チョットずつ奥の細道 k   二本松~館腰

               --- 震災の跡は ---

旅順記号 日 程  宿泊地
k-1 1日目 2014年4月20日(日) 福島
k-2 2日目 4月21日(月) 白石
k-3 3日目 4月22日(火)



チョットずつ奥の細道 k-1         二本松 → 福島
                                                        2014年4月20日(日)




大阪空港 8:05
福島空港 9:10
(BD-1で走る)
泉郷駅 10:18
jr 水郡線→郡山駅→東北本線
二本松駅 11:29
12時半スタート
福島 ッチモンドホテル福島駅前



【本日の走行記錄】
 JR二本松駅から福島駅(リッチモンドホテル福島駅前)まで約22km。
 福島空港~泉郷駅5kmを足すと、本日計、約27km。
 本日走行軌跡(概略)は、右mapの黒い線(二本松~福島)。
 (赤線は2日目の軌跡の一部)















  

   左写真、まず、二本松神社に参拝する。
      (話は逸れる。二本松は菊人形で有名だ。関西ではわが枚方市だが。)

      中写真、旧奥州街道355号線を進む。

          右写真、地元の観光ボランティア風の方に進められたお城への道を上る。立派な建物は二本松住民センター(福祉センターだった。


  


   左写真、阿武隈川を渡る。対岸の小山は観世寺で、桜を背景に五重塔が見える。

      中写真、観世寺の門前に駐輪。

          右写真、境内ではお祭りのような催しがあり、地元の奥様方が店を開いていた。焼そば¥300-、玉コンニャク¥100-。


  

   左写真、観世寺本堂。左手の立派な木製の碑には、『 陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりきくはまことか 』と彫られていた。
            拾遺和歌集にある平兼盛の歌らしい。
            昔、乳母が病弱な姫に飲ませるために 「妊婦の生き肝」を求めて、安達ヶ原に辿り着き、妊婦の通るのを待っていた。
            その伝説を元に、謡曲「安達ヶ原」が作られ、「黒塚」の名が有名になったらしい。
            平兼盛の歌は、コレに対して詠んでいる。

      中写真、乳母の鬼婆伝説が棲んだ岩屋「笠石」。

          右写真、老杉に注連縄が廻されていた。鬼婆の墓か???

      境内には、「歌舞伎、謡曲、他でも名高い黒塚は、三門前、道路を右へ百米位入った曲がり角にあります。鬼婆を埋葬したる処です。」
      との説明板があったが、境内の地元の人に聞くと、「黒塚」はココだと言い張った。時間の関係で、百米先は訪ねなかった。少し悔やまれる。


  

   左写真、芭蕉が腰をかけたという「芭蕉休み石」。
             芭蕉は「二本松より右に切れ、黒塚の岩屋を一見し、福島に泊まる。」と簡単に記している。

      中写真、安達町立渋川小学校へ上がる通学石段沿いの桜。

          右写真、鯉のぼりが風に翻っていた。


  

   左写真、福島市に入ると直ぐに、「除染しています」の看板。

      中写真、この田圃も除染中だろう。表土が剥かれているように見える。

          右写真、この畑も除染中だろう。上には小学校。


  

   左写真、福島大学の構内。

      中写真、出雲大神宮。

          右写真、本殿。


  

   左写真、街道筋の民家の屋根に鳥が2羽停まっているのが見えるがアレは本物ではない。屋根の飾りである。珍しいものを発見した。

      中写真、大森川上流側の美しい土手。

          右写真、荒川橋を渡る。ココから急に車の通行量が増え、市街地に入る。


  

   左写真、阿武隈川の支流・荒川を信夫橋で渡り、福島城下に入る。。

      中写真、広い河川敷だ。

          右写真、信夫橋の歴史の説明板。この河原は、福島藩の処刑場だったり、百姓一揆の集合場所だったりしたそうな。


 

   左写真、福島駅。きれいな駅だ。曲線がやわらかい。

      中写真、駅前のホテルの部屋に入ると、放射線測定値が報じられていた。
           福島に来たことを実感させられた。


                               2日目

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