チョットずつ奥の細道 e    大石田から月山へ


   

上mapは今回の旅のGPS記録である。ただし、途中で少し抜けがある。
下表に旅の概要を示し、日毎にページを改めてレポートを作成する。(2日目の以降のHPは下表からリンク)

旅順記号 日 程   サブタイトル  宿泊地
e−1 1日目 2012年7月30日(月) 大石田、猿羽根峠を越えて新庄へ 新庄
e−2 2日目 7月31日(火) 新庄から最上川に沿って羽黒山へ 羽黒山参籠所
e−3 3日目 8月1日(水) 月山3合目から頂上、湯殿山まで 湯殿山参籠所
e−4 4日目 8月2日(木) 湯殿山神社、山形市

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チョットずつ奥の細道 e−1        大石田から月山へ その1

       大石田、猿羽根峠を越えて新庄へ

                                                        2012年7月30日(月)




初日、2012年7月30日(月)の旅程は、
・ Home発5:20→枚方公園駅発5:34→門真市発6:08→モノレール大阪空港駅着6:43。
  BD-1のミラーとペダルを外して、工具ケースとともに本体に括り付ける。
  輪行バッグへ収納し、受託手荷物として貨物室に預ける。
・ JAL2233便(伊丹7:30→山形8:45) 21,400円(ホップツーリスト)。
・ 空港からタクシーで山形新幹線さくらんぼ東根駅へ。
・ さくらんぼ東根駅9:20発(新庄方面;つばさ)→大石田駅9:37着。


左のGPSmapの赤線と青線の空白部は猿羽根峠への山路である。
上部の新庄附近の赤線は、翌7月31日早朝の記録である。

























    

   左写真、大石田駅に降り立って、BD-1を組み立てる。  10:05

     駅前から南南西に走り、さくら通り商店会を抜け、信号を左折、本町商店街の次の信号が大橋の袂である。
     大橋の手前から、最上川の右岸・堤防道を下流方向に走る。

      中写真、最上川。上流側に大橋。

         右写真、最上川の下流方向。

    

   左写真、白い標柱には「奥の細道 高野一栄亭跡」とあり、その左には「芭蕉遺跡 一栄亭 三泊」と題して大石田町等の説明板がある。
      芭蕉が泊った高野一栄宅跡は、今は板垣家となっている。写真は堤防から写した。
      この向こう側(表側)に、「さみたれをあつめてすゝしもかミ川」の発句で始まる歌仙(芭蕉、曾良、一栄、川水の4人で巻いたもので、
      芭蕉自ら筆を執ったとのこと)の芭蕉真跡・連句碑が建っているはず。

      中写真、大橋の川上左岸にある「大石田河岸船役所跡」の碑。背景は堤防、その向こうに船役所の雰囲気の白壁。

        次ぎに、一栄の墓がある西光寺に向かう。
         右写真、観音堂。芭蕉の小さな像が立っている。

    

   左写真、3ツの内の中央が「さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川」の芭蕉句碑。(観音堂の左裏手。)
     明和元年(1764)に建立された碑は痛みがはげしく、コレは拓本により再建された副碑とのこと。

      中写真、画面中央右のガラス張りの中に、上記、明和元年建立の古い芭蕉句碑が入っている。

         右写真、観音堂の全景。左手奥は保育園のようだった。

   この後、大石田駅の隣の蕎麦屋”ふうりゅう”で、11:30の開店を待て、天ぷら蕎麦とお握り2個で腹ごしらえ。
   十分に休憩して、羽州街道を北上。
   自転車・峠おやじHPのルートmapを頼りに、名木沢の信号交差点で右折し、旧道に入り、猿羽根峠を目指す。

    

   左写真、”ごみの不法投棄禁止”の通行止めを越える。   12:40

      中写真、ヤマユリがあっちこっちで咲いていてくれた。

         右写真、快適な道を進む。

    

   左写真、大分、上った。

      中写真、「猿羽根山地蔵堂」に到着。   13:40

         右写真、立派な本堂。

    

   左写真、「風の香も南に近し最上川」の芭蕉句碑。
     芭蕉は6月1日に猿羽根峠を越えて、新庄の渋谷甚兵衛(風流)宅に泊まった。
     上記は、翌2日に風流の本家で庄内一の富豪・渋谷九郎兵衛(盛信)邸で開かれた句会での発句。
     盛信への挨拶句で、”暑い盛りなのに、南を流れる最上川から猿羽根峠を越えて吹き渡ってくる風の香りの涼しいことよ”の句意らしい。

      中写真、「史跡・一里塚」。羽州街道(佐竹道)の一里塚を復元したモノ。

         右写真、「新庄領」と彫られた碑。ココにもヤマユリが。

    

   左写真、「奥の細道・猿羽根峠」の標柱。昔の峠道はココだったらしい。

      中写真、地蔵堂の鳥居と長い石段。(BD-1を置いて、ココを上った。)

         右写真、猿羽根峠を越えて車道を快適に走り、舟形町歴史民俗資料館前に駐輪。歩いて引き返し、画面奥の喫茶店で休憩。

    

   左写真、鳥居の向こうから下りてきて、トンネルの出口で羽州街道に合流。

      中写真、JR陸羽東線”奥の細道湯けむりライン”の踏切を渡る。「羽州街道踏切」と書かれていた。  15:30

         右写真、鳥越八幡神社。紫陽花が実にきれいだった。

   

   左写真、昭和63年の「柳の清水復元工事」の看板が掛かったままの「柳の清水」。風情は無かった。   16:10

      中写真、やっと探し当てた「風流」宅の跡。数年前までは「奥の細道・風流亭跡」の標識があったが、今は撤去されてしまった。
          現在は、新庄市(新庄市史第2巻)では、本家・渋谷九郎兵衛(盛信)邸の筋向かいと想定しているらしい。
          盛信の末裔は現在も市の有力者のようだ。                               17:00


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                2日目 新庄から最上川に沿って羽黒山へ


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