チョットずつ奥の細道 l-3         松島 → 女川 → 石巻

                                                        2015年6月16日(火)

  

   左写真、松島海岸駅。JR仙石線に乗って、石巻に向かう。

      中写真、最初の駅が高城町。
        高城町駅~陸前小野駅が開通したのは、17日前の5月30日(土)だった。

         (高城町~手樽~陸前富山~陸前大塚までは震災前のルートで復旧されている。)

          右写真、この辺りは津波被害は比較的少なかったが、地盤沈下のため、防波堤が築かれ、線路がかさ上げされた。

     下図は、2012年1月に作成された復旧予想図で、分かりやすい。

   
                         from http://iwase-akihiko.hatenablog.com/entry/20120126/1327584741


  
                                                               from 鹿島HP

   左写真、陸前大塚駅。向かいのホームの電車は列車行き合いのため待っていた石巻からの上り。

      陸前大塚~東名~野蒜~陸前小野は、内陸側に約500m移設して復旧された。

          右写真、東名駅の手前で復旧新線は海岸線から内陸部に移っている。高架も見える。


  

   左写真、真新しい高架の上を走る。

      中写真、石巻駅に到着。

          右写真、石巻駅改札口。上には、「仙石線全線開通。仙石東北ライン誕生。5月30日(土)」


  

   左写真、石巻駅前。青い札には 「2011.3.11 東日本大震災-津波浸水深ここまで」。

      中写真、旧北上川の上流側。

          右写真、旧北上川の下流側。橋梁工事が本格化していた。
             画面右端に”石ノ森萬画館”が写っている。「宇宙船」のような外観は石ノ森章太郎の原案をもとにしている由。
             なお、石ノ森章太郎 は、宮城県登米郡中田町(現・登米市)の生まれ。『仮面ライダー』のアニメなどで有名。


  

   JR石巻線で女川へ向かう。

   左写真、車窓から見た旧北上川の対岸の山崩れ。山裾の民家を直撃しているように見える。

      中写真、陸前稲井駅。

          右写真、沢田駅を過ぎると、列車は万石浦沿いに走る。津波のゴミが散らばっている向こうに漁船が見えた。


  

   左写真、浦安駅から少し先の女川トンネルを抜けると、女川駅に着く。
       この浦宿駅~女川駅(2.3km)は、本年2015年3月21日に復旧、再開され、石巻線(44.7km)が4年ぶりに全線開通。
       
       女川駅舎および女川トンネルまでの約500m区間の線路は、5~7m盛り土された地盤の上に建造された。

      中写真、女川駅のホーム。画面奧に坂茂設計の新駅舎が見える。

          右写真、女川トンネル方向を写す。


  

   左写真、新駅舎の前で。
       旧駅舎から約200m内陸に建てられた。斬新なデザインの設計は建築家の坂茂。
       BD-1の後のカバンの下に足湯が写っている。温泉の湧く町なのだ。

      中写真、駅舎の上から海側を写す。工事は進んでいるが、人影がない。

          右写真、背の高いコンクリートブロックを積んで敷地工事がなされている。
            その上の建物は女川中学校と聞いた。
            その女性のお母さんが中学校の下で亡くなったと聞いた。
            また、手前の極簡単な仮設の小屋で案内、説明をしていたガイド役の性から、親切にいろいろ教えてもらった。

       2011年3月の震災で町は高さ約20メートルの津波に襲われ、女川駅や町役場のほか家屋の7割が全壊。
       町民の8%にあたる827人が亡くなった。石巻線は女川―小牛田(こごた、同県美里町)の全線で不通となった。(朝日新聞digital)


   
                                                                from 鹿島HP
   左写真、閑散とした駅前。写っている人は皆、工事関係者。
      画面正面の山裾は造成工事中。

          右写真、町全体が高い盛り土の上に新造中なのがよく分かる。海が低い。


   

   左写真、女川町地域医療センター。
      町内唯一の医療機関であった旧女川町立病院が、平成23年10月、介護施設と一体化した女川町地域医療センターとして新たにスタート。
       (公益社団法人 地域医療振興協会)
      来ているのは高齢者。医療センターよりも新女川病院の方がよいと思った。
      まー、仕方がないか、補助で建てて、補助で運営されているのだから。
     ココの食堂がよいと、駅前のガイド女性から聞いていたので、坂道を上った。少し雰囲気は違ったが、安くて随分ボリュームがあった。

      中写真、地域医療センターの上から。ココからは眺望がきくとガイドさんが言っていた。

    ランチの後、女川街道を石巻方面に走る。


          右写真、ダンプや大型トラックがひっきりなしに走る女川街道からバイパスを探して左手の道に入るが、行き止まりだった。

  

   左写真、ガイドさんが言ってくれていた通り、これ以上は知るのは危険だ。

      中写真、JR浦宿駅で上がる。

          右写真、旅で訪れた若者3人組と一緒に「奥の細道号」に乗り込んだ。

  


 石巻駅で下車。大島神社(住吉神社)へ走る。住吉神社は、正式には大島神社だが、住吉地区にあるので古来この通称が使われている。

   左写真、境内前の住吉公園内には数多くの石碑が見られる。字は読めなかったが、ココが、歌枕「袖の渡り」の地であることからのようだ。

      中写真、式内社・陸奥國牡鹿郡・大嶋神社の石鳥居。その奧に社殿。旧村社

          右写真、大島神社前、津波の爪痕が残っている。後ろに新しい防潮堤。旧・北上川上流側を写す。

      芭蕉と曽良は、元禄2年(1689年)5月10日(新暦6月26日)、石巻に着いた当日に公園内の住吉神社に参詣した。
     「おくのほそ道」の本文には「袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、・・・」とあるが、曽良の随行日記から
     住吉神社を余所目に見ただけでなく、参詣したらしい。そして、芭蕉は歌枕「袖の渡り」の地に足を踏み入れたことだろう。
     ココ、旧北上川の河口付近に南北に「中瀬」があり、歌枕「袖の渡り」は、橋が架かる前に河口を行き来していた渡し船のこと。


    
                               http://www.bashouan.com/pvPhoto3.htm

   左写真、公園の端っこに朱色の橋が架かっている。コレが「袖の渡り」の橋かな。昔は、橋はなく、渡し舟で雄島に渡ったらしい。

      中写真、「雄島」の震災前の姿。画面中央に小さな岩が水面からわずかに姿を見せているのが「巻石」。
      「巻石」は、この岩の周りを水が巻きながら流れることにちなんだ名で、石巻の地名はこの石に由来するという説もある。
      雄島には水神碑と、幕末から明治にかけて石巻で活躍した俳人保原花好の「名月やそよりともせぬ水の上」(表)と
      「江の明り残さで暮るるもみじかな」(裏)の句碑が建っていたのだが、

          右写真、雄島の今の姿。松は塩害で倒れ、枯れている。句碑らしき石も画面中央右に傾いていた。


   

   左写真、雄島から下流側を見る。架橋工事の右手の白いドームは、石ノ森萬画館。

      中写真、大島神社の北側に、住吉山という標高9メートル余りの山が有り、愛宕社が祀られている。荒れ果てているが、見晴らしはよい。

          右写真、愛宕社から旧・北上川河口を臨む。


 

  明日の下見もかねて、少し川沿いを走る。

   左写真、石巻市立 住吉小学校 正門横に青い札、 「2011.3.11 東日本大震災-津波浸水深ここまで」。

          右写真、手前の覆いが被せられているのは応急の津波対策か。
                後に新しいコンクリート防潮堤が写っている。



                               4日目

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