チョットずつ奥の細道 a−2     酒田、鶴岡、羽黒山 その2

   酒田ポタリング、羽黒山石段を往復
   
                                           2011年9月26日(月)

 (この日はGPSが作動せず、走行mapはナシ)

 
               −−− ま ず、 酒 田 ポ タ リ ン グ −−−

JR酒田駅7:00発に乗車する前に、酒田の町をポタリングで少し回った。 酒田市HPの観光物産の頁は簡潔で分かりやすい。


左写真、山居倉庫。    6:00
新井田川の中洲(山居サンキョ島)に建てられた土蔵造りの倉庫。竣工翌年の明治27年に発生したマグニチュード7.0(7.3とも)の庄内地震でも、倉庫自体への被害は僅かであった。



右写真、小鵜飼船
米沢藩が急流・最上川に適した船として作り、主に上流で使われていたが、明治以降は、下流まで運航できるようになった。長さは15mくらい。







左写真、山居倉庫の前にある新井田川に降りるスロープ。このスロープを降りたトコロがカヌーの着艇に最も適したポイントだ。



右写真、着艇ポイントの前は酒田グリーンホテル。









左写真、着艇ポイントの上流側。



右写真、着艇ポイントの下流側には、山居橋(歩行者専用)が架かっている。









左写真、山居橋から着艇ポイントを写す。



右写真、山居橋の袂に、穂を付けた4種の稲がポリバケツに入れて並べてあった。
右端の「つや姫」が一番おいしそうだった。
後から気付いたのだが、近くに庄内米歴史資料館があるのだ。






次ぎに、新井田川河口部の酒田港に向かった。


左写真、酒田魚市場(後方右手)前に漁船が接岸していた。



右写真、揚げられたばかりの魚が並べられ、もうすぐ競りが始まる感じだ。







左写真、飛島航路の”とびしま”は定期検査のため対岸に係留されていた。
発着所には北海道の羽幌港と焼尻島、天売島を結ぶ沿岸フェリー船”さんらいなぁ”が泊まっていた。オフシーズン貸出しである。
飛島まで39km(90分)。近い。



右写真、山形県立加茂水産高校・漁業実習船”鳥海丸”。実習航行から疲れて帰ってきた高校生が船の前で整列していた。







左写真、酒田駅前に着く。  6:45


朝飯のお握りを探すが、コンビニはなし。
駅の売店で「つや姫」のお握りを見付け、3個買う。


酒田駅7:00発村上行きに乗車。
お握りにかぶりつく。大きなお握りだったが、3個を食い終わる。
その途端に着いた駅から大勢の高校生が乗り込んできた。
ちょうど、通学時間帯なのだ。




                  −−− 羽 黒 山 @ −−−

鶴岡駅に7:38に着く。 鶴岡駅前A番のりば7:52発のバスで羽黒山へ向かう。


左写真、羽黒街道を東進するバスから前方の羽黒山大鳥居(一の鳥居、昭和4年奉納)を写す。


羽黒山頂に8:45に到着。


右写真、裏参道入口に立つ朱の鳥居をくぐって山頂境内へ。


まず、荷物を預かってもらうために、今日泊まる斎館(羽黒山参籠所)に向かう。




入口への順路が分からず、裏手へ回ってしまい、神職養成所学生寮などを見て、やっと、

左写真、斎館の正門が見えた。



右写真、門をくぐって、玄関へ向かう。
(屋根の工事中)


チェックイン手続きを済ませ、荷物を預かってもらい、再び、門を出て山頂へ向かう。



斎館の道を参道に出て、

左写真、十五童坂を少し上がり、朱鳥居から山頂境内に入る。



右写真、能除太子御挫石。
(出羽三山開祖・蜂子ハチコ皇子は民の全ての苦悩を除くということから能除太子と称さた。)






左写真、蜂子神社
唐破風の下に二匹の麒麟が彫られている。
(推古天皇の御代に出羽三山を開いた蜂子皇子を祭る。)



右写真、蜂子神社の左手の厳島神社は、立派な竜の彫り物が目を引く。







左写真、三神合祭殿サンシンゴウサイデンという名の本殿。
現在の合祭殿は文政元年(1818)に完成。元は赤松脂塗であったが、昭和45〜47年に塗替えられ朱塗りの社殿になった。国の重要文化財。


右写真、
社殿は羽黒派古修験道独自のもので、主に杉材を使用し、屋根は厚さ7尺の萱葺き。
御本殿の前の御手洗池は、年間を通じて水位が変わらないらしい。


三神合祭殿は一般神社建築とは異なり、一棟の内に拝殿と御本殿とが造られている。月山・羽黒山・湯殿山の三神が合祀されていて、独特の社殿である。
内内陣は御深秘殿と称され、古来17年毎に式年の造営が斎行されている。なお、三神合祭殿額の題字は副島種臣の書である。  from 公式HP



左写真、
御手洗池は古くより多くの信仰をあつめ、銅鏡が埋納されているので鏡池という。
今は池いっぱいにコウホネ(河骨)が繁茂していて、画面中央に小さな黄色い花が1輪写っている。



右写真、合祭殿のアップ。
羽黒神社の本源社で、本来は出羽イデハ神社のみの鎮座であったが、今は、中央に月山神社、右に出羽神社、左に湯殿山神社が祀られ、出羽三山神社と呼ばれている。






左写真、虹梁(弓形に反った梁)の上に座っている黒い猿のような像は力士とのこと。

右写真、芭蕉像と三山三句碑。
芭蕉像は昭和48(1973)年に、山寺の芭蕉像と同じく山形市の鈴木伝六氏が建立。
三句碑は、月山旧登山道の野口に文政8年(1825年)に立てられ「芭蕉野口(三山)句碑」と呼ばれ、現在地へは昭和40年に移転された。

三句碑には、
涼しさやほの三日月の羽黒山
加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦那  (語られぬ湯殿にぬらす袂かな)
雲の峯いくつくつれて月の山

なお、「おくのほそ道」には、”羽州黒山を中略して羽黒山といふにや”と書かれている。


急な石段を降り始める。
左写真、振り返って「三の坂」と境内社・八幡神社を写す。



右写真、埴山姫神社。








左写真、参道右手に羽黒山講堂。
今は使われていない模様。



左写真、奥に広がっているのは、田谷村杉。
庄内町(旧余目町)の田谷の庄屋が寄進した杉苗が見事な杉林になっている。






「二の坂」と「三の坂」の間の分岐を”南谷”へ向かう。
左写真、なかなかいい道が整備されている。

南谷は谷間に開けた結構広い平地で、本坊の別院・玄陽院があり、芭蕉が7日間静養したトコロ。



右写真、芭蕉句碑。
「有難や雪をかほらす南谷」
羽黒山第75代別当・覚諄が文化15年(1818)に建立した。





左写真、別院の庭園跡と心字池が残っていて、往時の見事さを彷彿とさせる。



右写真、大きな倒木が横たわっているが、池にはコウホネが繁茂していた。
頂上の本殿前の御手洗池にも一面、河骨が繁っていたが。この地はコウホネに適しているのだろうか。








左写真、「涼しさやほの三日月の羽黒山」と芭蕉が詠んだトコロとの案内板があり、
画面左手奥に、



右写真、芭蕉塚(三日月塚)がある。
中央奥の石に”芭蕉翁”と刻まれている。







左写真、石段の先、右手に二の坂茶屋。
(ココからが油こぼしと呼ばれる急な二の坂)名物の杵でついた”力餅”をいただく。



右写真、二の坂茶屋からの眺め。
庄内平野の向こうに日本海が見えていた。
(飛島も見えるはずとのこと。)






左写真、二の坂を下り始めると、山伏姿のガイドが案内するツアー客が上ってきた。



右写真、火石。
 『夜中光を発する事有りて 海船等は遥沖にて光を見ること度々有と云ふ 』らしい。








左写真、五重塔。国宝。
素木シラキ造り・柿葺コケラブキ・三間五層。
元は瀧水寺の五重塔で、附近には多くの寺院が建立されていたとのこと。
古くは平将門の建立と伝えられ、後、再建、修造(1372年)されている。



右写真、素木の美しさが文句なしだ!






左写真、五重塔の前の古い石仏?



右写真、お地蔵さまもいらっしゃった。でも、随分とお歳を召したお地蔵さまのようです。









左写真、表から見た五重塔。



右写真、正面は巨大な老杉”爺杉”。
樹齢1000年以上といわれ、天然記念物。








左写真、注連掛桜の老木。



右写真、出羽三山神社の案内板。









左写真、祓川に落ちる須賀の滝。
江戸時代初期、羽黒山の中興の祖・天宥が月山から水路を開削して造った人工滝。
昔は、この祓川の清流で水垢離して三山に詣でたそうな。



右写真、祓川に掛かる神橋。







左写真、境内社がいくつも並んでいる。
出羽三山には月山神社、出羽神社、湯殿山神社の末社が108社あるそうな。



右写真、ようやく、随神門。
出羽三山神社神域の表玄関。
元禄年間に秋田矢島藩主より仁王門として寄進されたが、明治の神仏分離の時に随身像が祀られたとのこと。






左写真、天拝石。
随身門の門前の苔むした大石。この奇石を通し 天を祭ったそうな。



右写真、手向トウゲの食堂「大川商店」。
蕎麦と麦きりの”二色もり”を食った。
13:30に遅いが旨い昼飯。






左写真、大川商店の練炭火鉢で煮込んだ玉蒟蒻も旨かった。

ココのお婆ちゃん(多分、81才)に羽黒山の花祭のことを聞いたら、掲げてあった造花を呉れた。
羽黒山の花祭は毎年7月15日に行われ、献燈(花梵天)に飾られた花を参詣人が奪い合う。
コノ「花」は稲の花を模っていて、花祭は五穀豊穣を祈願する例大祭だ。
そういえば、薬師寺の花会式(修二会)は国家の繁栄と五穀豊穣を祈る行事であり、奈良の春の風物詩になっている。ここでも立派な造花が主役である。
非常に似通っているナァ。

お婆ちゃんにもらった黄色の大きな造花を大事に持って、再び、表参道の石段2446段を上り、宿舎の斎館・羽黒参籠所に戻った。
(なお、この造花は翌日からは自転車のハンドルバッグに括り付けて走り、飛行機にも乗せて大切に持って帰った。今は出羽三山神社の御神符の横に掲げている。)



大変ラッキーなことに、その夜、斎館(羽黒山参籠所)で泊めてもらった部屋は”閑静な斎館の中でも一層ひっそりとした佇まいの茶室”であった。
”銀閣寺東求堂の茶室を真似て、南天を床柱にしている”部屋なのだ。(斎館HPによる)

それに、部屋に案内されると、真っ正面に、暮れなずむ鳥海山が見える。
感謝、感激、感動!
しばらくの間、立ち尽くした。


                                     

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