での修業を終え、金売吉次を供に、奥州へ落ちのびる時、円願寺(円興寺の末寺)で休み、亡くなった父や兄の霊を供養し、
源氏が再び栄えるように祈りました。
その時、江州(滋賀県)から杖にしてきた葦の杖を地面に突き刺し、”さしおくも形見となれや後の世に源氏栄えはよし竹となれ”の歌を詠み東国へ出発しました。
その願いが仏様に通じたのか、その後、杖にしてきた葦が大地から芽をふき根をはりました。
そして見事な枝に竹の葉が茂りましたが、しかし根や幹は元のままの葦でした。この珍しい竹はその後もぐんぐんと成長し続けました。
それでこの珍しい竹を「よし竹」と呼び、この寺を”よしたけあん”と呼ぶようになりました。(大垣市立青墓小学校の案内板)



左写真、小篠竹コササダケの塚。
「青墓にむかし照手姫という遊女あり。この墓なりとぞ。照手姫は東海道藤沢にも出せり。その頃両人ありし候や詳ならず。」(木曽路名所図会より)


右写真、兜塚。
関ヶ原決戦の前日(1600年9月14日)、杭瀬川の戦に笠木村で戦死した東軍、中村隊の武将野一色ノイッシキ頼母タノモを葬り、その鎧兜を埋めたと伝わる。







大垣市昼飯ヒルイ町に入るも、昼飯には少し早い。

左写真、赤坂宿に入る。

右写真、広重が描いた『木曾海道六拾九次之内』の赤坂の絵。コレは杭瀬川に架かる土橋を描いたもので、赤坂宿は揖斐川の支流・杭瀬川の船着場。
かつては数百隻の川舟が行き交い繁盛していた。(from NHK)







左写真、子安神社。



右写真、跨ぎ石。
「拝殿に向かって腰を下ろし、1回目奥さん、2回目ご主人さん、3回目奥さん、4回目ご主人さん、5回目お二人で跨ぎ、拝殿にお参り下さい。」と注意書きがあった。






左写真、赤坂港跡公園。建物は赤坂港会館
かつて揖斐川の本流であった杭瀬川は舟運が盛んで、最盛期には300隻の舟が出入りしていた。
”赤坂は、石灰と大理石と化石の町”で、石灰と大理石の運搬に舟運が活躍した。11:15


杭瀬川の少し上流の台湾料理店「味味」でラーメン定食に舌鼓を打つ。

右写真、「右すのまた宿道、左木曽路」道標。
左へ降りる。12:25





左写真、小簾紅園オズコウエン。
1861(文久元)年、14代将軍徳川家茂に嫁ぐため、中山道で江戸に下った皇女和宮の一行が、当時、揖斐川にあった呂久の渡しで渡ったことを記念して造られた記念公園。

右写真、小簾紅園の一段高いところに和宮の歌碑がある。「おちてゆく身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」
御座船の小簾の中から紅葉する楓を見ての御歌。

揖斐川を鷺田橋で越える。






左写真、美江神社。
境内に「美江寺宿跡碑」が立っている。


右写真、高札場が復元されていた。








左写真、本田ホンデン代官所跡。

右写真、長良川手前の観音堂内の馬頭観音。
「観音堂縁起」によると、中山道六十九次の内第五十四河渡宿の荷駄役の人達が天保十三年に銭百文づヽ寄進し、愛染明王を奉祀す。
地元では馬頭観音さんと仰ぎ、六間四面の堂宇を建立、盛大に讃仰護持し来れり。

【馬頭観音】六観音・八大明王の一。宝冠に馬頭をいただき、身色は赤で、忿怒(ふんぬ)の相をあらわして、一切の魔や煩悩をうち伏せる働きを示す。
単独の像例では三面八臂像が多い。from Kokugo Dai Jiten /Shogakukan






左写真、長良川を渡る。写真は下流側。


右写真、長良川の左岸堤防を上流に向かって走り、渡しの和船を探す。写真中央左手にソレらしき舟。
【小紅の渡し】
長良川の川下にあった河渡ゴウドの渡しが中山道の表街道、小紅の渡しが裏街道として栄えていた。
現在、この渡しは「県道文殊茶屋新田線」で、岐阜市内で唯一の渡し。利用料金は無料。






左写真、右手の建物は加納宿脇本陣跡。
正面は加納天満宮(行っていない)。14:15


右写真、「中山道」と書かれた側溝グレーチング。
岐阜市はなかなか粋なことをするナア。







左写真、「皇女和宮御仮泊ま所跡」。



右写真、名鉄・茶所チャショ駅すぐ北の踏切前で休憩。








左写真、新加納立場タテバ跡。
鵜沼宿と加納宿(岐阜)の間が4里10町(17km)と距離が長いため、立場(建場茶屋)と呼ばれる小休所が新加納に設けられた。
我々も、ココで休憩の後、鵜沼まで突っ走った。
15:00

鵜沼の手前で右折し、木曽川へ向かう。

右写真、犬山頭首工(ダム)より犬山城を眺める。
16:00




左写真、犬山頭首工の下流側。



右写真、JR高山線・鵜沼駅に到着。16:20



走行距離:60km。




【GPSデータ】
今回の中山道ツアーに、吉田先生と西野がサイクルコンピュータ機能付きの「ハンディGPSマップ ASG-CM11」を用いた。
この”ハンディGPSマップ”は自転車用に作られた、なかなかの優れモノで気に入っている。

下図mapの赤い線は走行の全体軌跡。
ただし、実際のstart地点・関ヶ原駅はflagの約4km西、図のほぼ左端である。(GPSのスイッチの入れ忘れ)

   


以下の図は吉田先生から提供された。

1)速度・高度グラフ

   


2)軌跡mapATLASTOURによってGoogle Maps上に軌跡表示)

   

   

   



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