チョットずつ奥の細道 g−2 小山から日光まで その2
新鹿沼〜日光
2013年4月02日(火)
【本日の走行軌跡】 下mapに本日の走行軌跡を示す。
最初のflag(一番南)は新鹿沼の宿・竹澤旅館。
2番目のflagは雨中、休憩したJR文挟駅。
その次のflagは、十石そば処。蕎麦を食う。
最後のflagは、本日の宿、ホテル・ナチュラルガーデンン日光。
朝、大雨の中、竹澤旅館の女将と昨夜、仲良くなった先代の女将に見送られて、重装備で出発。 8:00
例幣使街道の歩道をライトを点けて走る。
左写真、JR文挟駅(無人駅)で休憩。 8:56〜9:38
先客あり。若手の”鉄ちゃん”がリュックを置いて時刻表と睨めっこしている。大分経ってから話し始め、彼の電車が来るまで話し込んだ。
中写真、右写真、例幣使街道の横に一段高く自然歩道が付いている。雨中ではあるが、快適に走る。 10:20
左写真、”板橋”の信号手前から走ってきた南方向を写す。交通量は多い。 10:30
ココの自販機屋さんのおばちゃんが、3月20日にバイパスが開通したので、例幣使街道はこの先空いていると教えてくれた。
例幣使街道には車はほとんど走っていない。日光までの間に出会った車は数十台くらいであった。
これは将に、想定外で、タイミングよく10日ほど前に開通したバイパスに感謝感激である。
中写真、地震坂付近。 11:00
右写真、十石峠の「十石そば」で、楽しみにしていた名物・鴨つけそば¥1000-を味わう。
素人の上品な女将さんと二人っきりで1時間以上、話し込む。客が来たので別れて出発。 12:20
左写真、「十石そば」前。画面右手のハイキング道?から峠を上ってきた。
中写真、「十石そば」前。画面の左手方向に峠を下っていく。
右写真、「例幣使街道・室瀬一里塚」の標柱。車の姿は全くない。 12:30
左写真、東武日光線「上今市」近く。大胆にも、舗装車道の真ん中に自転車を置いて撮影。 12:45
中写真、「砲弾打込杉」。 13:00
戊辰の役で日光に拠った幕軍を官軍が攻撃。この時に、官軍の撃った砲弾が当たった跡。
右写真、「異人石」。明治の頃、石屋に頼んで座りやすくしたこの石に坐り、毎日杉並木を観ていた外人がいたとのこと。 13:20
左写真、神橋。 13:50
中写真、大谷川に掛かる大日橋。(下流側から)
右写真、上流側左岸。画面手前が大日堂の跡らしい。
【大日堂】 芭蕉が大日堂に寄ったという記述は「奥の細道」にも「曽良随行日記」にもない。 (芭蕉がに来た時には無かったのだ。)
この堂は、慶安2年(1649)大楽院第二世の恵海が再建し、素晴らしい景観であったらしいが、
明治35年の大洪水で堂宇は流失、その後、大正8年の大洪水で残っていた一堂、池、石仏など全てを流失。
左写真、芭蕉句碑。ココには古くから句碑があったが、明治35年の大洪水で流失し、明治42年に再建されたとのこと。
『あらたふと青葉若葉の日の光里』
中写真、上記の芭蕉句碑の上(大日堂の跡だろう)に、朱い前掛け付けたお地蔵さまがズラリと並んでおられた。(画面右手)
右写真、安良沢小学校の校門を入った正面にも、芭蕉句碑。
『 しばらくは滝にこもるや夏の初 ゲノハジメ 』
裏見の滝の吟。
岩窟に入り込んで、滝の裏から眺められるので、裏見の滝と言う。
句意は、”滝裏の滝に暫く籠もって轟く水音を聞いおれば、雑念が払われ、まるで夏行の初めのような境地となる。”
ホテル・ナチュラルガーデン日光にチェックインして、身体を暖めた。
3日目 日光散策
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