チョットずつ奥の細道 h 今市〜那須湯本
--- 那須野の旅 ---
旅順記号 | 日 程 | サブタイトル | 宿泊地 | |
h−1 | 1日目 | 2013年4月28日(日) | 今市〜矢板 | 矢板 |
h−2 | 2日目 | 4月29日(月) | 矢板〜黒羽 | 黒磯 |
h−3 | 3日目 | 4月30日(火) | 黒羽〜殺生石〜JR黒磯駅 |
今回の”那須野の旅”の舞台は下mapの”大田原”を中心とする小さな円の中であるが、その周辺も理解しておきたく、
このmapを冒頭に掲げた。 (ただし、新幹線なども無かった1970年代に作成されたもので、少し古いが。)
チョットずつ奥の細道 h−1 今市から那須湯本まで その1
今市〜矢板
2013年4月28日(日)
【本日の走行軌跡】 下mapに本日の走行軌跡を示す。
赤線の始まりのflag(西端)はJR今市駅。
次のflagは、道の駅「」。
ココで、山菜蕎麦のランチ休憩。
その後、青線の如く、矢板まで走った。
左写真、JR今市駅をスタート。12:40
中写真、大谷川を北へ渡る。
正面の雪が3筋残っているのが、男体山。
右写真、自然石の左は「馬力神」、右は「馬頭観音世音」。池の向こうに芹沼公民館があった。
左写真、池の先に、観音様だろうか。そして祠?
中写真、大谷石?もしくは芦野石?の倉庫?
右写真、鬼怒川。左が男体山だろう。
左写真、強風のため、BD−1は大渡橋を渡りきった陰まできて、やっと写せた。
中写真、快適に日光北街道を走り、振り返ると、真後ろに男体山。
右写真、石碑には、「湯殿山、男體山」。
旧街道から少し南下して、道の駅・湧水の郷「しおや」で山菜蕎麦のランチ。
左写真、塩谷町船生小学校前の歩道橋から進行方向を写す。日光北街道は真っ直ぐ延びている。
中写真、消防団の倉庫も大谷石。
右写真、古いポンプの囲いも大谷石。
左写真、向こうのお堂は、「長峰の子持ち地蔵」。
中写真、お堂の左の塔碑のアップ。「奉納、四国・秩父、西国・坂東、為二世安楽」と彫られた巡礼塔である。
お堂の右の塔碑には、観世音菩薩が彫られている。
船生フニュウから玉入タマニュウの間は日光北街道・旧道はなく、461号線を走る。
少し南側に集落が見えるので、車が通らない461号の迂回路(旧道)があるかも知れないと思い、行ってみる。
右写真、快適な歩行者・自転車道が通っているが、旧日光街道ではない。お住まいの方が、
ココは東武の線路の跡地で、画面左手はプラットフォームだった。
旧道は現461号をより少し北側の山裾を通っていたらしいと教えて下さった。
左写真、「日光北街道・玉入宿」の立派な道案内が目に入った。ココから玉入宿である。
中写真、 画面真ん中の石碑には「芭蕉一宿之跡」と彫られている。
「玉生に泊まる。宿悪しきゆえ、無理に名主の家入りて宿かる」と曾良随行日記に記されているトコロのはず。
芭蕉の頃の日光北街道は旧・街道よりさらに少しだけ山裾だったのかも知れない。
右写真、玉生宿の真ん中辺りからの景。実に気持ちがイイ。
旧道は”倉掛峠”を越えていたとのこと。その道を通るべく、地理院地図を頼りに倉掛の方へ右折する。
運よく、向こうの畑に75才くらいの人がいたので、この道は峠に繋がっているのかと聞いた。
「あなたは要するに旧道を通りたいのだろう。その道は461号線のすぐ横から入っていたのだが、通れるモノデはない。」
左写真は、その道の入口辺りのはず。ココであれば、とても通ることはできない。
地図で倉掛峠から降りてくる道に少し入った。
これも運よく、畑の横のユンボの前にしゃがみ込んでいた85才くらいの老人を見付けて、尋ねると、この上に古い道標があると教えてくれた。
中写真、「右日光道 從是八里、 倉掛村 」。
右の道を進んでみたが、建設会社の事務所か何かがあって、行き止まりになっていた。倉掛峠の旧道は諦める。
右写真、この辺りで時々見掛ける天守閣のような建物。
正方形に近い平面で、2階の幅が1階の半分くらいのサイズである。普通の(チョット裕福な)民家のようだ。
左写真、東北道を跨線橋で越える。
中写真、矢板の市街に入る。「矢板記念館」というのがあった。
右写真、矢板イースタンホテルの廊下から見えた夕焼け。
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矢板武記念館 from http://www.yaita-kankou.com/kankou1.html
●所在地 栃木県矢板市本町15番3号
●TEL 0287-43-0032
●開館時間 9:30〜16:00
(11/1〜3/31まで10:00〜15:00まで)
●休 館 日 月・火曜日(休日の場合その翌日)祝日の翌日(土・日・祝日の場合開館)
●入 館
料
一般:100円(60円)小中学生:50円(30円)*( )内は20人以上の団体
この記念館は、近代日本の成立期にあって栃木県北地域の政治、経済、産業、教育、文化等多岐の分野で活躍した先駆者で矢板市近代化の原点を築いた郷土の偉人矢板武の屋敷です。
平成10年2月矢板市指定文化財(史跡)に指定された平成9年2月25日に、矢板家から矢板武旧宅が寄贈されたのを機に江戸末期から明治・大正時代の急速な勢いをもって変革をとげた社会情勢の中にあって、矢板市の発展と当時の人々の生活振りをしのぶことができる記念館として開館しました。
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2日目 矢板〜黒羽
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