チョットずつ奥の細道 e−2 大石田から月山へ その2
新庄から最上川に沿って羽黒山へ
2012年7月31日(火)
上記GPSmapの青線のスタートflagは本合海大橋(最上川canoe出艇予定地点)の少し西。
エンドのflagは”最上峡芭蕉ライン舟下り”観光船の降船所であり、canoe着艇予定地点。
赤線は、観光船の降船所から羽黒山麓の手向トウゲまでの軌跡である。本日は、手向からバスに乗って羽黒山頂に向かい、参籠所に泊まった。
(緑線は、明日8月1日の月山へ向かった軌跡。)
左写真、「芭蕉遺蹟・盛信亭跡」の標柱。(風流宅の標柱もコノ近くに立っているらしい。) 6:40
中写真、立派な新庄市の市民プラザ。中央手前の植え込みの中の大きな石が芭蕉句碑。
右写真、上記市民プラザ前の句碑を正面から写す。
句は、昨日の「猿羽根山地蔵堂」にもあった「風の香も南に近し最上川」((盛信邸での発句)。
どうでもいいが、この句碑には渋谷盛信裔渋谷道書とあり、新庄市の建立とのこと。金を掛けているナァ。
本日のメインは最上川カヌー行の下見である。芭蕉の乗船地である本合海モトアイカイに急ぐ。
上の写真は本合海附近の航空写真である。(from 最上川電子大事典)
画面左手が本合海の集落で、集落の右上辺り(本合海大橋の少し上流側右岸)から芭蕉は船に乗った。
我がカヌーの出艇ポイントは、最上川の大きく蛇行しているソノ辺りを避け、少し下流の左岸を候補地として下見をした。
すなわち、上の航空写真では、”最上川”の文字の”川”辺りである。
なお、航空写真は、下記の通り辿っていけばよい。
最上川電子大辞典−ジャンルで探す−最上川の基礎知識−目で見る最上川/上空から見た川の様子/地図−最上地区−ポイント
上の3枚の写真は、本合海大橋・高架橋から下流側を写したモノ。 8:10
左写真、高架を越えると、下流方向に下る道があった。
道なりに降りていくと、右手に駐車場があり、”さくら回廊”とかの看板が立っていた。
中写真、しかし、コノ辺りからは出艇できないので、もう少し下流側を探った。
右写真、河川敷を広く刈り込んで整備されている広場があり、朱の鳥居が見える。川向こうの矢向神社の鳥居らしい。
左写真、ココからは川がよく見える。(画面右奥に句碑が写っている)
中写真、「郭公の声降りやまぬ地蔵渦」(兜太)と「ひぐらしの網かぶりたり矢向楯」(皆子)の句碑。
右写真、句碑の右側に見えるのが「地蔵渦」らしい。
左写真、細い砂道をすすむと、ビーチに出る。
中写真、対岸の崖は切り立っている。(矢向大明神がおわしますようだ。)
右写真、ビーチの下流側。コノ辺りを出艇ポイントにするのがよかろう。 8:40
左写真、大きく蛇行するビーチの上流方向に本合海大橋が見える。
中写真、朽ちかけの建物(朽ちた船が置いてあった。)とチョット大きめの船の係留?施設。
右写真、この建物のトコロまで舗装道が来ている。(「最上川さくら回廊」の古い標柱あり。)
左写真、芭蕉乗船地を見るために本合海大橋をバックする。写真は上流右岸から本合海大橋を写したモノ。最上川は大きく蛇行している。
中写真、芭蕉乗船地。 9:10
右写真、芭蕉と曾良の像が立っている。
左写真、新庄温泉あたりから下流側。大きく右に蛇行している。
中写真、新庄温泉あたりの前面、上流側。静かな流れだ。
右写真、”戸沢村・上蔵岡”
左写真、バス停付近からの前面、砂地の向こうに鮭川が流れているのだろう。
中写真、”戸沢村・上蔵岡”バス停付近から下流側。画面中央で右岸から鮭川が合流して来る。
右写真、鶴岡街道(47号線)から左に分岐して旧街道(画面中央)に入る。
左写真、旧道入口の薬師堂。歴史のある立派なお堂である。(上の写真の左端に鐘楼が少し写っている。)
中写真、旧街道に沿って、戸沢村・蔵岡の静かな落ち着いた集落が続く。
右写真、多分、長林寺というお寺。なんでも、鮭延氏の菩提寺らしい。
左写真、旧道を走ってきて、ココ、下蔵岡で47号線に戻る。画面中央が旧道。
中写真、下蔵岡の前面の砂地は中洲。その下流にも中洲があり、左岸側は浅そうだが、通れそうなら、コチラ。
右写真、下蔵岡の下流側。右岸で護岸工事中。岩花集落か。川は大きく右に蛇行している。
左写真、芭蕉ドライブインの少し上流、”道の駅・とざわ”の700m手前地点。この先で大きく右に曲がっている。
中写真、”道の駅・とざわ”の400m手前地点、堀田沢バス停、芭蕉ドライブインあたり。JR鉄橋と古口大橋(34号線)が見える。
川の真ん中に岩が群がっているが、最上川電子大辞典では写っていない。今は相当の渇水状態なのだろう。(全ての写真がそうだろう。)
橋梁の手前から右岸を行くのが正解。
右写真、同地点からの上流側。
左写真、古口集落の手前の”戸澤藩船番所”の看板。ココが”最上峡芭蕉ライン舟下り”の乗船場。(写真の芭蕉丸は当時の舟を模したモノ)
ココ古口からの最上川は山が迫って陸路が無く、舟運のみだったとのこと。
新庄藩(藩主は”戸澤”氏)はココに船番所を置いて、川舟荷物の出入りを厳しく改めていた。(享保8年(1723)に設置。)
この先は鶴岡藩になるので、芭蕉もココで舟を乗り継いでいる。
中写真、観光船乗り場へは屋根付きの階段を下る。
右写真、観光船乗り場。観光船のルートは下図の如し。10:30
左写真、観光船乗り場のすぐ先に小さい川が注いでいる。上陸休憩の適地だ。レストランもある。
中写真、出艇ポイントから1000mくらい先、左岸に角川が合流してきて、左岸側は浅い。右岸側には、糠塚川がという小さな川が流れ込む。
右写真、上のポイントから道路進行方向を写す。
大河は暫くゆったり流れる。やがて、
左写真、鶴岡街道(新道)がJRを越している。三の滝沢のすぐ手前。
中写真、同一ポイントから上流側を写す。砂州の向こう右岸側に細いが流れが見えるが、アソコに入るのが正解。(砂州の右岸側)
右写真、砂州の向こうは十分な水量あり。
左写真、右岸の流れは先で合流している。
中写真、砂州の左岸側は、流れは太いが、岩がある。
右写真、同上。 しつこく撮影記録したが、やはり、三の滝沢手前の砂州は右岸側が正解。
左写真、三の滝沢をチョット過ぎて、また、上記の砂州を写す。しつこいが砂州は右岸側が正解。
中写真、もう少し先で覆道を通り過ぎてから上流側を写すと、画面中央に先ほどの大きな砂州が広がっている。
コノ辺り、川からは、左岸に猪ノ鼻高架橋および覆道、続いてJR板敷トンネルの坑口が見えてくる。
少し先で右岸側に、観光船の「ふるさと村」浮き桟橋がある。(このあたりは今は無人の旧・沓喰集落跡とのこと。)
「ふるさと村」を過ぎると、左岸に覆道、JR沓喰トンネルが見える。川は左に曲がり、川幅が狭くなる。瀬がありそう。
次ぎに大きく右に曲がると、
右写真、、外川神社・仙人堂が見えてくる。(画面中央、観光船が泊まっている。)
仙人堂を過ぎると、左岸に高屋駅が近い。JRの短いトンネルが続く。
左写真、高屋駅のすぐ先に、瀬があった。(水位が低いからで、水量の多い時には隠れるのだろう。 )
コノ辺りから、川は幅広く直線的に流れている。
中写真、”白糸の滝ドライブイン”から。下流右岸に草薙頭首工(取水口;庄内平野への灌漑用)が見える。
右写真、上流側を写す。
左写真、”ドライブイン”のすぐ先にある”最上川一夜観音”。
中写真、観音山から「白糸の滝」は真っ正面だ。。
右写真、チョット先にある観光船の降船所。
左写真、着艇するのは、降船所の下流側のコンクリート階段がよい。
着艇ポイントが決まり、2Fの食堂でランチ休憩。 11:45
中写真、2kmほど下流に最上川さみだれ大堰。 12:45
やはり、観光船の降船所で上がるのがよい。
右写真、清川関跡には、「芭蕉上陸之地」碑と芭蕉像が立っている。(清川小学校の最上川寄りの裏庭) 12:50
銅板には「五月雨をあつめて早し最上川」
清川駅、狩川駅を過ぎ、ゴルフ場を過ぎ、湯之澤温泉を過ぎ、藤島町農村環境改善センターの標識を見た。
左写真、ようやく田園風景になった。ホッとして、休憩。
中写真、ココから緩やかなスロープを上っていく。 やがて手向の集落に入る。
右写真、黄金コガネ堂(曾良随行日記の光堂)の立派な門。仁王様も立派だった。草鞋がぶら下げられている。
左写真、黄金コガネ堂。
中写真、烏崎稲荷神社の境内の端っこに図司呂丸の追悼碑がある。(ココが呂丸宅跡と散髪屋のおばちゃんは言っていた。)
右写真、図司呂丸追悼碑『消安し都の土に春の雪』。 併刻の芭蕉の追悼句は、『当皈トウキよりあはれは塚のすみれ草』
手向のバス停前の大川商店で、まずは、ソフトクリームを注文。お婆ちゃんは元気だった。今回も玉蒟蒻も頬張った。
15:15発の最後のバスで羽黒山頂に向かう。
左写真、大鳥居をくぐる。 15:35
中写真、芭蕉の像。右手に句碑。
右写真、「三山三句碑」。
凉しさやほの三日月の羽黒山
加多羅禮努湯登廼仁奴良須當毛東迦那
雲の峯いくつくつれて月の山
今回の宿も、斎館(羽黒山参籠所)の茶室「香嵐亭」である。
宅配便で届いているリュックや登山靴を出して、代わりに、畳んだ自転車やハンドルバッグを送り返した。
月山3合目から頂上、湯殿山まで
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