walking     チョットずつ 琵琶湖一周 no.4


地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。滋賀県の琵琶湖研究所HPに、琵琶湖の概要あり。

4回目(04年4月22日) 長命寺〜新海浜シンガイハマ

今日はイイ天気だ。大津の最高気温の予想は28℃だったが、ホント暑かった。

貸切バスで、長命寺港に10時半到着。


左写真、長命寺港の防波堤の沖に島影のように水茎の岡が写っているが、前回・曇り日の最後の写真よりもぼやけている。


右図は、22日の黄砂観測実況図であり、観測された地点が赤丸で示されている。(気象庁の黄砂情報HPより)
この日は、日本に相当、黄砂が降っていたのだ。
以下の写真で特に遠景がぼけているのは黄砂のセイです。





左写真は、長命寺の南西端の岸辺にあった「名勝松ガ崎」と書かれた碑と石灯籠



右写真は、米田雄郎(1891〜1959、滋賀県を中心に活躍した歌人)の碑で、道端にあった。








左写真は、水ヶ浜にある湖に張り出した洒落た木造の喫茶店。



右写真、道の右手、山側はもうすっかり新緑の季節になっていた。








左写真、湖岸の木々の間から沖島が見える。
沖島までは1.3km。
島の面積は1.5kuで、周囲は12km。
約500人の人が住んでいるそうな。


右写真、沖島のほぼ全景。左のくびれているところが集落の中心。






湖岸道路の楓の若葉が日に輝いてきれいだった。



近江八幡(国民)休暇村に着くと、八重桜も咲いていてくれた。

東館のレストランで、釜飯セットの昼食。近江八幡名物の赤いコンニャクがうまかった。





左写真は、休暇村のビーチ。沖には沖島が広がっている。
昼食の時に、この上を、北へ帰る多分、鴨の群が次々と連なって飛んでいった。
『 鳥帰るなべてかそけきものの列 (小室善弘) 』 の風情であった。



右写真、午後の部、歩き出して暫く行くと、ヤマフジの花が咲いていた。






右手の山がなくなって、明るく展望が開けてくると、左手前方に堀切港が見える。(左写真)
湖水のきれいな港だ。
この堀切港から沖島への通船が2時間おきに出ている。



右写真には、防波堤のすぐ左に、沖島に向かう舟が小さく写っている。






田圃の道を進むと、天台宗・伊崎寺の簡素な門柱と看板が見える(左写真)。 
右側の看板に「伊崎寺」、左のには「伊崎不動尊棹飛堂」と書かれていた。

伊崎寺は9世紀後半の貞観年間に開かれて、多くの修行者を集めてきた比叡山延暦寺の支院の道場である。



右写真、その門前にタケノコが頭を出していた。






左写真、門を入ると、左手に丁寧に縫われた赤い前掛けを付けた石仏が並んで祀られていた。
参道ではこのような古い石仏を何ヶ所かで見掛けた。



右写真、竹林の道もあった。







左写真、参道の山道、崖道を上ったり下ったりして進む。



右写真、山吹がきれいに咲き乱れていた。







左写真、ようやく、本堂に着く。(本堂には平安末期作の観音像が安置されているとのこと。)
左端に写っているのは鐘楼。本堂に引っ付くように建っていた。岩山の寺だから、平地は少ないのだ。

太平洋戦争後に、「大中の湖ダイナカノコ」の干拓が進められる以前は、伊崎寺の山は実は、「伊崎島」と呼ばれる島だった。
だから、昔からの山門が崖下に琵琶湖に向かって建っているらしい。
昔は当然、舟でお参りに来ていたのだ。

先ほど入ってきた門が、チャチな訳が分かった。





左写真、本堂右下の崖に建てられている「竿飛サオトビ堂」
右写真は、この「竿飛堂」から写した竿。竿の長さは15mもあるらしい。

6年ほど前に、この竿の下をカヌーで漕いだことがあるが、やっぱり上から見る方が迫力があるなぁ。

毎年8月第1日曜日に、この竿から琵琶湖へ飛び込む「伊崎の竿飛び」は、今は観光的に有名になっているが、もともとは伊崎寺の「空鉢の法」の修行だったらしい。

大中の湖ダイナカノコの干拓事業
かつて伊崎寺の東南には、広さ1,500ha(直径4km、最深3m)の琵琶湖最大の内湖ナイコ、「大中の湖」があった。
戦後の食糧不足解消を目的に、1946年から大中の湖干拓事業が始められ、1967年に完成。
大中の湖はほぼ水田になり、その名残ともいえる「西の湖」が内部に残された。
現在でも西の湖周辺には、日本でも屈指のきれいなヨシ原が約100ha広がっている。


左写真、伊崎寺のチャチな門の前の大中の湖干拓地で、レンゲ畑が広がっていた。
遠景は湖岸堤。



右写真、少し湖岸側(北方向)に歩いていくと、青々と一面の麦畑。豊かな大地だ。







左写真、湖岸に出る。


右写真、浜辺を東に歩く。(立派な流木?)
前方には、栗見出在家の集落があるはずだ。








左写真、逆方向、立派な流木の反対側には、伊崎寺の竿がかすかに写っているかな。
その向こうには、沖島が少し薄く見えている。



右写真、大同川のたもとの「水車のある休憩所」で、しばし休憩。







左写真、大同川の水車橋から上流側を写す。
橋の上流側に干拓地の水量を調節する閘門の白いゲートが並んでいた。
この大同川の上流、伊庭内湖から漕ぎ出すカヌーツアーもよさそうだ。



右写真、広大な麦畑がココにも広がっていた。






初夏の太陽の下で疲れが出てきた。
湖岸の道をショートカットし、愛知川河口の愛知川橋(左写真)を目指してして歩く。

右写真、愛知川橋から上流側を写す。やはり、大河である。
広大な親水自然公園が広がっていた。








左写真、新海浜(シンガイハマ)水泳場のビーチに出て、東に歩く。
本日のゴールはもうすぐだ。足取りが軽い。

右写真、今回から貸切バスをチャーターしているので、便利だ。ココでも麦畑が広がっていた。
最後に、「奈良自然塾」の旗を付けた塾長がバスに乗り込んで、奈良への帰途についた。