walking     チョットずつ 琵琶湖一周 no.5


地図は、マピオンMapion滋賀県ページから検索するのが便利。
滋賀県の琵琶湖研究所HPに、琵琶湖の概要あり。

5回目(04年6月24日) 新海浜シンガイハマ〜彦根

貸切バスで新海浜まで行って、湖岸沿いに東へ歩き出す。
ヨシ原保全地区のために「湖の辺ウミノベの道」の琵琶湖側にはヨシが茂っていて、湖は全く見えない。
強い紫外線の中、琵琶湖畔ウォーキングの雰囲気のない道を黙々と歩く。

右写真は、道の右(南)側の畑。
真ん中に写っている、ツルが支柱に巻き付き長く延びている野菜は初めて見る。
畑にいたおばさんに尋ねると、「長芋」とのこと。
この辺りは砂質土で、芋が下に真っ直ぐ伸びて、掘り易く、長芋に適した土壌らしい。


【山芋、長芋 memo】 ---------------------------------------------

「山芋」とは里芋に対して、山で採れる芋で、(でんぷん分解酵素ジアスターゼが含まれるので消化がよく、芋と称せられるものの中で唯一)生で食べられる。
本来は、日本原産の自然薯ジネンジョ(自然生ジネンジョウ)を指す。

「自然薯」は古代より日本各地の山野に自生しており、したがって、米よりも古く、縄文時代から食べられていた。
非常に粘りが強いのが特徴で、すりおろして食べるのに適している。現在では栽培もしているが、収穫に手間がかかるため流通量は少ない。
平安時代の貴族たちは、自然薯を使った「いもがゆ」を珍重していた。
漢方では自然薯の乾燥したものを「山薬(さんやく)」といい、下痢止めや健胃薬、強壮剤になっている。
自然薯の塊根は長い円柱形、茎は細長く左巻きで他の物に絡みつく。
葉は、縦に長いトランプのスペードの形をしていて、夏に白色の小花を穂状につけ、花が終わると果実をつる。
また、「ムカゴ」は茎に生ずる腋芽(わきめ)で、茎の養分を貯蔵し、地面に落ちて次の芋になる。

「山芋」は、ヤマノイモ科ヤマノイモ属であり、日本で自生または栽培しているヤマノイモ属の野菜は、「自然薯」と「長芋」、それに(南九州や四国で作られていて、生産量はそれほど多くはない)「大薯ダイジョ」の三種類に大別できる。
ちなみに、サツマイモ(ヒルガオ科)やジャガイモ(ナス科)が無かった時代には、日本では、いも=「山芋」だった。

「長芋」の原産地は中国で、平安時代に日本に伝えられ、畑で栽培されてきた。
現在、日本各地で栽培されているが、日本原産の自然薯より粘り気が少ない。
「長芋」は芋の形によって、細長いものを長芋(ながいも)、平たいものを銀杏芋(いちょういも)、かたまりになったものを捏芋(つくねいも)と呼ぶ。
・ 長芋 : 最も一般的で、栽培されている山芋の約70%がこの長芋。長芋は水分が多く、粘りが少ないため、とろろには向いていないが、和え物やサラダに向き、サクサクとした触感が活かせる。産地は北日本が多い。
・ 銀杏芋 : 平らな形で、関東では大和芋とも呼ぶ。粘りが強く、なめらかなので、とろろに適し、とろろいもと呼ばれることもある。産地は関東が多い。
・ 捏芋 : かたまりになっている芋で、最も粘りが強く、濃厚な食感が特徴。元来、奈良で多く見られたことから、関西では大和芋と呼ぶ。
とろろとして食べる他、高級料理の食材として珍重され、薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)など、和菓子の原料としても利用される。産地は関西、中国地方が多い。

【薯蕷饅頭(じょよまんじゅう)】 捏芋(つくねいも;大和芋)を練り込んだ生地で作る饅頭。
【上用饅頭(じょうようまんじゅう)】 粳米(うるちまい)を粉にして乾燥させたものを「上用粉」という。
これに捏芋(つくねいも)をすりおろし、砂糖を加えた生地で餡を包んだ和菓子を上用饅頭と呼ぶ。
上用饅頭は貴族など位が高い者しか食べることができなかったので、「上用」と呼ばれるようになったと書いてあったが、私は、饅頭屋がマーケッティングの観点から、「薯蕷」を「上用」と変えたのではないかと思う。
(昔から「上用」饅頭という言葉が気になっていた。)

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左写真は「湖の辺の道」を振り返って撮ったモノ。 白い道が暑そうでしょう!

写真右手は、琵琶湖側。ヨシ原が一面に茂っている。

左手の畑には、長芋が元気よく天に伸びている。








左右の写真は、柳川橋の手前のきれいな緑陰の道。
左手には琵琶湖が広がっている。
ホッとするなぁ。

でも、さすがに女性の多くは日傘を差している。
ホント暑かった。







左写真のような広場もあったが、誰もいない。

片隅の日陰に紫陽花が咲いていた。きれいだった。










左写真は、先ほど渡ってきた来迎川という小さな川の河口。

右写真、湖岸沿いの松林の蔭道を東に行進する。
湖面にも特に何も見えない。








左写真、可憐な野の花がせめてもの慰みだ。



右写真は、湖岸添いの松林の南側から写した真東の荒神山。荒神山(262m)には6、7世紀の古墳群があり、彦根市でも古くから人が住んでいたトコロらしい。








左右の写真は、大和田神社。ココでチョット休憩。
滋賀県立大学がすぐ南にできていた。


この辺りの湖岸から5km先に、多景島タケシマが見えていた。
湖西の近江高島の大溝城址から沖の白石、多景島そして彦根城を結ぶ線が琵琶湖の横幅が一番広いトコロである。
クラブ・ザ・ファルトの琵琶湖横断ツアーで京谷さんが幹事の時に何回か漕いだことがある。





左写真は、犬上川。犬上川橋から川面を見ると、小さなアユが白い腹を見せて大量に死んでいた。
(地元のおばちゃんは、毎年のように鮎が死んでいるが、今年はちょっと早いと言っていた。)



右写真、犬上川を越えたトコロの浜辺。前方中央に彦根港が見え、さらに先の左手には彦根プリンスホテルがうっすらと見えていた。






左写真、元気を出して松林の道を行進し、彦根港で待ってくれていた貸切バスにたどり着く。
汗だくの顔を洗い、着替えて一息ついた。


右写真、松に巻きつき、白い花を咲かせていた蔓草。
なんて名前なのかな。