奥の細道 寄り道   東田川文化記念館


2011年9月28日(水)の朝、チョットずつ奥の細道 prologueで触れた3人の友の内、”鶴岡の人”を東田川文化記念館に表敬訪問した。東田川文化記念館地図
公用で9時から外出される直前に約束の時間を取っていただいた。
記念館のmapは右図の如くであり、自転車を鶴岡のホテルからほぼ直線的に飛ばしたはずが、気付かずにJRの高架をくぐってしまい、とんでもなく道を間違えて、藤島駅の遙か西に位置する蛾眉橋(赤川に架かる)に至り、ようやく現在位置を知った。
その旨を電話で伝えてお詫びし、外出される時刻の直前に(ホテルから三角形の2辺を走って)記念館に到着した。


左図の中央下が記念館群の正門であり、誠に恐縮ながら、公用に遅刻覚悟で館長自らご案内して下さった。



まずは、正門右手の”旧東田川電気事業組合倉庫”である。(写真は右下)

鶴岡市HPによると、「大正13年頃創建のこの建物は文明開化の象徴である電気事業の発展・隆盛を偲ばせる
。倉庫とはいえ前面に広いテラスを備えた洒落た建物で、現在は管理棟・展示室として活用されている。」









2階に案内されて、左写真の大きな”独木舟”(マルキブネ;丸木舟とも書く)を見せられた。
東田川郡藤島地域の出土で、山形県指定文化財になっている。
全長:14.05m、幅:1.24mあり、現存する独木舟の中では日本最大らしい。


ココには、縄文時代(2000年〜12000年前)の出土品が数多く展示されていて、それらは藤島町郷ノ浜・羽黒町玉川・川代の出土である。
なんでも「続日本紀」に、庄内地方での石鏃発見の報告が記載されているそうで、それが石器時代についての日本で最初の正式記録らしい。






次に、”旧東田川郡役所”(右写真奥の和風の建物)を見学した。
明治19年の大火の後に、純和風建築として再建された。
内部には回廊式中庭などの洋風建築様式も取り入れられ、文明開化の風を敏感に感じ取った当時の建築家の心意気を偲ばせる。

左写真の明るい部屋は旧郡長室で、デスクに座ると正面に中庭越しに、玄関さらに門が見通せる心憎い設計だ。

ココで何よりうれしかったのは、右写真の巨大な「庄内三郷全圖」と題された地図である。
現在の山形県の分県地図と言えよう。
左下隅に”発行所は山形縣飽海郡酒田町下中町・中村禎吉、大正貮年(1913)六月五日印刷、賣捌所の酒田と鶴岡の書店名”が記されている。

この地図の酒田、鶴岡の部分を拡大したものが、下の左写真である。(ぼやけていてスミマセン)
この下左の地図で、上部を横切っているのが最上川、最上川に下から合流しているのが赤川である。
(この後、大正10年(1921)に赤川を直接、日本海に向けて分流させる旧内務省「赤川放水路建設事業」が着手され、昭和11年に赤川放水路が通水している。)

なお、この地図の上部左、酒田市街をぐるっと回わる鉄道は、旧・国鉄酒田線(1917年に陸羽西線に改称)であり、実際の開通は地図作製日の翌年らしい。
半円を描く鉄路は地図上、美しく余裕があり、明治〜大正の土木屋の遊び心を感じる。
この半円部は現在は、羽越本線貨物支線(通称:酒田港線))になっているらしい。(羽越線は大正13年(1924)に各県境区間が接続されて全通開通した。)


次ぎに、下の右側の写真は、さらに鶴岡市街をアップで写したもので、下から上に赤川が流れている。
鶴岡市街のど真ん中(鶴ヶ岡城跡の鶴岡公園あたり)を流れて、少し先で赤川に合流しているのが、内川。
(内川は赤川から分流し再び合流しているので、築城の際に掘られた運河かと思われる。)

芭蕉の舟旅は、お城近くの内川を漕ぎ出し、赤川に入り、最上川に出て河口の酒田湊に着いている。

今回の下見の結果、我が奥の細道カヌー旅「赤川(鶴岡→酒田)下り」は、下右地図で、お城の東北から東北東方向に延びている道、現345号線が赤川を渡る三川橋の左岸上流側から出艇し、赤川放水路を海に出て、最上川、新井田川を少し遡り、山居倉庫前に着艇する予定である。




なお、序でながら、鶴ヶ岡城は明治9年に解体され鶴岡公園となったが、お城の江戸時代の地図をHP上で閲覧したので、右に引用掲載させていただいた。

この”江戸時代の鶴ヶ岡城”で、お城と内川の位置関係がよく分かる。

芭蕉は、この図の内川の右上あたりから乗船したようだ。


この”江戸時代の鶴ヶ岡城”図は、城下町鶴岡HPから複写転載させていただいた。
なお出典は”『城下町鶴岡』大瀬欽哉著、庄内歴史調査会”だそうで、その孫引きになる。付記して謝意を表する。








旧郡役所”の展示品で、その他に特に興味深かったのは、
左写真、藁潰し機。
藁製品を作る時は藁の繊維を柔らかくしてから使うが、この機械は藁を柔らかくするもの。
初めて見たが、上手くできていて感心した。


右写真、等身大の添川両所神社獅子。
鶴岡市の藤島地域は、獅子郷と言われるほど獅子踊りが多く保存・伝承されている。
旧郡長室前に展示されていたこの獅子は見事であった。
(なお、この獅子の立派な人形(大)は受注製作で、\18000-。値打ちのある置物だ。)


「藤島地域の獅子踊り」の詳細は、市のHPhttp://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujishima/gaiyou/sisi1.html を参照下さい。



左写真、最後に訪ねた3つ目の建物”旧東田川郡会議事堂”は、白壁の洒落た洋館である。(写真右上に黒く写っているのは”旧郡役所”の庇 。)




右写真は、白壁の旧議事堂の右側面と旧郡役所の左側面を写したもの。
横から見ても美しいナァ。







左写真、旧議事堂の1階は図書館。
畳敷きの「お座敷図書館」である。
奥の床の間にも本が並べられていた。



右写真、2階は議事堂だった瀟洒なホールで、「明治ホール」と名付けられている。
シャンデリアやカ−テンが雰囲気を盛り上げていて、ピカピカである。
150人も入れるそうで、コンサ−トや講演会に利用されていて、木の響きがするホ−ルとして好評らしい。





最後に、
館長の執務デスク(右奥)を撮らせていただいて、藤島城址に向かった。














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