チョットずつ奥の細道 a−3     酒田、鶴岡、羽黒山 その3

   羽黒山から月山3合目までサイクリング
   
                                           2011年9月27日(火)

                  −−− 羽 黒 山 A −−−



まず、茶室からの写真を2枚。

左写真、早朝、5:27撮影。
真っ正面に鳥海山。



右写真、6:05撮影。
写りが悪いが、左の写真から想像願いたい。





左写真、茶室「香嵐亭」の入口。
この襖戸を開けると、まず、10畳ばかりの前室があり、昨夜はその部屋で寝た。
茶室はその奥にある。



右写真、茶室の床の間。
南天の床柱。
床の間の掛け軸に書かれている和歌2首と木彫りの和歌1首を下にアップした。





左写真、
『釈超空先生の詠める二首』と前書きされてはいるが、
最上川ぞひにひたすらくだり来て羽黒の空の夕焼けも見つ」 (折口信夫)
はろばろに澄みゆく空か裾ながく海より出づる鳥海の山」 (釈超空
の二首が書かれている。

右写真の木彫りは、「斎館の一つ部屋より見はるかす国原青く夏ふけむとす」(斎藤茂吉)


斎藤茂吉は自分がそうだったように、長男茂太を15才(つまり元服)の年に出羽三山に連れって行った。
木彫りの歌は、その時(昭和5年7月24日)羽黒山参拝の折に詠んだとのこと。   from 齋藤茂太「歌人・齋藤茂吉」
茂吉は敬謙な仏教徒であり、山岳宗教の地に心魅かれる傾向が強かったらしい。

出羽三山神社の本殿(三神合祭殿)で毎朝7時から行われている”朝のお勤め”に参加させていただいた。
神官3人の末席に加えられ、最後には、内陣に上げてもらった。
御神符も頂いてきた。


左写真、鐘楼と建治の大鐘。
鐘には建治元年(1275)の銘があり、東大寺、金剛峰寺に次いで古く且つ大きい。
萱葺き屋根の鐘楼は山内では五重塔に次いで古い。(国の重要文化財)



昨日、分からなかった、
右写真、「崇峻天皇王子・蜂子王子墓」と宮内庁の説明板に書かれていた。
出羽三山開山は蘇我馬子に滅ぼされた崇峻天皇(592没)の子、蜂子皇子との説。





斎館に戻って、
左写真、朝食。   8:00


右写真、食堂から部屋に戻る途中の廊下の曲がり角に、「聖参籠室」の札が掛かっている広い部屋がある。注連縄が張られ、戸はしっかりと締められている。
聞いてみると、毎年の幣立祭で、二人の松聖が50日間籠もられる部屋らしい。


【幣立祭】ヘイタテサイ
今年(2011/9/24)の幣立祭については、出羽三山・月山山麓・羽黒山門前 旅館・多聞館HPに分かりやすく紹介されている。




左写真、勅使の間をチョット覗いてみた。
その昔、京都の高貴な方々が来山した際にもてなした部屋で内装も京都風の公家造りになっているとのこと。広くて一段高い。



右写真、勅使の間は三方に開いている。
外から見ても、なかなかの造りであるが、廊下の外にさらに縁側が設けられている設計は、斎館全体に共通している。







左写真、斎館を辞して門を出る。 9:50



右写真、斎館前から参道上の朱鳥居へ向かう。































上左のmapは、斎館を9:50に出発し、月山3合目に14:50に到着するまでの走行軌跡である。
そのうち赤線部分は、荒沢寺で思わず長居して、休暇村羽黒のレストラン(昼食)に至る、午前の走行軌跡(9:50〜12:15)。
青線部分は昼食後、月山3合目に至る軌跡(13:00〜14:50)である。
なお、上右のグラフは、緑色が走行速度(km/時)、青色が高度(m)を示している。(mapの走行軌跡に対応)

芭蕉の歩いた「奥の細道」歩道に沿うように、羽黒山有料道路が付けられていて、我が自転車は、「奥の細道」歩道が通れるトコロは通り、無理なトコロは有料道路を走った。


左写真は、有料道路の第3駐車場。
端っこにロッジ。



右写真は、駐車場の展望台からの眺め。
正面は月山。







左写真、「奥の細道」歩道。コノ辺りは石段道だ。



右写真、「奥の細道」、後ろを振り返っても石段道。









左写真、吹越の峰中堂ブチュウドウ。
ココを宿として、毎年、7日間の「秋の峰」修行が行われる。
このお堂に160人が雑魚寝して、月山山頂や秘所・東普陀落などを巡る山駆け、自分自身の葬式とも言われる柴灯祭、
唐辛子を燻した煙の中に居続ける「南蛮いぶし」、断食などの行に挑む。
庄内日報ニュース



右写真、白木のスッキリしたお堂だ。





左写真、峰中堂の裏側の板壁に干されたままの白褌?
1ヶ月前の”秋の峰修行”の忘れ物か?



右写真、吹越神社。(峰中堂の向かい側)








左写真、「奥の細道」歩道。
石段の両横に土のスロープ部分があり、自転車を押して上り始める。



右写真、なかなか快適な歩道だ。






羽黒山有料道路が終わって、T字路に出る。右折して、荒沢寺に向かう。

左写真、荒沢寺の歴史のある門が眩しい。



右写真、門を入ると、左手に朱塗りのお竹大日如来堂。が、まず、目に入る。
江戸のある家に”竹”という下女がいた。
竹は信心深く、五穀を大切に扱い、自分の食事を減らして飢えに苦しむ者に与えていた。
その竹が実は、生身の大日如来だったそうで、このお堂が建てられ、竹の像が祭られているらしい。






左写真、お竹大日如来堂のアップ。
立派だが、ちょっと小さいなと思っていると、



右写真、コチラが本堂だった。




本堂前を通って奥に、月美橋があり、その奥に境内敷地が広がっている。



その一角に、
左写真、立派な護摩場があった。


本堂の掃除か片付けかが終わって出てこられた方に、「奥の細道」歩道について尋ねたのがきっかけで話が弾んだ。
しゃがんだり、立ったり、ヤブ蚊に刺されたり、木立の中で喋り続けた。
修験道のこと、神仏混淆・神仏分離のこと、修行に行ってられた京都・聖護院のこと、その他つまらない話も含め、結局、1時間近く喋っていた。

話の途中で、羽黒山荒澤寺正善院の副住職・長南チョウナン弘道(36才)と自己紹介して下さった。
庄内町(旧立川町)のご出身とのこと。近くに温泉もあると言われていた。



月の沢温泉・北月山荘立谷沢タチヤザワ川の最上流部あたり、月山3合目バス停の北東方向にある。庄内町町営で、なかなか感じがよい。
来年夏は、自転車で立谷沢川沿いを上り、月の沢温泉に泊まって、翌日、3合目から月山頂上を目指すプランが面白そうだナァ。)

その後、休暇村・羽黒のレストランに羽黒山斎館の大きなお握り3個を持ち込んで、漬物バイキングを存分にご馳走になった。
(昼食休憩12:00〜13:00)


左写真、「ここは傘骨」との立札があった。
野口からの月山登山の半合目。
柵の中は給水施設かも知れぬ。



右写真、傘骨からの展望。
眼下に庄内平野が広がり、その向こうに日本海輝いていた。

なお、”傘骨”は芭蕉が傘を差して月山に登ってきて、ココで突風のため傘が壊れて骨だけになったからという説もあるらしい。



カントウヨメナ ユウガギク 葉の傾向
左写真、この花は、羽黒山・斎館のフロント前に壺に入れて活けてあった。野の花だが、きれいで品がある。
カントウヨメナかユウガギクか?



右写真、千葉北西部 周辺ぷち植物誌によると、右図の如き違いがあるそうだ。よって、この花は、カントウヨメナと思われる。








左写真、「月山やすらぎの森」というそうだ。




右写真、道が狭いので、バスが来ると怖い。








左写真、素晴らしく牧歌的でスケールの大きい景だ。
月山高原牧場と三叉ダムだ。



右写真、コチラもなかなかいい。








左写真、2合目、小月山オヅキヤマ神社の祠。



右写真、また、カントウヨメナだ。









左写真、3合目が近づくと、上りがかなりきつくなってきた。



右写真、 「至三合目神子石小屋跡」と木片に墨書されている。
何があるのか知らないが、自転車を置いて、この路に入ってみる。








左写真、苔むした倒木が転がっているような山路を5分ばかり進む。



右写真、「三合目 神子石神社 神子石」とある。
画面正面真ん中が神子石だろう。








左写真、神子石の前が、「月山三合目」バス停だった。
なにも山路を歩いて来なくてもよかったのだ。           14:45



ヒッチハイクとバスで、斎館に預けた荷物を受け取り、鶴岡に向かった。



右写真、昨日の朝通った大鳥居を、再びくぐって鶴岡に戻った。   16:13



今夜の宿
ホテルルートイン鶴岡駅前に入って、コインランドリーを回して、汗を流す。

まもなく、
チョットずつ奥の細道 prologue」の冒頭で述べた”鶴岡の人”が、わざわざホテルに迎えに来て下さった。
そして、に案内されると、奥様のお顔があってビックリ。
今日は酒田で教室があったのに、時間を遣り繰りして駆けつけて下さったのだ。
鶴岡の美味しい酒と美味しい魚を頂戴しながら話が勢む。うれしかった。感謝、感謝!


                                     

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